ハインリヒ・フォン・プロイセン (1862-1929)

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第一次世界大戦時のハインリヒ

ハインリヒ・フォン・プロイセン(Heinrich von Preußen, 1862年8月14日 - 1929年4月20日)は、プロイセン王国の王族・軍人。全名はアルベルト・ヴィルヘルム・ハインリヒAlbert Wilhelm Heinrich)だが、もっぱらハインリヒと呼ばれる。フリードリヒ3世の次男で、ヴィルヘルム2世の弟。ドイツ帝国海軍で司令官として軍歴を積み、最終的には海軍元帥に任じられた。

ハインリヒは1862年8月14日、フリードリヒ3世(当時皇太子)とその妃であったイギリス女王ヴィクトリアの王女ヴィクトリアの間に第三子として生まれた。1888年5月24日に従妹にあたるイレーネ(1866年 - 1953年、ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の娘)と結婚し、以下の三男をもうけた。

釈迦ヶ池遊猟事件[編集]

1879年5月、海軍士官候補生時代に来日、皇族として待遇され歓迎を受ける。

1880年2月7日、大阪府島下郡小路村(現・大阪府吹田市岸部北)の「禁猟制札の場所」である釈迦ヶ池(吉志部神社のある紫金山の背後に位置する)で、当時神戸に滞在していたハインリヒは、禁猟区域であるにもかかわらずお供を連れてお忍びで鴨猟をしていた[1]。そのため、皇孫だということを知らない七尾村の井田元吉がハインリヒを殴打した[2]。このことに立腹したプロイセン王国側が、その翌日、皇孫に対して不敬のふるまいがあったとして、大阪府ならびに外務省に抗議を申し入れたため、外交問題に発展した[3]。談判の結果、同月14日に至って、大阪府庁と吉志部神社で「謝罪式」が行われ、関係者13名が処分され落着した[4](取調処理を安直にすませた巡査8人は不敬を犯したとして免職、警部5人は1か月の俸給停止処分を受けた[5])。

ドイツ東洋艦隊艦艇に乗り組んでいたため、両年にわたり数度日本に上陸した。

脚注[編集]

  1. ^ 藤田弘道 1980年「ドイツ皇孫『釈迦ヶ池』遊猟事件」『吹田の歴史』7:41
  2. ^ 1990年「釈迦ヶ池の遊猟事件」『郷土吹田の歴史』、pp.170-171
  3. ^ 藤田弘道 1980年「ドイツ皇孫『釈迦ヶ池』遊猟事件」『吹田の歴史』7:41
  4. ^ 藤田弘道 1980年「ドイツ皇孫『釈迦ヶ池』遊猟事件」『吹田の歴史』7:41
  5. ^ 1990年「釈迦ヶ池の遊猟事件」『郷土吹田の歴史』、p.171

関連項目[編集]