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マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナ
Maria Teresa d'Asburgo-Toscana
サルデーニャ王妃
マリア・テレーザと2人の息子の肖像(フェルディナンド・カヴァッレリ英語版作、1832年)
在位 1831年4月27日 - 1849年3月23日

出生 (1801-03-21) 1801年3月21日
オーストリア帝国の旗 ハプスブルク帝国ウィーン
死去 (1855-01-12) 1855年1月12日(53歳没)
サルデーニャの旗 サルデーニャ王国トリノ
埋葬 サルデーニャの旗 サルデーニャ王国スペルガ大聖堂
結婚 1817年9月30日 フィレンツェ
配偶者 サルデーニャカルロ・アルベルト
子女 ヴィットーリオ
フェルディナンド
マリア・クリスティナ
家名 ハプスブルク=ロートリンゲン家
父親 トスカーナ大公フェルディナンド3世
母親 ルイーザ・マリア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
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マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナイタリア語: Maria Teresa d'Asburgo-Toscana1801年3月21日 - 1855年1月12日)は、サルデーニャカルロ・アルベルトの妃。

生涯

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トスカーナ大公フェルディナンド3世と妃ルイーザ・マリアの三女として、ウィーンで生まれた。当時、父フェルディナンド3世はナポレオン・ボナパルトに国を占領され亡命の身であった。

1817年にトスカーナのフィレンツェで、当時はカリニャーノ公だったカルロ・アルベルトと結婚した。2人は3子をもうけた。

1849年に夫と死別後、公の場に姿を現すことはなく、1851年には故国トスカーナへ戻った。1855年に死去し、トリノスペルガ聖堂へ埋葬された。

マリア・テレーザ・ダズブルゴ=トスカーナ

1801年3月21日 - 1855年1月12日

イタリア王室
先代
マリア・クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
サルデーニャ王妃英語版
1831年4月27日 – 1849年3月23日
次代
マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ