伊勢慶友病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
Japanese Map symbol (Hospital) w.svg 伊勢慶友病院
伊勢慶友病院.JPG
情報
正式名称 医療法人全心会伊勢慶友病院
前身 慶應義塾大学伊勢慶應病院
標榜診療科 内科、外科、脳神経外科、整形外科、婦人科、小児科、心療内科、東洋医学科、形成外科、皮膚科、泌尿器科、放射線科
許可病床数

253床
一般病床:40床



療養病床:213床
機能評価 療養200床以上400床未満:Ver5.0
開設者 医療法人全心会
管理者 堂本洋一(病院長)
開設年月日 2003年10月1日
所在地
516-0041
三重県伊勢市常磐二丁目7番28号
位置 北緯34度29分35秒
東経136度41分54秒
二次医療圏 南勢志摩(伊勢志摩サブ)
PJ 医療機関
テンプレートを表示

医療法人全心会 伊勢慶友病院(いりょうほうじんぜんしんかい いせけいゆうびょういん)は、三重県伊勢市にある民間の病院である。

2003年3月に慶應義塾大学伊勢慶應病院の閉院が発表されたが、周辺住民約21万人の病院存続署名もあり、同年10月に新たに「医療法人全心会伊勢慶友病院」として発足した。

2012年12月に旧・山田赤十字病院(現伊勢赤十字病院、伊勢市御薗町高向から伊勢市船江に移転)の跡地を買収、御薗町高向へ移転する予定である[1]。移転時期と現在の病院敷地の利用については決まっていない[1]

沿革[編集]

亀谷巌の三顧堂亀谷医院を源流とする。

亀谷は士族の出であったが、亀谷家は明治維新後商売がうまく行かず、巌は医者になった。総合病院として発展したが、同族経営の問題や労働争議などで経営危機に陥り、慶應義塾に寄付することで存続を図った。また、慶應義塾が首都圏以外に進出した数少ない事例であった。

慶應義塾では、もっぱら若手医師の研修に利用されたが、その一方で市立伊勢総合病院、山田赤十字病院(現:伊勢赤十字病院)と共に伊勢市における総合病院として中核を担った。

しかし2003年に慶應義塾が手を引き、伊勢慶友病院となると、閉院を見越して転院した患者も少なくなかったので(全心会への譲渡が決まったのは、閉院直前であった)、高齢者医療中心の病院として再出発した。

年表[編集]

  • 1879年(明治12年) - 三顧堂亀谷医院として山田岩渕町に開業。
  • 1908年(明治41年) - 私立亀谷病院が現在地に開業。
  • 1952年(昭和27年) - 医療法人亀谷病院に改称。
  • 1968年(昭和43年) - 特定医療法人亀谷総合病院に改称。
  • 1972年(昭和47年) - 医療法人亀谷記念伊勢慶應病院に改称。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 医療法人亀谷記念伊勢慶應病院が解散。学校法人慶應義塾へ寄付。
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - 慶應義塾大学伊勢慶應病院が発足。
  • 2003年(平成15年)10月1日 - 慶應義塾大学伊勢慶應病院が閉院。医療法人全心会伊勢慶友病院が発足。


伊勢慶應病院の閉院問題[編集]

2003年における伊勢慶應病院閉鎖発表から伊勢慶友病院発足までの流れを以下に示す。(年は全て2003年)

  • 3月21日 - 学校法人慶應義塾が伊勢慶應病院を9月30日で閉院することを発表[2][3]
  • 3月24日 - 病院職員労組が緊急臨時大会を開催、閉鎖撤回を求めることを決議。また、病院管理職組合との合同記者会見で病院存続を求める署名活動などを展開することを表明[4]
  • 3月31日 - 労組・管理職組合が慶應義塾長に病院閉鎖撤回を求める署名(157,208人分)を提出[5]
  • 4月2日 - 伊勢市長、二見町長、小俣町長、御薗村長の連名で、慶應義塾長宛てに病院存続の要望書を郵送[6]
  • 4月9日 - 慶應義塾長から4市町村長宛に閉院に理解を求める返答を郵送[7]
  • 4月14日 - 病院存続の署名が21万人を超える(4月24日の集計では210,954人、翌日慶應義塾長宛てに発送する)[8]
  • 4月21日 - 4市町村長が慶應義塾大学を訪問、慶應義塾長に病院存続を要望。塾長は閉鎖の方針に変わりが無いことを回答[9]
  • 4月27日および4月29日 - 労組などが署名に対するお礼として、病院内での無料検査や健康相談を実施[10]
  • 5月23日 - 伊勢市議会にて「伊勢慶應病院存続を求める決議」を可決[11]
  • 5月30日 - 慶應義塾側が病院の引受先として2者と交渉中であることを明らかにする[12]
  • 6月16日 - 三重県議会にて、慶應病院の閉院問題に絡めた「伊勢志摩地域医療の充実等を求める決議」を可決[13]
  • 8月25日 - 慶應義塾側が病院の引受先を「医療法人全心会」に決定したことを発表[14]
  • 10月1日 - 伊勢慶應病院が閉院、伊勢慶友病院として再発足[15]

概要[編集]

  • 病院周辺は「浦之橋商店街」である。

施設概要[編集]

  • 構造 - 鉄筋コンクリート構造、地上7階、地下1階
  • 建築面積 - 病院:9,711.45m2 その他:1,893.76m2
  • 病床数 - 253床(一般:40床、療養型:213床)

診察科[編集]


附属施設[編集]

  • 脳神経疾患研究所

アクセス[編集]

参考文献[編集]

  • 『開設25年記念誌 慶應義塾大学伊勢慶應病院』(平成11年7月18日発行、編集・発行:慶應義塾大学伊勢慶應病院25年記念誌委員会)
  • 『病院要覧 1994年版』(1994年6月15日発行、編集:厚生省健康政策局総務課、発行:株式会社医学書院、ISBN 4-260-24058-7
  • 『全国病院名鑑 1995年版』(1994年12月5日発行、発行:財団法人厚生問題研究会)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 伊勢新聞"伊勢赤十字病院 旧病院跡地など売却 伊勢慶友病院、移転へ"<ウェブ魚拓>2012年12月20日(2013年1月14日閲覧。)
  2. ^ 慶應義塾 慶應義塾大学伊勢慶應病院の閉院について 2003/03/21 慶應義塾
  3. ^ 2003年3月22日付け 朝日新聞 名古屋朝刊、毎日新聞 地方版/三重、読売新聞 中部朝刊、中日新聞 朝刊
  4. ^ 2003年3月25日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重、毎日新聞 地方版/三重、読売新聞 中部朝刊、中日新聞 朝刊
  5. ^ 2003年4月1日付け 毎日新聞 地方版/三重、読売新聞 中部朝刊、中日新聞 朝刊
  6. ^ 2003年4月12日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重、中日新聞 朝刊
  7. ^ 2003年4月16日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重
  8. ^ 2003年4月16日付け 中日新聞 朝刊、同年4月25日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重
  9. ^ 2003年4月23日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重、中日新聞 朝刊、同年4月24日付け 毎日新聞 地方版/三重
  10. ^ 2003年4月28日付け 読売新聞 中部朝刊、中日新聞 朝刊
  11. ^ 2003年5月24日付け 毎日新聞 地方版/三重、中日新聞 朝刊
  12. ^ 2003年6月2日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重、中日新聞 朝刊
  13. ^ 2003年6月17日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重、中日新聞 朝刊
  14. ^ 2003年8月26日付け 朝日新聞 名古屋朝刊、毎日新聞 地方版/三重、中日新聞 朝刊
  15. ^ 慶應義塾 伊勢慶應病院閉院のお知らせ 2003/10/02 慶應義塾

関連項目[編集]

外部リンク[編集]