ジョフロワ2世 (ブルターニュ公)

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ジョフロワ2世
Geoffrey II of Brittany
ブルターニュ公
Geoffrey2.jpg
称号 リッチモンド伯
出生 (1158-09-23) 1158年9月23日
イングランド王国の旗 イングランド王国
死去 (1186-08-19) 1186年8月19日(27歳没)
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国パリ
埋葬  
Royal Standard of the King of France.svg フランス王国パリノートルダム大聖堂
配偶者 ブルターニュ女公コンスタンス
子女 エレオノール
マティルド
アルテュール
父親 イングランドヘンリー2世
母親 アリエノール・ダキテーヌ
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ブルターニュ公ジョフロワ2世のシール

ジョフロワ2世Geoffroy IIブルトン語: Jafrez II1158年9月23日 - 1186年8月19日)は、イングランドヘンリー2世と妃アリエノール・ダキテーヌの四男。英語名はジェフリーGeoffrey)。ブルターニュ女公コンスタンスと結婚し、ブルターニュ公(在位:1181年 - 1186年)およびリッチモンド伯となった。

生涯[編集]

1183年、次兄リチャード(後のリチャード1世)のアキテーヌ領有に不満を持つ長兄若ヘンリー王とともに父ヘンリー2世と争ったが、まもなく長兄ヘンリーは病死し、ジョフロワもブルターニュに逃亡した[1]。その後、ヘンリー2世と次兄リチャードとの抗争においては父ヘンリー2世側につきリチャードと争った[2]。1186年、ジョフロワはパリにおいて馬上槍試合中に死去し[3]、その死後7ヶ月後に長男アルテュール(アーサー)が生まれた。次兄リチャード1世の死後、弟ジョンがイングランド王位に就いているが、リチャード1世は十字軍参加前、ジョフロワの遺児でブルターニュ公位を継いだアルテュールを後継者に考えていた[4]。アルチュールは、1203年にジョン王により暗殺されたとみられている[5]

ジョフロワは母アリエノールのポワティエの宮廷で共に過ごした異父姉マリー・ド・シャンパーニュに、その才智を愛されていた。

子女[編集]

1181年7月にコンスタンスと結婚し、1男2女をもうけた。

  • エレオノール(エレノア、1184年 - 1241年) 
  • マティルド(マティルダ、モード、1185年 - 1189年)
  • アルテュール(アーサー、1187年 - 1203年) - ブルターニュ公

脚注[編集]

  1. ^ 富沢、p. 118
  2. ^ 森、p. 57
  3. ^ ペルヌー、p. 69。熱病により死去したとも言われている(A. Weir, p. 62)。
  4. ^ 森、p. 76。後にリチャード1世は弟ジョンを後継者とした。
  5. ^ A. Weir, p. 63

参考文献[編集]

  • 富沢霊岸 『イギリス中世史』 ミネルヴァ書房、1988年
  • 森護 『英国王室史話』 大修館書店、1986年
  • レジーヌ・ペルヌー 『リチャード獅子心王』 白水社、2005年
  • A. Weir Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
先代:
コナン4世
コンスタンス
ブルターニュ公
CoA dukes of Bretagne 1316-1514 (chivalric).svg
1181年 - 1186年
コンスタンスと共同統治
次代:
コンスタンス
アルテュール1世