前田利平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
前田利平
時代 江戸時代後期
生誕 文政6年12月22日1824年1月22日
死没 嘉永2年7月7日1849年8月24日
改名 鈺七郎(幼名)、利平
諡号 弘斎
戒名 見竜院殿存誠洗心大居士
墓所 石川県加賀市の実性院
官位 従四位下、備後
幕府 江戸幕府
加賀大聖寺藩
氏族 前田氏
父母 父:前田利之、母:小原氏益女(蓮静院)
養父:前田利極
兄弟 造酒丞、前田利極、緩次郎、利建、鈴、
利平、建、桂
正室:井上正春の娘
側室:竹内氏
鋼吉郎、哲二郎(奇峯院)、女
養子:前田利義

前田 利平(まえだ としひら)は、加賀大聖寺藩の第11代藩主。

文政6年(1823年)12月22日、第9代藩主・前田利之の六男として大聖寺で生まれる。天保9年(1838年)、異母兄で第10代藩主の利極が死去したため、その養子として跡を継いで藩主となる。財政悪化により、倹約を強化し、さらに10万石の格式を元の7万石に戻して歳出を抑え、維持費のかかる居館の処分などを図ったが、いずれも本家加賀藩が反対したために失敗している。また、文治の奨励も行なった。

嘉永2年(1849年)7月7日、大聖寺で死去した。享年27。跡を本家からの養子の利義が継いだ。