マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ

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マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ
Maria Ludovika von Österreich-Este
オーストリア皇后
Marialudovicaaustria2.jpg
全名 マリア・ルドヴィカ・ベアトリクス・アントーニア・ヨーゼフェ・ヨハンナ(Maria Ludovika Beatrix Antonia Josephe Johanna
出生 1787年12月14日
モンツァ
死去 1816年4月7日
ヴェローナ
埋葬  
カプツィーナー納骨堂
配偶者 神聖ローマ皇帝フランツ2世
父親 オーストリア大公フェルディナント
母親 マッサ=カッラーラ女公マリーア・ベアトリーチェ・デステ
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マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ(Maria Ludovika von Österreich-Este, 1787年12月14日 - 1816年4月7日)は、マリア・テレジアの四男フェルディナント大公とその妻のマッサ=カッラーラ女公マリーア・ベアトリーチェ・デステの五女。オーストリア=エステ大公女。従兄であるオーストリア皇帝フランツ1世の3度目の妃となった。全名はマリア・ルドヴィカ・ベアトリクス・アントーニア・ヨーゼフェ・ヨハンナMaria Ludovika Beatrix Antonia Josephe Johanna)。

1808年1月6日にフランツ1世と結婚した。夫との間に子供はなく、結婚から8年後に28歳で早世した。