前田利尚

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前田利尚
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 享保17年(1732年
死没 寛政4年6月26日1792年8月13日
改名 豊平(幼名)、利尚
別名 宮内(通称)
戒名 本覚院殿廓然玄性大居士
墓所 群馬県富岡市の長学寺(前田家墓地)
官位 従五位下、大和守、丹後
幕府 江戸幕府
上野七日市藩
氏族 加賀前田氏
父母 父:前田利理
兄弟 市五郎、安之丞、又五郎、喜和、鈴
知(稲生正熹室)、菊(本多直嗣室)
純(内藤彦右衛門室)、
美代(保坂庄兵衛室)、利尚
岩(斉藤喜兵衛室)、木村重勇武宣
元(保坂庄左衛門室)、能瀬能和
豊之丞、筒井正盈
正室:板倉勝澄の娘
継室:相良長在の娘
又五郎、利見
貞光院(大久保教翅正室のち前田利以正室)
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前田 利尚(まえだ としひさ)は、上野七日市藩の第7代藩主。七日市藩前田家7代。

生涯[編集]

享保17年(1732年)、第6代藩主・前田利理の四男として生まれる(生年は元文2年(1737年)9月27日説がある)。

寛延3年(1750年)12月18日、従五位下・大和守に叙位・任官する。宝暦6年(1756年)、父の死去により家督を継ぐ。宝暦12年(1762年)5月23日に駿府加番に任じられる。明和8年(1771年)に旱魃で大被害を受け、税収入が激減したため、本家の加賀藩より援助を受けた。

天明2年(1782年)5月9日、次男・利見に家督を譲って隠居する。寛政4年(1792年)6月26日に死去した。享年61。