久留米大学附設中学校・高等学校

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久留米大学附設中学校・高等学校
Kurumedaigaku-fusetu.JPG
久留米大学附設中学校・高等学校校門
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人久留米大学
設立年月日 1950年
創立記念日 4月28日
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
高校コード 40548F
所在地 839-0862
公式サイト 附設中学校・高等学校 - 久留米大学ホームページ
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久留米大学附設中学校・高等学校(くるめだいがくふせつちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、福岡県久留米市野中町20番2号に所在し、中高一貫教育を提供する学校法人久留米大学が運営する私立中学校高等学校。高等学校においては、中学校から入学した生徒と高等学校から入学した生徒との間では第2学年で混合したクラスを編成する併設混合型中高一貫校

略称は久留米大附設、あるいは単に附設(「設」は本来誤表記だが、新聞記事ではこちらが用いられる[1])。

「附中」と間違われることがあるが、この場合同じ久留米市内の「福岡教育大学附属久留米中学校」を指すことになる。市内を走る久留米市内を走る西鉄バスの行先表示機では、当校は「附設高」、附属久留米中学校は「附属校前」という風に略称を変えて混同を防いでいる。

概要[編集]

旧制・私立九州医学専門学校学制改革に伴い新制・久留米大学となる中で1950年昭和25年)、久留米大学商学部構内に創立。旧制・私立九州医学専門学校も元々は久留米市の官民挙げての設立であり、研究・教育のノウハウを活かして設立された。創立にあたり久留米大学初代学長兼第3代理事長小野寺直助は、

  1. 「久留米大学に進学する性格の学校ではなく、また男子校である必要性」、
  2. 「心身の鍛練のため、文武両道の必要性」、
  3. 「受験にとらわれずに純粋に学問を探究し、志望校に合格できるだけの力をつける必要性」、
  4. 「教師、校長の人材の必要性」

を唱え、九州大学医学部教授板垣政参(旧制盛岡中学で一年先輩、京都帝国大学福岡医科大学(九州大学医学部の前身)で同僚)を初代校長として招聘、旧制中学教育の良い面を継承し、戦後復興と平和に貢献できる人材の育成を目指した。その希求は校歌の歌詞にも謳われている(作詞は草創期に国語教諭の大石亀次郎)。

また、九州医学専門学校創立に寄与した石橋正二郎ブリヂストン創業者)が財団法人石橋財団を通じて移転用地買収資金を寄付し、1968年(昭和43年)、現在の野中町に移転。1969年(昭和44年)、附設中学校設立。中高一貫校となる。

「附設」という呼称は、設立の際に大学の下位に属する「附属」ではなく大学の学部と同列に位置付けるという方針による。実際に久留米大学への内部推薦制度などはなく、進学者も少ない[2][3]

学校から東側には高良山が見える。クルメツツジの咲く頃には遠足で訪れたり、クラブ活動で走って登ったりもする。北側には筑後川流域の筑後川の戦いの舞台が見える。

かつては浪人生に学習指導を行うために補習科を設置していたが、現在は廃止されている。

2005年平成17年)度から、高校が男女共学化。2013年(平成25年)度から中学も男女共学になった。男子には「扶桑学寮」(中学:168名、高校:192名)が校内に設置されている。

2011年(平成23年)、九州新幹線の鹿児島ルート全通開通により、熊本方面からも通いやすくなった。

共学化後も男子校の特色の名残がある。高校文化祭の名称は「男く祭(おとこくさい)」である。生徒達のみで作られる文化祭として有名。なお、「男く祭」の名称は久留米の方言で標準語の終助詞・間投詞の「さ」を「さい」「くさい」あるいは「くさ」ということからきており、「(俺達は)男だ!」位の意味であるが、もちろん「男臭い」にもかけてある。なお、元々は久留米大学の学園祭「あのく祭」(あのくさい、標準語で「あのね」位の意味)からきている。

沿革[編集]

年表[編集]

  • 1950年昭和25年)久留米大学商学部商学科の敷地内に久留米大学附設高等学校を設立(同年4月より学校教育開始)。
  • 1968年(昭和43年)現在地に移転。
  • 1969年(昭和44年)中学校を設立。新年度より中高一貫教育を開始。
  • 2005年平成17年)新年度入学生より高校が男女共学となる。
  • 2011年(平成23年)後期より新校舎(東棟)の供用を開始。
  • 2013年(平成25年)新年度入学生より中学も男女共学となる(中学44回生まで男子学級)。

教育方針など[編集]

入試・クラス編成[編集]

中学入試で160名(4クラス)、高校入試で40名(1クラス)を募集している。創立以来ずっと男子のみの募集だったが、高校2005年度から、中学は2013年度から女子(ただし自宅から通学が条件)を受け入れるようになった。2005年度の高校共学化の際は、一部のOB、教員、生徒会などからかなりの反対意見があったものの、高校からの入学者の学力水準を維持することとなり、さらに2013年度の中学共学化により高校での運営形態が中学でも実現できる中高一貫教育となった。「扶桑学寮」(#寄宿舎を参照)という男子寮を校内に設けており、男子は九州全域をはじめ、西日本各地からの入学者がいる。

高校からの入学者は1年次は別学となり、2年に進級した際、5クラスを混合して文系・理系クラスに分けられる。

生徒会活動[編集]

中高とも体育祭・送別球技大会等の行事を生徒会の総務委員会が中心となって運営する。会長選挙は中学が9月頃、高校が5月頃。なお、中学の選挙には会長候補と議長候補が立候補し、当選後、会長による副会長・議長・副議長・書記長・書記(2名)・会計長・会計(2名)の任命によって10名からなる総務委員会が発足する。また、同時に各生活委員会(風紀・学習・環境・体育・保健・図書)の委員長・副委員長も任命される。

部活動[編集]

下校時刻が18時のためさほど活発ではないが、最近では囲碁将棋部やテニス部、演劇部、陸上部、ディベート部、クイズ研究部などが全国大会に出場した。

第38回全国高等学校総合文化祭2014年茨城県)では高校演劇部が全国優勝した(題目「女子高生」)。演劇で全国優勝は福岡県としても初めてのことであった[4]

寄宿舎[編集]

「扶桑学寮」という名の男子寮を校内に設けている。高校寮(定員192名)と中学寮(定員168名)は別棟。入寮は自由で、寮生よりも通学生の割合が多い(およそ1:3)。

歌会始[編集]

長期休暇の課題として、同校元教諭で佐藤佐太郎の門人である大津留敬の指導の下、短歌作りを定めている。歌会始では度々生徒が入選や佳作に選ばれている。

校歌[編集]

スローワルツ風の三拍子校歌は、全国的に見ても稀である。

大学進学実績[編集]

東京大学京都大学慶應義塾大学早稲田大学といった全国トップクラスの難関国公立・私立大学へ、毎年多くの合格者を輩出している。また、国公立大学医学部にも多くの合格者を輩出しており、特に、地元の九州大学医学部医学科(定員111名)には毎年20~30名程度の合格者を輩出している。

交通アクセス[編集]

バス

歴代校長[編集]

  • 初代 1950-1959 板垣政参
  • 二代 1959-1961 楢崎広之助
  • 三代 1961-1965 大内覚之助
  • 四代 1965-1979 原巳冬
  • 五代 1979-1990 世良忠彦
  • 六代 1990-1993 緒方道彦
  • 七代 1993-1998 鹿毛勲臣
  • 八代 1998-2006 樋口忠治
  • 九代 2006-2008 古田智信
  • 十代 2008-2017 吉川敦
  • 十一代 2017-    町田健

著名な出身者[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本新聞協会の用語懇談会が「」の不使用を決めているため、固有名詞にもかかわらず「設」と書かれることが多い。
  2. ^ 大学合格実績 - 久留米大学ホームページ
  3. ^ 国立大学の附属高校には原則的に母体大学への内部推薦など優先的な進学特典はない。附属学校参照。
  4. ^ 男女逆転劇が全国を制す!久留米大学附設『女子高生』が最優秀賞を戴冠!

外部リンク[編集]