ケルン大司教

ケルン大司教(ケルンだいしきょう、Erzbischof von Köln、複数形は Erzbischöfe von Köln)は、カトリック教会のドイツ、ケルン教区の首長、大司教である。
中世には寄進によって膨大な領地を有し、領地及び交易都市であるケルンからの収入によって大きな経済力を持った。
1028年のハインリヒ3世(当時10歳;1039年の父の死後、神聖ローマ皇帝)のドイツ王就任以降、ケルン大司教はドイツ王の戴冠式の際、加冠の権利を行使した[1]。
神聖ローマ皇帝 フリードリヒ1世・バルバロッサ の宰相として活躍した大司教ライナルト・フォン・ダッセル(Rainald von Dassel; 1120頃-1167.8.14;大司教在位1159-67)は[2]、皇帝軍がミラノを降伏させた際に、「ケルン市のアデンティティの中核を為すに至る」三王の聖遺物を入手し、ケルンにもたらした[3]。
大司教エンゲルベルト(Engelbert I. von Berg; 1185/86-1225.11.7;大司教在位1216-25)は、神聖ローマ皇帝 フリードリヒ2世 の子息ハインリヒの後見者(1220年指名)で[4]、皇帝のイタリアへの出立以来、「勇気と英知でドイツを統轄」し、「善意の人はこの優秀な大司教を教会の柱、聖職者の鑑、ドイツの父にして守護者と呼んだが、悪意ある人にとっては、彼の容赦なき法の執行、専横に対する彼の断固たる処罰が常に癪の種だった」[5]。 ミンネザングだけでなく、政治詩の分野でも傑作を残したドイツ中世盛期の ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデは、このエンゲルベルトを「かつてのいずれの宰相よりも皇帝の誉れの勝れた保護者」と称賛する一方、彼が甥によって暗殺されると、その死を悲しみ、暗殺者を「地獄がそ奴を生きたまま ぐっと鵜呑みにしてくれるのを私は絶えず待ち受ける」と呪っている [6]。
神聖ローマ帝国の選帝侯をつとめるなど、かつては世俗にも影響力を及ぼした。この状態は1803年の帝国代表者会議主要決議でケルン大司教領が世俗化されるまで続いた。三十年戦争では、その地位をフランス王国に脅やかされた。 カトリックの牙城であった大司教座であるが、 宗教改革の影響を受け、大司教ゲープハルトは プロテスタントに改宗した。しかし、1583年ケルン司教区戦争が勃発し、ゲープハルトは追放された[7]。
2014年より、第95代のライナー・ヴェルキ(Rainer Maria Woelki)枢機卿が在任中。
ケルン教区[編集]
313年にコンスタンティヌス1世のミラノ勅令発布に伴って司教座を設置したのがはじまり。795年の大司教区昇格、1930年のアーヘン教区分離などを経て現在に至る。
関連項目[編集]
- ケルン大聖堂
- ケルン大司教ブルーノ
- マクシミリアン・フランツ・フォン・エスターライヒ
- 選帝侯ソナタ - ベートーヴェンの少年期の作品。当時の大司教マクシミリアン・フリードリヒに献呈された。
- クレメンス・アウグスト・フォン・ドロステ=フィシェリング
- ヨアヒム・マイスナー - 第94代大司教、枢機卿
脚注[編集]
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. IV. München/Zürich: Artemis 1989 (ISBN 3-7608-8904-2), Sp. 2040.およびLexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 1262.による。もっとも、1024年9月8日のコンラート2世(ハインリヒ3世の父)のドイツ王戴冠はマインツ大司教によってなされ、その妃ギーゼラの戴冠は9月21日にケルン大司教によって行われた。Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 1338.による。
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VII. München: LexMA 1995 (ISBN 3-7608-8907-7), Sp. 418-419.
- ^ 秋山聰『聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形』 講談社 2009 (ISBN 978-4-06-258441-8)、80頁。
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. III. München und Zürich: Artemis 1986 (ISBN 3-7608-8903-4), Sp. 1917.
- ^ フリードリヒ・フォン・ラウマー『騎士の時代 ドイツ中世の王家の興亡』(柳井尚子訳)法政大学出版局 1992 (叢書・ウニベルシタス 386)(ISBN 4-588-00386-0)、311頁。
- ^ 村尾喜夫訳注『ワルターの歌』(Die Sprüche und der Leich Walthers von der Vogelweide )三修社、1969年8月、170-171頁と174-175頁。- Friedrich Maurer: Die politischen Lieder Walthers von der Vogelweide. Tübingen: Niemeyer 1964, S. 105.
- ^ 菊池良生『戦うハプスブルク家-近代の序章としての三十年戦争』(講談社現代新書 1282)講談社、1985年12月(ISBN 4-06-149282-9)、27頁。