筑波鉄道筑波線

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筑波線
岩瀬駅のキハ503
岩瀬駅のキハ503
基本情報
日本の旗 日本
所在地 茨城県
起点 土浦駅[1]
終点 岩瀬駅[1]
駅数 18駅
開業 1918年4月17日(初開業)[1]
1918年9月7日(全通)[1]
廃止 1987年4月1日[1]
所有者 筑波鉄道
運営者 筑波鉄道
路線諸元
路線距離 40.1 km[1]
軌間 1,067 mm[1]
線路数 単線
電化方式 非電化[1]
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
STR
国鉄常磐線
STR exSTR
常南電気鉄道
0.0 土浦駅
eABZgl exABZg+r
STRr exSTR
exDST
1.5 真鍋信号所・真鍋機関区
exSTR
↑1981年まで真鍋駅 [2]
exBHF
1.7 新土浦駅
exBHF
3.9 虫掛駅
exBHF
5.8 坂田駅
exBHF
7.6 常陸藤沢駅
exBHF
9.7 田土部駅
exBHF
13.0 常陸小田駅
exBHF
15.7 常陸北条駅
exBHF
常陸大貫駅 -1943
20.2 筑波駅
exSTR
筑波山ケーブルカー
FUNI exSTR
exBHF
22.9 上大島駅
exBHF
23.8 酒寄駅
exBHF
26.9 紫尾駅
exBHF
28.2 常陸桃山駅
exBHF
30.2 真壁駅
uexKDSTeq exBHF
32.1 樺穂駅
exSTR
樺穂興業
exBHF
34.4 東飯田駅
exBHF
35.5 雨引駅
exSTR STR+l
国鉄:水戸線
exABZgl eABZg+r
40.1 岩瀬駅

筑波線(つくばせん)は、かつて茨城県土浦市土浦駅と茨城県西茨城郡岩瀬町(現・桜川市)の岩瀬駅とを結んでいた筑波鉄道(現・関鉄筑波商事)の鉄道路線である。1987年昭和62年)4月1日廃止された。国鉄分割民営化と同日であった。

概要[編集]

筑波山麓を巡る路線で、1918年(大正7年)に土浦駅 - 岩瀬駅間が開業した。さらに岩瀬から真岡を経て宇都宮への延伸計画(宇岩線)も存在したが1934年(昭和9年)に免許が失効している[3][4]。最盛期の1960年頃には常磐線接続駅の土浦駅から筑波山に至近の筑波駅まで急行列車が走り、行楽シーズンには上野駅(常磐線土浦駅経由「筑波」)や日立駅水戸線岩瀬駅経由「筑波山」)から国鉄客車列車が筑波駅まで乗り入れていた[1]

その後、モータリゼーションの進行などにより乗客が減少、1979年(昭和54年)に鉾田線鹿島鉄道)とともに関東鉄道から分離された。分離後、様々な合理化を行ったが経営は好転せず、1984年(昭和59年)には沿線自治体に事業廃止を申し入れた[1]1985年(昭和60年)10月1日からの1年間、回数券3割補助などの助成を行ったが乗客は増加せず、1987年(昭和62年)3月31日の運行を最後に翌4月1日に廃止された[1]

廃線跡はほぼ全線がサイクリングロード(茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線、愛称:つくばりんりんロード)となっており、各駅のホームなどが残るところもある[1]

なお、会社自体は関鉄筑波商事に社名変更し、現存する。主な事業としてビルおよびゴルフ場の所有と管理を行っている。

路線データ[編集]


歴史[編集]

年表[編集]

利用状況[編集]

輸送実績[編集]

筑波線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

収入実績[編集]

筑波線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

駅一覧[編集]

全駅茨城県に所在。接続路線の事業者や所在地の名称などは路線廃止時点のもの。

駅名 駅間キロ 累計キロ 接続路線 開業日 廃止日 所在地
土浦駅 0.0 0.0 日本国有鉄道常磐線 1918年4月17日 1987年4月1日 土浦市
真鍋信号所 1.5 1.5   1918年4月17日(駅開業)
1959年7月1日(貨物駅化)
1981年8月12日(信号所化)
1987年4月1日
新土浦駅 0.2 1.7   1959年7月1日 1987年4月1日
虫掛駅 2.2 3.9   1918年4月17日 1987年4月1日
坂田駅 1.9 5.8   1955年10月1日 1987年4月1日 新治郡新治村
常陸藤沢駅 1.8 7.6   1918年4月17日 1987年4月1日
田土部駅 2.1 9.7   1950年2月17日 1987年4月1日
常陸小田駅 3.3 13.0   1918年4月17日 1987年4月1日 筑波郡筑波町
常陸北条駅 2.7 15.7   1918年4月17日 1987年4月1日
常陸大貫駅       1918年4月17日 1943年
筑波駅 4.5 20.2 関東鉄道路線バス筑波山神社方面(筑波山鋼索鉄道線宮脇駅連絡) 1918年4月17日 1987年4月1日
上大島駅 2.7 22.9   1918年6月7日 1987年4月1日
酒寄駅 0.9 23.8   1959年7月1日 1987年4月1日 真壁郡真壁町
紫尾駅 3.1 26.9   1918年6月7日 1987年4月1日
伊佐々駅(開業時)
常陸桃山駅(再開業時)
1.3 28.2   1918年6月7日
1957年12月14日(再開業)
1943年(廃止)
1987年4月1日
真壁駅 2.0 30.2   1918年6月7日 1987年4月1日
樺穂駅 1.9 32.1   1922年3月20日 1987年4月1日
東飯田駅 2.3 34.4   1955年12月23日 1987年4月1日 真壁郡大和村
雨引駅 1.1 35.5   1918年9月7日 1987年4月1日
岩瀬駅 4.6 40.1 日本国有鉄道:水戸線 1918年9月7日 1987年4月1日 西茨城郡岩瀬町

尾(しいお)駅は、しばしば「尾駅」と誤表記されることが多い。ちなみに、駅名は「紫尾」であるが、地名は「椎尾」である。

筑波駅跡は、当時の駅舎・構内バス乗り場のまま「筑波山口」というバスターミナル(駅舎は関東鉄道のバス営業所事務所)として使用されており、2005年平成17年)までは「筑波駅」の表記も残っていた。現在は、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの「つくば駅」と紛らわしいために改称されている。

このほか、関東鉄道のバス停で「駅」が付くバス停の名称が、改称されることなく残っている例がある。

  • 現存するのは「北条駅入口」のみ
  • かつては「真壁駅」「上大島駅入口」も存在していたが、バス路線廃止に伴い姿を消した
  • 現「関鉄本社入口」も「新土浦駅前」の名称で長らく残っていた。関東鉄道および子会社の路線バスが「関鉄本社入口」と改称してからも、JRバス関東は「新土浦駅前」の名称で暫く通していたが、後に「真鍋一丁目」に改称された。[14]

路線廃止前の接続路線[編集]

  • 樺穂駅:樺穂興業 - 1923年8月28日開業、1954年9月30日廃止

車両[編集]

廃止時点で在籍していたのは、気動車7形式10両、ディーゼル機関車1形式1両、貨車1形式2両の計13両で、1987年(昭和62年)4月1日付けですべて除籍された。このうち、キハ30形(キハ301)、キハ500形(キハ503)、キハ504形(キハ504・505)の3両は、関東鉄道常総線の水海道機関区に回送されたが、301のみがキハ300形(キハ301)として6月に入籍され、他は解体された。

また、1985年(昭和60年)廃車のキハ461は、愛好家により公園に保存されていたが、現在は埼玉県さいたま市鉄道博物館に展示されている(後述)。

廃止時の車両[編集]

キハ300形(2代)(キハ301)
元国鉄キハ30形キハ30 16。前面の行先表示器が埋められ、塗装が塗り替えられたほかは原型を留めていた。
キハ500形(キハ503)
1959年製造の日本車輌製造東京支店で新製された片側片開き2ドア、両運転台の18m級気動車でセミクロスシート
キハ504形(キハ504・505)
1959年製造の日本車輌製造東京支店で新製された片側片開き2ドア、両運転台の18m級気動車でセミクロスシート、空気バネ台車
キハ510形(2代)(キハ511)
江若鉄道キハ5120
キハ760形(キハ761-763)
雄別鉄道のキハ49200形(キハ49200Y1-3)
キハ810形(キハ811)
元雄別鉄道キハ100形(キハ104)
キハ820形(キハ821)
国鉄キハ10形気動車のキハ10 47
DD501形 (DD501)
新三菱重工製。センターキャブのロッド式ディーゼル機関車

上記の他、車籍のないキハ540形キハ541とキハ460形キハ461が保管されていた。

路線廃止前に廃車[編集]

キクハ10形(キクハ11)
1957年日本車輌製で、ホハ1001として新製。当時としても少し古めかしいスタイルだった。すぐにキサハ53に改番され、後にエンジンを積んでキハ511(初代)となり、後に再びエンジンをおろしてキクハ11となった。筑波鉄道廃止直前に解体。
キサハ50形(キクハ50)
新宮鉄道の国鉄買収車。当初は常総線に配置され、キホハ63、後にキハ312(初代)となった。その後エンジンを下ろしてキサハ50と改番された。1970年廃車。
キサハ70形(キサハ71)
江若鉄道キニ9形キニ10。江若鉄道時代に付随車化されてハ5010となったものを1969年の江若鉄道線廃止時にキハ5211・5212と同時に譲り受け、当初は竜ヶ崎線へ配置となったが、1971年のワンマン化実施で常総線へ転属し、その後筑波線へ再転属となった。1974年廃車。
キハ300形(初代)(キハ301-303)
1937年日本車両製。筑波鉄道(初代)唯一の自社発注ガソリンカー。偏心台車を使っていた。302は1963年に南部縦貫鉄道に移籍、キハ103となった。301と303が機械式気動車の淘汰で1970年に廃車になったが、南部縦貫鉄道に行った302は1980年まで使用された(晩年はエンジンが動かず、客車として使っていたらしい)。
キハ310形(初代)(キハ311)
元国鉄キハ40009。1970年に廃車となった。
キハ400形(キハ401・402)
播丹鉄道の国鉄買収車。高知鉄道キハニ2000の正面を丸妻4枚窓にして、荷物室をなくしたようなスタイルの車両。401は1974年に、402は一足早く1972年に廃車になった。
キハ460形(キハ461・462)
元北陸鉄道キハ5211・5212
鉄道省キハ41056=国鉄キハ04 8遠州鉄道キハ802→北陸鉄道キハ5211→関東鉄道キハ461
国鉄キハ04 6→遠州鉄道キハ801→北陸鉄道キハ5212→関東鉄道キハ462
関東鉄道ではほぼキハ41000系統が淘汰された頃になってから転入してきた。これは、通常のキハ41000より大型のエンジンを搭載している上に、液体式変速機を備えて総括制御化されていることが理由という説もある。461は1985年に、462は一足早く1981年に廃車になった。461は除籍後も車庫で保存され、廃線後は愛好家達によって整備されて、つくば市桜交通公園(旧 新治郡桜村)に保存されていたが、屋根の腐食(雨漏り)が激しく、苦労していた。しかし、現存する数少ないキハ41000として、埼玉県さいたま市で2007年に開館する鉄道博物館に収蔵されることになり、東日本鉄道文化財団に寄贈された。
キハ540形(キハ541)
元北陸鉄道キハ5301(1957年日本車輌製)当初は付随車だったが、1963年にエンジンを搭載、気動車になった。両端のバケットが特徴的だったが、廃止より前に休車になっていた。
キハ705形(キハ705-707)
後に常総線のキハ610形(705→613、706→614、707→611)に改造される。
キハ810形(キハ812)
元雄別鉄道キハ105、廃止直前の事故で大破し廃車
キハ40084形(キハ40084)
常総線から転入、1972年廃車
キハ41000形
元国鉄キハ04。41005・41006は後に鉾田線に転属、トルコン化、総括制御化、片運転台化され、キハ411・412となる。
ホハフ200形(2代)(ホハフ201)
北海道鉄道キハ502→弘南鉄道ホハ2→関東鉄道ホハフ201(2代)、1972年廃車

代替バス[編集]

廃線直後、関東鉄道は、土浦 - 北条 - 筑波 - 真壁 - 岩瀬間などに路線バスを運行し、廃線後もほぼ全駅(駅付近を含む)エリアをカバーしていた。その後、筑波 - 岩瀬間の代替バスは廃止となり、真壁などへ公共交通機関で到達することはできなくなった。

開始時[編集]

土浦 - 筑波間[編集]

この区間には筑波線廃止以前より、国道125号を経由する路線バスが存在していたため、この系統が実質列車代替バスとなっている。また北条までは土浦駅 - 下妻駅系統が同一経路で運行していたほか、土浦駅からの区間便(主に高岡(土浦市)で完結するものが中心)も多数運行されていた。

この区間では、筑波線廃止時にバス停の新設は行われなかった。元々この区間のバスは、国道125号沿いの人口が多い地区を結んでいる一方で、筑波線の駅(特に坂田・常陸藤沢・田土部の各駅)は地区の外れに駅が設けられていた。このため、この3駅の近隣にはバス停は新設されず、駅から離れてはいるものの地区の中心にあるバス停で代替される形となった

  • 常陸小田駅に関しては理由が異なり、駅は地区の中心地にあったものの、道が狭隘なのと既存のバス停が中心地と離れていないことから、駅近くにバス停は新設されなかった
  • 虫掛駅付近には、関東鉄道による列車代替バスは運行されていない。一番近いバス停はJRバス関東 南筑波線(土浦駅 - 篠崎転向場)の虫掛橋停留所(2008年3月31日をもって廃止)であり、土浦駅に出る場合に関してはこの路線が代替になっていた。

筑波 - 岩瀬間[編集]

この区間には元々バスはなく(厳密に言えば、上大島駅までは筑波駅 - 下館駅系統のバスが運行されている。ただしこれは、筑波線の廃止以前から存在していた系統である)、筑波線廃止の際に筑波 - 真壁 - 岩瀬間に代替バスが新設された。筑波駅 - 岩瀬駅の系統が中心だが、一部土浦駅 - 真壁駅(筑波駅経由)を直通するバスも存在している。一方で、真壁駅以遠から土浦駅への直行便は設定されたことはない。

現状[編集]

土浦 - 筑波間と筑波 - 岩瀬間で、様相が大幅に異なっている。

土浦 - 筑波間[編集]

土浦 - 北条 - 筑波の系統は、現在も毎時1本の水準を維持している。この本数は、廃止以前からほぼ同数であり、また列車の最晩年の本数とほぼ同水準である。北条まで同一経路で運行している土浦 - 下妻系統を加えると、北条までは毎時2本程度の運行、さらに藤沢(旧新治村の中心地)までは土浦 - 高岡(旧新治村内)の系統も加わり、毎時3ないし4本程度確保されている。

  • 以前は多数の系統が存在していた土浦駅からの区間便であるが、最近になって土浦 - 高岡系統に一本化された。

筑波 - 岩瀬間[編集]

この区間は、代替当初は列車と同水準の便数があったものの、年を追う毎に減少していった。2005年(平成17年)につくばエクスプレスつくば駅との間に関鉄グリーンバスによる急行バスの運行が開始されるものの、真壁駅 - 岩瀬間の一般路線(急行除く)に至っては2006年(平成18年)10月1日に全便休日運休路線となり、2008年(平成20年)4月には廃止された。

  • 急行バスは、主に駅があった地区の各一箇所のみ停車するが、酒寄と桃山は通過していた(2007年3月31日廃止)。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 34頁
  2. ^ 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1』新潮社、2008年、p.40
  3. ^ a b 「鉄道免許失効」『官報』1934年1月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 森口誠之『鉄道未成線を歩く私鉄編』JTB、2001年、p.188
  5. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年4月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年4月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年6月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年9月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1928年5月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b c 鉄道ジャーナル』第21巻第6号、鉄道ジャーナル社、1987年5月、 111頁。
  12. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 9頁
  13. ^ a b 『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 11頁
  14. ^ その後、JRバス関東山ノ荘線廃止に伴い、JRバスの「真鍋一丁目」バス停も廃止された

参考文献[編集]

  • 中川浩一 『茨城の民営鉄道史』 筑波書林1981年
  • 中川浩一 『茨城県鉄道発達史』 筑波書林、1981年
  • 宮脇俊三編著 『鉄道廃線跡を歩く』2、JTB1996年ISBN 4533025331
  • 寺田裕一 『私鉄廃線25年』 JTB、2003年ISBN 4533049583
  • 曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]