ジョフロワ2世 (ブルターニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ジョフロワ2世
Geoffrey II of Brittany
ブルターニュ公
Geoffrey2.jpg
在位 1181年 - 1186年

称号 リッチモンド伯
出生 (1158-09-23) 1158年9月23日
イングランド王国の旗 イングランド王国
死去 (1186-08-19) 1186年8月19日(27歳没)
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国パリ
埋葬 Royal Standard of the King of France.svg フランス王国パリノートルダム大聖堂
配偶者 ブルターニュ女公コンスタンス
子女 一覧参照
家名 プランタジネット家
父親 イングランドヘンリー2世
母親 アリエノール・ダキテーヌ
テンプレートを表示
ブルターニュ公ジョフロワ2世のシール

ジョフロワ2世Geoffroy IIブルトン語: Jafrez II1158年9月23日 - 1186年8月19日[1])は、イングランドプランタジネット朝の王族、フランスの貴族。英語名はジェフリーGeoffrey)。ブルターニュ女公コンスタンスと結婚し、ブルターニュ公(在位:1181年 - 1186年)およびリッチモンド伯となった。

イングランド王ヘンリー2世と妃アリエノール・ダキテーヌの四男。異父姉にマリーアリックス、同父母の兄弟姉妹では兄にウィリアム若ヘンリー王リチャード1世、姉にマティルダ、弟にジョン、妹にエレノアジョーンがいる。

生涯[編集]

1166年、ブルターニュを狙う父の策略でブルターニュ公コナン4世英語版の娘コンスタンスと婚約、1169年には2人の兄と共に父にフランスのモンミライユ英語版へ連れられ、アンジュー帝国における大陸領でフランス王ルイ7世へ臣従、1170年に領土相続を決めた父からブルターニュの継承を認められた。しかし両親が不仲になると母が主催したポワティエの宮廷で過ごし、1173年に次兄若ヘンリー王が父に反乱を起こすと、母とルイ7世の後ろ盾を得て三兄リチャード(後のリチャード1世)と共に反乱に加勢した。だが父の反撃で反乱が鎮圧されると降伏、母は幽閉されたがブルターニュ領有を認められ、1175年にリチャードと共に父へ臣従した[2]

1182年、リチャードのアキテーヌ公領所有に不満を持つ若ヘンリー王が父やリチャードに反抗すると、若ヘンリー王を宥めることを優先した父の命令で次兄に臣従の誓いを捧げたが、リチャードが臣従せず若ヘンリー王と対立すると次兄について父と争った。だが翌1183年に次兄は病死し、ジョフロワもブルターニュに逃亡した[3]

若ヘンリー王の死後、父がアキテーヌをリチャードから末弟ジョンに譲らせることを画策、反発したリチャードと父との抗争においてはジョンと共に父側につきリチャードと争った。翌1184年のアンジュー帝国の領土相続を話し合った家族会議では他の兄弟と協調姿勢を取ったが、内心ジョンを優遇する父の相続方針に不満だったためフィリップ2世に接近、1186年にフィリップ2世の招待に応じてフランスで過ごした[4]

同年8月、パリにおいて馬上槍試合中に落馬して死去(熱病により死去したとも言われている)[5]、死後7ヶ月後に長男アルテュール(アーサー)が生まれた。1199年の三兄リチャード1世の死後、弟ジョンがイングランド王位に就いているが、リチャード1世は第3回十字軍参加前、ジョフロワの遺児でブルターニュ公位を継いだアルテュールを後継者に考えていた(後にリチャード1世はジョンを後継者とした)[6]。アルチュールは1203年にジョン王により暗殺されたとみられている[7]

ジョフロワはジョンと似た者同士と言われ、低い背と浅黒い肌で文才も騎士としての器量は無かったとされるが、トルヴェールガス・ブリュレと宮廷詩を交わし合い、狡猾で弁舌が巧みで人を騙すことに長けていた。母のポワティエの宮廷で共に過ごした異父姉マリー・ド・シャンパーニュにその才智を愛され、彼女はジョフロワの葬儀に出席している[8]

子女[編集]

1181年7月にコンスタンスと結婚し、1男2女をもうけた。

  • エレオノール(エレノア、1184年 - 1241年) 
  • マティルド(マティルダ、モード、1185年 - 1189年)
  • アルテュール(アーサー、1187年 - 1203年) - ブルターニュ公

脚注[編集]

  1. ^ Geoffrey IV duke of Brittany Encyclopædia Britannica
  2. ^ 桐生、P130 - P131、P146、P163 - P164、P174 - P175、石井、P270 - P271、P280、P296、P301 - P309、ルゴエレル、P44 - P45、P53 - P58、ペルヌー、P14 - P15、P19、P24、P38 - P39、P42、P45。
  3. ^ 富沢、P118、桐生、P187 - P195、石井、P318 - P320、ルゴエレル、P67、ペルヌー、P60、P62。
  4. ^ 森、P57、桐生、P197 - P199、ペルヌー、P67。
  5. ^ 桐生、P199、石井、P327、ルゴエレル、P68、ペルヌー、P69、A. Weir、P62。
  6. ^ 森、P76。
  7. ^ 桐生、P291 - P293、石井、P394、ルゴエレル、P82、A. Weir、P63。
  8. ^ 桐生、P156、P199、石井、P296、ペルヌー、P33。

参考文献[編集]

先代:
コナン4世
コンスタンス
ブルターニュ公
Armoiries du duché de Bretagne.png
1181年 - 1186年
コンスタンスと共同統治
次代:
コンスタンス
アルテュール1世