前田利道

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前田利道
時代 江戸時代中期
生誕 享保18年4月24日1733年6月6日
死没 安永10年1月14日1781年2月6日
改名 造酒丞(幼名)、利道
戒名 顕照院徹巌義心大居士
墓所 石川県加賀市の実性院
官位 従四位下、遠江
幕府 江戸幕府
加賀大聖寺藩
氏族 加賀前田氏
父母 父:前田利章、母:内藤友真女(桂林院)
兄弟 利道信成
正室:前田利隆の娘・宝光院(隆)
側室:加藤氏・円成院、井上氏・保安院(庸)
利貞利精利物利寧利以利行利幹
元三郎(観光院)、崎(喜連川恵氏正室)、
正(前田治脩正室)

前田 利道(まえだ としみち)は、江戸時代大名加賀大聖寺藩の第5代藩主。

生涯[編集]

享保18年(1733年)4月24日、第4代藩主・利章の長男として生まれる。元文2年(1737年)の父の死去により跡を継ぐ。1752年(宝暦2年)、東海道吉田大橋架け替えの手伝普請が命ぜられるが、完成した橋が半年ほど後に湾曲してしまう事態が生じた。井沢弥惣兵衛為永の子で工事を担当した勘定組頭井沢弥惣兵衛正房小普請組に降格され、利道には再度の手伝普請が命じられた。また、治世中に領内が災害に見舞われたこともあり、藩の財政は逼迫した。安永7年(1778年)5月25日、家督を子の利精に譲って隠居し、安永10年(1781年)1月14日に死去した。享年49。