京成バス習志野出張所

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京成バス新都心営業所習志野出張所(けいせいバスしんとしんえいぎょうしょならしのしゅっちょうしょ)は、千葉県船橋市習志野にあり、船橋市習志野市八千代市千葉市花見川区美浜区の路線を受け持っている京成バスの営業所である。2012年平成24年)12月23日に船橋営業所花輪車庫(千葉県船橋市宮本)と長沼営業所花見川車庫(千葉県千葉市花見川区作新台)からの移転統合により発足した。

沿革[編集]

起源[編集]

前身である船橋営業所の路線の起源は、地元の個人事業者である白井保四郎(事業者住所:谷津、営業所:薬園台)により1927年に運行が開始された京成津田沼駅 - 国鉄津田沼駅 - 大久保 - 実籾(実籾停留所の場所不明)、国鉄船橋駅 - 津田沼十字路 - 薬円台 - 大和田(大和田の場所不明)および大和田新田(現・新木戸) - 平戸の3線である。「全国乗合自動車総覧」(鉄道省, 1934)によれば当時の車庫は二宮町薬円台二二三である。その後1935年に習志野乗合自動車に法人化されるが、翌々年の1937年1月20日に京成電気軌道(京成電鉄の前社名)が同社を買収し、習志野営業所(のちの新京成電鉄による習志野営業所とは別のもの)が新設された。

「京成五十五年誌」によれば、同年12月に津田沼に車庫が新設(習志野車庫、後の新京成電鉄および習志野新京成バス→船橋新京成バスの習志野車庫とは別)されたとある。同書に具体的言及がないが、同車庫の完成に伴い営業所を津田沼に移転したと見られる。車庫の場所は、「京成電鉄85年のあゆみ」によれば京成津田沼駅北側となっているが、おそらく国鉄津田沼駅北側の津田沼十字路の北、現在の東部公民館停留所の西側にあった車庫と見られる(「京成津田沼駅」北側との記述は間違いではない)。その後、神崎線が木下駅まで延長され、戦後を迎えることとなった。

習志野営業所(のち津田沼操車場)

戦後の路線拡張[編集]

戦後については、1950年の千葉線(船橋駅 - 津田沼十字路 - 広尾 - 長沼 - 穴川十字路 - 京成千葉駅、1954年に広尾線と改称)の開通をきっかけに、畑線(船橋駅 - 津田沼十字路 - 三山新田 - 実籾駅 - 畑小学校 - 穴川十字路 - 京成千葉駅)、四街道線(船橋駅 - 広尾 - 長沼 - 小深 - 四街道駅)、翌1950年にはヘルスセンター線(船橋駅 - 船橋ヘルスセンター)と新路線が開通していった。ヘルスセンターを除けば、ここまでは比較的距離の長い路線について充実が図られた時期と言える。

その後、1959年に営業所が花輪に移転され船橋営業所と改称されて今に至っている。ただし、京成五十五年史には「1957年:花輪操車場新設」とあり、実際にこの場所にバスが出入りしていたのはそのときからのようである。なお、「京成電鉄85年のあゆみ」に掲載された写真の背景および、国土地理院による空中写真を見る限りでは今の花輪車庫と同一場所のようである。花輪に車庫が新設されたのは、路線の拡張に伴い、習志野車庫が手狭になったことが要因であろう。この時期に、新京成電鉄が運行していた市内線(船橋駅南口を起終点とした循環線)を引き継ぎ(引き継ぎ後は、西船橋駅 - 船橋駅 - 花輪車庫、現在は船橋駅以西のみ)、葛飾線(西船橋駅 - 昌行寺入口、市川営業所の葛飾行田団地線参照)、久々田線(津田沼駅南口を起終点とした循環線、現在は廃止)といったローカル線を次々と開通していった。また、大久保線についても、日本大学津田沼校舎(現・習志野市泉町)の新設や三山地区の人口増加により二宮神社、県営住宅、大久保四丁目への便の新設が図られた。増便に伴い、大久保停留所(現・日本大学生産工学部前)の東側の停留所近くに大久保操車場も作られた。その後には大久保公団線(津田沼駅 - 大久保十字路 - 大久保一丁目(現・大久保団地))や屋敷線(津田沼駅 - 屋敷町(現・屋敷一丁目))の新設が行われた。このように、花輪操車場新設の1957年から実籾線(船橋駅 - 津田沼駅 - 実籾駅 - 八幡製鉄棒 - 前・東習志野二丁目、大久保線参照)が新設された1963年までの間はローカル線を中心とした路線の充実が図られた時期と言える。なお、船橋営業所開設後、それまでの習志野営業所は津田沼操車場としてしばらくの間運用を続けることとなった。

船尾車庫および三山操車場(車庫)・茜浜車庫の開設[編集]

その後、1970年になると京成電鉄は組織改正により自動車本部を設置し、バス部門の輸送体系の抜本的な変更を行った。船橋営業所においては、神崎線における船尾車庫および大久保線における三山操車場(通称:三山車庫)の新設である。それまで、車庫または大規模な操車場は船橋と津田沼にしか無かったが、郊外に大規模な車庫等を置くことで運用の効率化が図られた。これと同時に、それまで原則として船橋駅を起点としていた長距離路線(広尾線、畑線、四街道線、大和田線、神崎線)はすべて津田沼駅発着に短縮された。同時に、船橋駅を発着するものはすべて三山車庫に行くことになった。

これらの車庫等が開設された時点で津田沼操車場と大久保操車場は閉鎖された。しかし、それでは神崎線や千葉方面の車の行き場が無くなるので、代替操車場として津田沼二丁目(当初の停留所名は津田沼駅入口)の操車場(後述するが、現在は習志野企業局近くに移転)が割り当てられた(1970年に袖ヶ浦団地線が津田沼駅南口発着となり、津田沼駅入口の折返場が空き地となったものを転用した。)要約すると、船橋営業所は昭和45年頃に大久保線各線と神崎線という2つの主幹を中心に抜本的な路線の改変があったということである。  さらに1981年に幕張本郷駅の開業・90年代の京葉線開通や幕張新都心の発展に対応すべく1994年に習志野市茜浜に車庫を新設し幕張新都心エリアの路線を一手に引き受けることとなる。

2012年8月21日、幕張新都心エリアを担当してきた茜浜車庫の路線が、習志野市芝園に新設された新都心営業所に移管された。これに伴い、茜浜車庫は閉鎖となった。

船橋営業所の閉鎖と習志野出張所の開設[編集]

2012年に入り、船橋営業所の用地を再開発する計画が持ち上がり、車庫の機能を船橋市習志野に開設した習志野出張所に移転させることになった。また、長沼営業所管轄下で車両配置のあった花見川車庫も当所の開設により、管轄路線を当所に移管し、花見川車庫はバスの折り返し場、乗務員の休憩所としての機能のみとなった。なお出張所と名乗っているが営業所番号は「0」が付番されており実質的には営業所と同じ扱いである。これは当所の近くに船橋新京成バス(旧・習志野新京成バス)習志野営業所があり、両者とも津田沼駅北口(、屋敷線のみ南口)から発着しており混同を避けるためである。

現行路線[編集]

大久保線・東習志野線[編集]

  • 津01:津田沼駅 - 藤崎 - (東行: 済生会習志野病院、西行: 大久保十字路) - 三山車庫 - 京成バス習志野出張所
  • 津01:津田沼駅 - 藤崎 - (東行: 済生会習志野病院、西行: 大久保十字路) - 三山車庫
  • 津02:津田沼駅 - 藤崎 - (東行: 済生会習志野病院、西行: 大久保十字路) - 二宮神社
  • 津01:津田沼駅 - 藤崎 - 済生会習志野病院
  • 津03:津田沼駅 - 藤崎 - (東行: 済生会習志野病院、西行: 大久保十字路) - 大久保四丁目 - 日大実籾
  • 津03:津田沼駅 ← 藤崎 ← 済生会習志野病院 ← 大久保四丁目 ← 日大実籾(平日一部)
  • 津21:津田沼駅 - 済生会習志野病院 - 三山車庫 - 鈴木金属 - 八千代台駅西口
  • 津22:津田沼駅 - 済生会習志野病院 - 三山車庫 - 京成バス習志野出張所 - 鈴木金属 - 八千代台駅西口
  • 津31:津田沼駅 - 済生会習志野病院 - ユトリシア - 花見川車庫 - 八千代台駅東口
  • 津31:津田沼駅 - 済生会習志野病院 - ユトリシア
  • 津32:津田沼駅 - 新津田沼駅 - 習志野企業局
  • 八千46:八千代台駅西口 - 鈴木金属 - 京成バス習志野出張所
    • 大正末期:[岩佐峯吉]国鉄津田沼駅 - 大久保方面が開通(詳細不明)。
    • 1927年3月11日:[白井保四郎]京成津田沼駅 - 国鉄津田沼駅 - 大久保(現・大久保十字路) - 実籾(場所不明)が開通。
    • 1935年7月15日:[習志野乗合]習志野乗合自動車となる。
    • 1937年1月20日:[京成]京成となる。
    • 1950年1月1日:千葉線(船橋駅 - 津田沼十字路 - 大久保十字路(当時は大久保と呼称?) - 大原神社 - 広尾 - 長沼 - 穴川十字路 - 京成千葉駅)が開通。国鉄津田沼駅非経由。
    • 1954年4月1日:畑線(船橋駅 - 津田沼十字路 - 大久保(現・日大生産工学部および東邦大学付属東邦中学校・高等学校付近) - 三山新田(現・三山車庫より先の三叉路を実籾側にいったすぐのところ) - 実籾駅 - 畑小学校 - 京成千葉駅)が開通。千葉線が広尾線と改称。津田沼駅非経由。
    • 1954年8月1日:四街道線(船橋駅 - 津田沼十字路 - 大久保 - 大原神社 - 広尾 - 長沼 - 四街道駅)が開通。津田沼駅非経由。
    • 1957年頃:現・大久保線が開通。区間は船橋駅 - 津田沼十字路 - 津田沼駅 - [日大前(現・日大生産工学部)または二宮神社または県営住宅]、船橋駅 - 日大前 - 実籾駅 - 東習志野 - 高津新田 - 八千代台駅、船橋駅 - 津田沼十字路 - 大久保十字路 - 大久保四丁目(国立病院非経由)。広尾線、千葉線、四街道線などの長距離路線は津田沼駅非経由のまま。日大前、二宮神社、県営住宅、八千代台駅の4便は往路が国立病院経由(畑線も国立病院経由)。
    • 1959年4月13日:大久保公団線(津田沼駅 - 大久保十字路 - 大久保二丁目(千葉興銀交差点の50mほど南、なお当時は旧道だったので今の歩道あたりが車道だった。) - 大久保駅(北側) - 大久保一丁目(現・大久保団地))が開通。1970年頃まで運行。
    • 1963年11月1日:実籾線(船橋駅または津田沼駅 - 大原神社 - 実籾駅 - 八幡稲荷神社(現・東洋の東習志野二丁目) - 東習志野二丁目(現・東習志野八丁目)が開通。
    • 1967年頃:津田沼駅 - 八幡溶接棒(現・日鉄溶接)が開通。
    • 1967年頃:日大前 - 習志野原 - 日大理工学部が開通。
    • 1969年8月20日:畑線、広尾線が前・京成千葉駅西口ターミナル発着、中央四丁目経由に変更。
    • 1970年頃:三山車庫新設に伴い、県営住宅発着便が三山車庫まで延長。八千代台便は三山車庫 - 実籾三叉路 - 東習志野 - 高津新田 - 八千代台駅に変更。三山車庫発着便以外がすべて津田沼駅(または津田沼十字路、ただし花輪出入のみ)発着となる。日大前 - 日大理工学部線は三山車庫 - 日大理工学部に短縮(以後、北習志野線の線名で呼ばれることもあった)。
    • 1978年頃:広尾線が津田沼駅 - 広尾十字路 - 草野車庫に短縮され、畑線が大原神社経由に変更。津田沼駅 - 大久保四丁目 - 東電前 - 京成ガード際 - 八千代台駅東口が開通。四街道線を含めてこれらが千葉三線となる。三山車庫 - 八千代台線は廃止。
    • 1980年頃:日鉄溶接便が東習志野八丁目経由八千代台駅西口まで延長。実籾線は廃止。
    • 1981年10月1日:船橋便が東船橋駅経由となる。
    • 1982年4月1日:津田沼駅 - 習志野企業局が開通。
    • 1984年頃:大久保四丁目発着便を日大実籾まで延長。東行も習志野警察経由となる。
    • 1985年頃:広尾十字路発着便がさつきが丘団地まで延長。
    • 1989年:柏井高校線(津田沼駅 - 長作町 - 長作新田 - 団地東口 - 柏井高校)を開通。
    • 1991年6月12日:草野車庫発着便がスポーツセンター駅まで延長(1996年4月27日廃止)。千葉中央駅発着便が稲毛駅経由草野車庫までに変更(その後廃止、廃止日不明)。どちらも長沼営業所担当に変更となり、津田沼線となる。四街道、さつきが丘団地、東電経由八千代台線を合わせて四・八線となる。
    • 1995年頃:柏井高校線が廃止。
    • 1996年7月1日:四街道線が廃止。さつきが丘団地、東電経由八千代台を合わせて東習志野線となる。
    • 1999年5月29日:さつきが丘団地便が廃止。津田沼十字路発着便がなくなり、すべて津田沼駅発着となる。日大理工学部前-三山車庫便を廃止、津田沼駅-千葉日大第1中高間の各停便を廃止。
    • 2003年5月16日:三山車庫系統のうち船橋駅 - 津田沼駅間を東船橋線として分割。
    • 2004年3月16日:津田沼駅 - 千葉日大第一小中高間の急行バスを廃止。
    • 2006年7月18日:「済生会習志野病院」バス停新設。これに伴い大久保線のルート変更。
    • 2009年4月1日:東習志野線が感動大陸ユトリシアに乗り入れ開始。
    • 2012年11月16日:東船橋線を京成バスシステムに移管[1]
    • 2012年12月23日:船橋営業所花輪車庫から新都心営業所習志野出張所に移管。津01の一部便を京成バス習志野出張所へ延伸。津03、津31の済生会習志野病院乗り入れ開始(津03は東行きのみ。西行きは従来通り大久保十字路経由)。八千46新設。

成立時[編集]

大久保線は習志野営業所時代からある古い路線である。当初は京成津田沼駅または谷津からを起点としており、津田沼駅を経由したのちに東金御成街道(現、県道船橋長沼線、以下同じ)藤崎、大久保、実籾に至った。その後、時期は不明だが、神崎線と同じく船橋駅から発着するようになる。戦後、千葉線(長作・広尾・長沼・穴川経由、畑線開通に伴い広尾線)が開通したのをきっかけに、畑線(三山・実籾駅・長作・畑・穴川経由)、四街道線も開通し、海岸線、神崎線と並ぶ船橋営業所の大動脈となった。この頃の詳細なルートは不明だが、大部分の便が東金御成街道を直進していたと考えられる。広尾線、四街道線の開通により、実籾折返便がどうなったかは不明である。

畑線は三山を経由するため、東金御成街道から北上(または同道に南下)しなくてはならなかったが、当時のルートは不明である。昭和30年当時は、八幡公園付近西側に道路が全くなかった(旧道もなかった)ため、ここは通らず、別の道路を通っていたようである。

日大の移転および大久保公団線の開通[編集]

現在のように大久保線が莫大な本数になった時期は昭和30年代ということ以外は不明であり、船橋市および習志野市の統計書にも明確なデータがない。

昭和30年代の顕著なトピックとして、1957年に日本大学の一部が今の習志野市泉町に移転(津田沼校舎)したことが上げられる。当時は今ほど大規模ではなかったにせよ、これにより津田沼からの通学手段の増強を迫られたのは間違いなく、1957年頃が大久保線増発の時期と推定される。ちなみに、八千代台駅の開設は1956年であり、それから程なくして同駅までのバスも運行開始(実籾駅経由)された。新京成電鉄鎌ヶ谷営業所習志野車庫(後の新京成電鉄習志野営業所、一度車庫に再格下げの後、現・習志野新京成バス船橋新京成バス習志野営業所)による三山線(大久保 - 田喜野井 - 船橋駅または津田沼駅)の開通は1958年である。

なお、当時の日大前(現・日大生産工学部および東邦大学付属東邦中学校高校)→大久保十字路に関しては現在の2車線の道路ではなく、その西側直近の旧道(現在は車両通行不可)を走っていた。(従って、習志野警察→日大前はクランク状に運行していたことになる。)

1959年4月13日には大久保公団線(津田沼駅 - 大久保十字路 - 大久保一丁目)が開通した。この路線は大久保十字路(大久保商店街との交差点)を過ぎると、さらに東の交差点(現在、習志野警察署と京成線路とを結ぶ市道)を南下し、大久保二丁目(現在廃止)および映劇前(習志野劇場、線路の南側に映画館があった)停留所を経由し、さらに京成大久保駅の踏切を渡り(京成大久保駅前にも停留所があった)京成大久保駅南口で合流後、今の大久保団地まで至る路線だった。この路線が走っていた頃は大久保十字路 - 映劇前間の道路も非常に狭かった。なお、当時の終点の停留所名は「大久保一丁目」である。当時は今の本大久保1 - 3丁目のほとんどすべて(一部を除く)が「大久保一丁目」であり、一番はずれの停留所になぜかこの名前がついた。昭和42年頃に住居表示変更され京成線の南側はすべて本大久保となったので、停留所名は大久保公団に変更。その後、屋敷線だけの停留所となったが、保健所→大久保団地と変更になっている。

その大久保公団線開通後のわずか1年後に屋敷線が開通し、津田沼駅のみならず京成津田沼駅への足さえ確保されたため、多くの乗客がこれを利用し、わずか10年余りで廃止された。なお、大久保公団線はすべて津田沼駅を始発とし、船橋駅発の便はなかった。

その後、1962年度については、「全国バス路線便覧 昭和39年度版(全国旅客自動車要覧編集室, 書名は39年度だが、データは昭和37年度)」によれば、船橋駅または津田沼駅を始発として、「大久保行き」「二宮神社行き」「県営住宅行き」「大久保四丁目行き」「八千代台駅行き」の4系統(長距離線、公団線を除く)が運行されていたことがわかる。二宮神社に関しては今とほとんど同じであると判断される。県営住宅行きは、市営住宅(当時は千葉荘前)を過ぎると三叉路を二宮神社側に進み、少し行ったところで右折して県営住宅停留所に向かっていた。

大久保四丁目行きは開通当時の状況は不明だが、少なくとも昭和40年代以降は国立病院を経由せずそのまま大久保十字路に向かい、さらに東に進んで軽便鉄道跡(マラソン道路)の交差点を北上し、終点に至った。なお、大久保四丁目終点停留所は今の停留所の場所ではなく、大久保四丁目の交差点のわずか南にあった。バスが一台だけ入れる折返場が軽便鉄道跡(現・マラソン道路)に設けられ、必ずそこに立ち寄っていた。

2012年11月16日、東船橋線として分割されていた船橋駅 - 東船橋駅 - 津田沼駅の系統が京成バスシステムに移管された[1]

屋敷線[編集]

  • 津61:幕張西五丁目→幕張西二丁目→幕張本郷駅→屋敷→京成大久保駅→京成津田沼駅→津田沼駅
  • 津62:津田沼駅 - 京成津田沼駅 - (西行のみ: 京成大久保駅) - 京成大久保駅南口 - 屋敷 - 幕張本郷駅
  • 津62:津田沼駅 - 京成津田沼駅 - (西行のみ: 京成大久保駅) - 京成大久保駅南口 - 屋敷 - 幕張本郷駅 - 幕張西二丁目 - 幕張西五丁目
  • 津65:津田沼駅 - 京成津田沼駅 - 京成大久保駅南口
  • 幕66:幕張本郷駅 - 屋敷 - 京成大久保駅南口
    • 1960年10月1日:津田沼駅【北口】 - 京成津田沼駅(駅の北側) - 鷺沼四丁目 - 京成大久保駅 - 屋敷町(現・屋敷一丁目)を開通。
    • 1970年:津田沼駅南口発着に変更。
    • 昭和50年代:津田沼駅行のみ前・京成津田沼駅入口(京成津田沼駅西側坂上近くの陸橋上)経由となる。
    • 昭和50年代:車両工場停留所を移設し、京成津田沼駅とする。前・京成津田沼駅、前・京成津田沼駅入口停留所は津田沼三丁目と改称。
    • 1981年10月1日:津田沼駅 - 屋敷 - 幕張本郷駅 - 幕張一丁目(現・幕張西二丁目) - 学校前(現・幕張西中学校)に延長。
    • 1991年3月29日:幕張西中学校、幕張本郷駅行のみ津田沼中央病院(現・津田沼中央総合病院)経由となる。
    • 1995年3月:往復とも津田沼中央病院経由となる。
    • 2000年4月1日:津田沼駅 - 屋敷 - 幕張西五丁目に延長。
    • 2008年5月10日:津田沼駅発については全便津62系統として運行し、京成大久保駅南口ロータリーへの乗入れ開始。
    • 2010年8月31日:この日をもって、幕張本郷駅方向の京成大久保駅バス停が廃止となる[2]
    • 2012年12月23日:船橋営業所花輪車庫から新都心営業所習志野出張所に移管。出入庫路線として津65・幕66を新設。

津田沼駅南口から京成の線路に並行して京成大久保近傍まで走り、屋敷地区を抜けたあとで、幕張本郷駅に入る路線である。出入庫において幕張西五丁目発着便が、出庫便において幕張西二丁目発便がある。この路線は1960年10月に開通し、鷺沼、鷺沼台、本大久保、屋敷、幕張本郷とほとんどの区間が単独区間となっているが、実はこれより1年半前の1959年4月13日に、津田沼駅 - 藤崎 - 大久保駅 - 大久保一丁目(現・大久保団地)間が開通(大久保公団線)しており、大久保駅 - 大久保一丁目間が重複していたことがある。大久保公団線との併走期間は10年程度続いたが、結局屋敷線だけが残ることとなった。

屋敷とは地名である。変わった地名だが、当初は今の屋敷入口、屋敷一丁目付近にだけ住宅が存在し、これらに隣接する窪地はすべて田んぼであった。この路線も、当初は今の屋敷一丁目が「屋敷町」として終点であったが、その後、窪地部分が徐々に住宅地として造成され、一旦、終点が今の屋敷まで延長された。幕張本郷駅(実際には幕張西中学校まで、なお当時の停留所名称は「学校前」)まで延長されたのは、同駅の開業に伴うものである。

2012年12月23日より、入出庫路線としての津65・幕66の新設と併せる形で、日中以降の時間帯の津62では、一部の便において京成大久保駅南口で乗務員の交代が行われる。

実籾線[編集]

実籾線(八千代台駅西口)
  • 八千41:八千代台駅西口 - 鈴木金属 - 習志野高校入口 - 実籾駅
    • 2009年5月1日:開通。
    • 2012年12月23日:長沼営業所花見川車庫から新都心営業所習志野出張所に移管。

実籾線は、八千代台駅の西口から船橋営業所の大久保線と同じルートを走り、ユトリシアの西側を通って実籾駅に至る路線である。実籾駅に京成のバスが乗り入れるのは、1970年代以来である。

この路線の開業に伴い、習志野市ハッピーバス(新都心営業所担当)実籾駅ルートの運行経路が変更されている。新規停留所は、ハッピーバスのものを引き継いでおり、並行する千葉シーサイドバスより細かく設定されている。

かつて、長沼営業所の路線としては唯一千葉市内には入らない路線であった。

花見川団地線[編集]

団地東口→中央公園
花見川団地線(八千代台駅)
  • 八千01:花見川車庫 - 花見川交番 - 八千代台駅
  • 八千01:八千代台駅→団地東口→花見川交番→団地西口→八千代台駅
  • 八千04:八千代台駅 - 花見川交番 - 花見川車庫 - ユトリシア
  • 八千05:花見川車庫→第一街区→団地西口→八千代台駅
  • 八千05:八千代台駅→第一街区→団地西口→八千代台駅
  • 八千06:八千代台駅 - (花見川団地非経由) - 花見川車庫
    • 1968年9月20日:日本住宅公団からの受託により、暫定的に八千代台駅 - 団地間の無料貸切バスを開通。詳細ルート不明。(参考掲載)
    • 1968年10月11日:八千代台駅 - 団地東口循環を開通。成東営業所田町車庫担当。
    • 1970年5月頃:八千代台駅 - 花見川車庫便を開通。成東営業所花見川車庫担当となる。(第一街区循環開通日は不明。)
    • 1971年:営業所が佐倉に変更となる。
    • 2000年7月16日:営業所が長沼に変更となる。
    • 2009年4月1日:八千代台駅 - 花見川車庫便の一部を感動大陸ユトリシアまで延伸。
    • 2012年12月23日:長沼営業所花見川車庫から新都心営業所習志野出張所に移管。第一街区経由を八千05に改番、花見川団地非経由の八千06を新設。

花見川区の北西部に位置する花見川団地と最寄りの八千代台駅を連絡する路線で、元は長沼営業所花見川車庫の担当であった。終日運行されるのは団地の中心部を通る便であり、一日を通して本数が大変多い。このほか、早朝にのみ団地南側の一街区を経由する便が運行される。いずれも、前乗り運賃先払い方式であった。

花見川団地の入居開始時期は、1968年9月であったが、当時は八千代台駅への道路が未整備でバス路線の認可が下りなかった。このため、当初は公団のチャーターによる貸切バスによって駅への足を確保し、数週間を経て同年10月11日より京成による運行が開始された。

2009年4月より、花見川車庫発着便の一部が大型マンションのユトリシアまで延長された。花見川車庫の路線が習志野市に乗り入れるのはこれが初めてであった。

2012年12月23日に新都心営業所習志野出張所に移管された。

花見川南線[編集]

新検見川駅を発車する「八千02」
  • 八千02:八千代台駅 - 長作新田 - 新検見川駅 - 海浜幕張駅
  • 八千02:八千代台駅 - 長作新田 - 区役所入口 - 新検見川駅
  • 八千03:柏井高校 - 花見坂上 - 八千代台駅
  • 八千03:柏井高校 - 長作新田 - 花見川区役所 - 新検見川駅
    • 1969年9月:新検見川駅 - 団地西口循環が開通。
    • 昭和40年代:新検見川駅 - 八千代台駅に延長。
    • 1991年7月15日:海浜幕張駅 - 八千代台駅に延長。
    • 1992年4月1日:柏井高校 - 八千代台駅を開通(通学輸送対応)。花見川区役所バス停開設に伴い柏井高校 - 新検見川駅を開通。
    • 2000年7月16日:営業所が長沼に変更となる。
    • 2012年12月23日:長沼営業所花見川車庫から新都心営業所習志野出張所に移管。

以前は花見川団地線と同じく花見川車庫の受け持ち路線であり、花見川団地と国鉄新検見川駅を結ぶ目的で開設された。花見川団地の記念誌である「30周年ふるさとづくりの記録」によれば、この路線の開設は入居開始時に住宅公団が提示した約束の1つであったが、道路の整備が遅れ、バスの開通も入居開始1年後まで延期された。また、当初は現在の新検見川駅ターミナルではなく、少し離れた「新検見川駅入口」という停留所を発着していた。

開業後まもなく八千代台駅へ延長され、さらに1990年代に海浜幕張駅や柏井高校に乗り入れる便ができて現在のようになった。ただし、海浜幕張駅や柏井高校を発着する便数は少なく、大半は新検見川駅 - 八千代台駅間の運行である。比較的長距離を走る便もあるが、前乗り運賃先払い制を採用していた。

コミュニティバス[編集]

八千代市コミュニティバス[編集]

ぐるっと号
  • 八千代中央駅コース:米本団地 - 八千代ふるさとステーション(米本団地発1便のみ通過) - 島田入口 - 睦運動広場 - 睦運動広場 - 睦小学校 - 麦丸本郷 - 城橋台 - 農業会館 - 八千代中央駅
  • 市営霊園コース:米本団地 → 八千代ふるさとステーション → 大学前 → 八千代市営霊園 → 小池 → 神崎 → 平戸 → 学園台五丁目 → 大学前 → 米本団地
  • 睦小学校通学支援コース朝便:米本団地 → 島田 → 平戸 → 神崎 → 学園台五丁目 → 小池 → 大学前 → 島田入口 → 睦運動広場 → 睦小学校 → 麦丸本郷 → 城橋台 → 農業会館 → 尾崎公会堂 → 桑橋 → 睦運動広場 → 睦小学校
  • 睦小学校通学支援コース夕1便:睦小学校 → 麦丸本郷 → 城橋台 → 農業会館 → 尾崎公会堂 → 桑橋 → 睦公民館 → 島田入口 → 大学前 → 小池 → 学園台五丁目 → 神崎 → 平戸 → 島田 → 米本団地
  • 睦小学校通学支援コース夕2便:睦小学校 → 麦丸本郷 → 城橋台 → 農業会館 → 尾崎公会堂 → 八千代西高校 → 睦郵便局 → 睦公民館 → 島田入口 → 大学前 → 小池 → 学園台五丁目 → 神崎 → 平戸 → 島田 → 米本団地

睦小学校通学支援コースは、春休み・夏休み・冬休みを除く平日のみ運行

    • 2012年9月1日:八千代市公共施設循環バス「ぐるっと号」に代わる試行運行として開通。
    • 2012年12月23日:長沼営業所花見川車庫から新都心営業所習志野出張所に移管。
    • 2013年9月1日:最終便の運行時間を繰り上げて、期間を延長。

ぐるっと号は、八千代市の交通不便地域を循環するコミュニティ路線であった。京成バスでは、試行運行の7ルートのうち西側を走る3ルートの運行を当所において担当している。車両は、専用塗装の小型車である。

船橋市内実証実験路線[編集]

田喜野井線のハイエース

船橋市の公共交通サービス実証実験路線として、船橋市地域公共交通活性化協議会からの補助を受けて実験運行している(船橋新京成バスが実験運行している八木が谷線及び丸山循環線もこの制度による)。

車両は船橋新京成バス八木が谷線・丸山循環線と違い、船橋市所有のハイエースを使用している。

田喜野井線[編集]

  • (無番):津田沼駅→田喜野井一丁目→三山一丁目→津田沼駅
    • 2010年12月13日:89日間の実証実験として運行開始。
    • 2011年3月11日:運行休止。
    • 2011年7月4日:2012年3月31日までの予定で運行再開。

車両[編集]

他の営業所と同じ京成バス一般塗装である。移転元の船橋営業所花輪車庫は日野自動車製の車両が、長沼営業所花見川車庫は2000年まで佐倉営業所の管轄下だったこともあり、これを引き継ぐ形でいすゞ自動車製の車両が主力だったため、習志野出張所には主に2メーカーの車両が配置されている。大型車や中型幅車は各路線で使用されるが、車長がやや長く中扉が4枚折り戸の車両もあり、花見川団地線や花見川南線を中心に使用されている。

注記[編集]

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関連項目[編集]