ヨーロッパの祖母

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ヨーロッパの祖母(ヨーロッパのそぼ、英語:Grandmother of Europe)は、

  1. アリエノール・ダキテーヌ1122年 - 1204年) - フランス王妃、ついでイングランド王妃
  2. マリア・テレジア1717年 - 1780年) - 神聖ローマ皇后、ハンガリー女王、ボヘミア女王ほか
  3. ヴィクトリア女王1819年 - 1901年) - 英国女王ほか

などを指す呼称。

アリエノール・ダキテーヌ[編集]

アリエノール・ダキテーヌ

アリエノールはイングランド王、エルサレム王、フランス王、神聖ローマ皇帝ナバラ王という豪華な子孫たちを持った。もともと南フランスのポワティエの女相続人で、フランス王家よりも富裕であり王妃になるのは当然だったが、端正ではあっても信心深く控えめだったルイ7世とは離婚、イングランド王位継承権を持つ11歳年下のヘンリー2世と再婚した。

しかし、やがて夫に愛人ができ別居、ヘンリー2世は母親に似た息子達と対立を深め[1]、親子戦争の果てにリチャード獅子心王が王位を継いだ。

アリエノール・ダキテーヌの子女[編集]

フランス王ルイ7世との間の子女として2女がいる(夭折は除く)。

  1. マリー1145年 - 1198年) - シャンパーニュ伯アンリ1世
  2. アリックス1150年 - 1183年) - ブロワ伯ティボー5世

イングランド王ヘンリー2世との間の子女として4男3女がいる(夭折は除く)。

  1. ヘンリー1155年 - 1183年) - イングランド王(父王と共治、1170年 - 1183年)
  2. マティルダ1156年 - 1189年) - ザクセン公ハインリヒ(獅子公)
  3. リチャード1157年 - 1199年) - イングランド王(獅子心王)
  4. ジェフリー1158年 - 1186年) - ブルターニュ公ジョフロワ2世
  5. エレノア1162年 - 1215年) - カスティーリャ王アルフォンソ8世の王妃
  6. ジョーン1165年 - 1199年) - シチリア王グリエルモ2世の王妃、のちトゥールーズ伯レーモン6世の妃
  7. ジョン1167年 - 1216年) - イングランド王(欠地王)

アリエノール・ダキテーヌの子孫[編集]

以下には、君主あるいはそれに準ずる人物の系譜のみを列記する。

シャンパーニュ伯妃マリーの子孫[編集]

  • アンリ2世(1166年 - 1197年) - エルサレム王アンリ1世(妃のイザベル1世と共治)
  • チボー3世(1179年 - 1201年)
    • チボー4世(1201年 - 1253年) - ナバラ王テオバルド1世

ブロワ伯妃アリックスの子孫[編集]

  • ルイ1世(1172年 - 1205年) - ブロワ伯
  • マルグリット(1170年 - 1230年) - ブロワ女伯

ザクセン公妃マティルダの子女[編集]

  • オットー(1175年? - 1218年) - 神聖ローマ皇帝オットー4世

ブルターニュ公ジョフロワ2世の子女[編集]

カスティーリャ王妃レオノールの子女[編集]

イングランド王ジョンの子女[編集]

「女帝」マリア・テレジア[編集]

マリア・テレジア1759年画)

マリア・テレジアは、神聖ローマ帝国の皇后であり「女帝」ではない。しかし、ハプスブルク家の家督を相続したため、王位・称号を多数有し、事実上の女帝として統治した。

マリア・テレジアは、子・孫の世代に多数の君主・妃を出し、またそれぞれの子孫同士でも婚姻が結ばれているため、ヨーロッパの曾祖母(英語:Great-Grandmother of Europe)とも呼ばれる。

マリア・テレジアの子女[編集]

神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンとの間に、5男11女がある。以下には、成人した4男6女を列記する。

マリア・テレジアの子孫[編集]

16人の子女のうち、10人が成人したが、そのうち子孫が繁栄したのはわずかに4人にすぎない。

唯一恋愛結婚を許された、愛娘マリア・クリスティーナには子が無かった。ヨーゼフ2世マリー・アントワネットの子は夭折したり、子に恵まれず、その系譜は絶えた。末子マクシミリアン・フランツは聖職者になったため、他2人の娘は修道院に入ったため、結婚していない。

ともに10人以上の子に恵まれた、レオポルト2世と、ナポリ王妃マリア・カロリーナの子同士が結婚(いとこ婚)している。

以下には、君主あるいはそれに準ずる人物のみ列記する。なお、人名は原則としてドイツ語表記。

パルマ公妃マリア・アマーリアの系譜[編集]

神聖ローマ皇帝レオポルト2世の系譜[編集]

レオポルト2世とその家族

ナポリ王妃マリア・カロリーナの系譜[編集]

マリア・カロリーナとその家族

既出の人物については、前節を参照。以下、人名は各言語表記。

オーストリア=エステ大公フェルディナントの系譜[編集]

オーストリア=エステ家の始祖。

英国女王ヴィクトリア[編集]

ヴィクトリア女王(1887年撮影)

ヴィクトリア女王の子女[編集]

アルバート公との間に4男5女がいる。

  1. ヴィクトリア1840年 - 1901年) - ドイツ皇帝フリードリヒ3世
  2. エドワード1841年 - 1910年) - 英国王エドワード7世
  3. アリス1843年 - 1878年) - ヘッセン大公ルートヴィヒ4世
  4. アルフレッド1844年 - 1900年) - ザクセン=コーブルク=ゴータ公エディンバラ公
  5. ヘレナ1846年 - 1922年) - シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公子フリードリヒ・クリスティアン・カール夫人
  6. ルイーズ1848年 - 1939年) - アーガイル公ジョン・ダグラス・サザーランド・キャンベル夫人
  7. アーサー1850年 - 1942年) - コノート
  8. レオポルド1853年 - 1884年) - オールバニ
  9. ベアトリス1857年 - 1944年) - バッテンベルク公ハインリヒ・モーリッツ

ヴィクトリア女王の孫[編集]

4代の君主。左から、ジョージ5世、女王、エドワード7世エドワード8世

ヴィクトリア女王は、突然変異により血友病保因者であった。そのため、欧州各国の王家で血友病を発病した男子が誕生し、様々な悲劇をもたらした。特に、女王の曾孫にあたるロシア皇太子アレクセイの治療のため、皇帝夫妻はラスプーチンの専横を許す事態となり、ロシア革命の遠因となったことが著名である。なお、現在までに、血友病の血統は絶えている。

以下には、君主あるいはそれに準ずる人物のみ列記する。

ドイツ皇后ヴィクトリアの子女[編集]

英国王エドワード7世の子女[編集]

ヘッセン大公妃アリスの子女[編集]

ヘッセン大公一家(1876年撮影)

エディンバラ公アルフレッドの子女[編集]

コノート公アーサーの子女[編集]

オールバニ公レオポルドの子女[編集]

バッテンベルク公妃ベアトリスの子女[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 舞台・映画作品として『冬のライオン』が知られる

関連項目[編集]