ブルークリスマス

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ブルークリスマス
Blood Type: Blue[1]
The Blue Stigma
監督 岡本喜八
脚本 倉本聰
製作
出演者
音楽 佐藤勝
主題歌 チャー(Char)
「ブルークリスマス」
撮影 木村大作
編集 黒岩義民
配給 東宝
公開 日本の旗 1978年11月23日[1]
上映時間 133分[注釈 1]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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ブルークリスマス』は、1978年昭和53年)[2]11月23日に公開された日本映画。実際の映画プリントのタイトルは「ブルークリスマス BLOOD TYPE:BLUE」と英語副題がつく。東宝映画製作、岡本喜八監督により、倉本聰のオリジナルシナリオ『UFOブルークリスマス』を映画化した。

アメリカ映画スター・ウォーズ』によるSFX映画ブームの渦中にあって、特撮映画の本家である東宝が「特撮を一切使わないSF映画」を目指した意欲作として知られる[3][4][注釈 2]

カラー、スタンダード・サイズ。

映画化の経緯[編集]

倉本聰のオリジナルシナリオは、UFOと地球人類の遭遇そのものよりも、それによってもたらされる変化を異物として排除しようとする国家の謀略に重点を置いた政治ドラマである。その謀略は、最終的には軍事力による青い血の人間根絶で達成されるが、その過程として倉本は、放送メディアを利用した政治的プロパガンダを執拗しつように描く。

倉本のシナリオは製作の前年に『キネマ旬報』に掲載されて、それを当時東宝映像の社長だった田中友幸が目に留めたことが製作の契機になっている。田中は東宝特撮映画のプロデューサーであると同時に、『マタンゴ』(1963年)の頃にはSF作家を招いた企画会議を開催するなど大のSFマニアとしても知られる人物で、そうした性格が東宝のお家芸である特撮とは縁遠い倉本の脚本を「SFとして面白ければ」として受け入れる英断につながった。

岡本喜八の起用は長年コンビを組んできた田中の要望によるものだったが、岡本自身UFOとの遭遇を常に夢見ているような性格だったという。岡本は映画の公開に併せて出版されたシナリオ本の序文で、1977年のクリスマス・イブに倉本の脚本を思いがけない「プレゼント」として喜んで受け取ったことを述懐している。また、即座にカメラマンを手配してクリスマスの実景を撮りまくった[注釈 3]。しかし「脚本の改変一切不可」という倉本の要望には岡本も相当難色を示したという。岡本は倉本の脚本を「電話帳のように分厚く、世界各地でロケ撮影をしなきゃいけない、莫大な予算と労力がかかる脚本」であり、一時は映画よりもテレビドラマでやるべきと不平をもらしたこともあった。しかし、倉本と協議した結果、アメリカ大統領国務長官が青い血の人間の処理を画策するホワイトハウスのシーンと、暴走族が特殊部隊に襲撃される北海道のシーンをカットすることで、岡本は映画を完成させる自信を得ることとなった。脚本を一言一句変えてはならないという倉本の言葉に従ってこれらのシーンを実際に撮影し、編集時にカットしたのは岡本の意地であった。なお、一般には仲代達矢主演の第一部が岡本タッチであり、第二部の勝野洋竹下景子のラブストーリーが倉本タッチと言われているが、むしろ後者の方に岡本タッチが如実に現われていると本人は語っている。

あらすじ[編集]

国営放送の報道部員・南は、京都で開催された国際科学者会議でUFOの実在を訴えた直後に失踪した兵藤博士の行方を追ううちに、世界各地にUFOが頻繁に現われ、それと遭遇した人間の血が青く変質する事実を知る。南はその事実を報道しようとするが、放送局に政府の圧力がかかって頓挫せざるを得なった上に左遷させられる。青い血の人間が世界中で急激に増加する事実を各国の政府が隠匿する裏には、異星人への疑いに不安を膨れ上がらせた主要国指導部による陰惨極まりない謀略が隠されていた。世界規模で人権の一切を否定された青い血の人々に降りかかる惨劇の数々。そしてそれは悲劇への道でもあった。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

登場兵器[編集]

国防庁
アメリカ軍・政府
その他
  • UZI短機関銃
  • XM177短機関銃
  • MP40短機関銃

評価[編集]

  • 興行的には不振に終わり、キネマ旬報ベストテンでも26位と評価も低かった。倉本自身も『映画宝庫[要文献特定詳細情報]石上三登志との対談で出来栄えに強い不満をもらしている[注釈 5]。不評の多くは、為政者たちが青い血の人々を恐れ虐殺に走る理由が説明不足というものだが、今日ではむしろそのあたりの省略の不気味さが再評価されている。
  • 批評家たちの評価が芳しくない中、三人の大物作家、都筑道夫星新一田中小実昌が当時から支持を公言している。星はエッセイ中で「名作」という言葉を冠し、田中は同年の日本映画1位に推した。都筑も弱点を指摘しつつ全体として高く評価し、小さな点では劇中の「ユーエフオー」という発音[注釈 6]を褒めている。ちなみに、この3人はほぼ同世代[注釈 7]で、翻訳家としても知られている[注釈 8]点が共通している。鏡明は『キネマ旬報』[要文献特定詳細情報]に長文の批評を寄せ、細部の甘さを多く批判したが意欲作であることは認めた。
  • 予告編にはホワイトハウスの場面があり、また倉本・石上の対談でも大統領役について両者とも不満を述べている。

その他[編集]

  • アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で、使徒の波長パターンとして表示される「BLOOD TYPE: BLUE」が、本作の英語題名からの引用である。
  • 竹下景子と田中邦衛は、この作品で初めて倉本聰の脚本作品に出演した。一方、倉本ドラマにレギュラー出演している俳優では、中条静夫が『6羽のかもめ』と同じくテレビ局員の役で、『うちのホンカン』の大滝秀治はイメージを変えて謎めいた解説委員の役で出演している。なお『北の国から』において原田美枝子がUFOに吸い込まれる幻想シーンは、本作において竹下景子がUFOと遭遇するシーンと同じく光線だけで表現している。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 書籍『ゴジラ画報』では、「1時間55分」と記述している[1]
  2. ^ 書籍『ゴジラ大全集』では、「SFの衣を被った文芸作品」と評している[4]
  3. ^ 翌年クリスマス前公開の場合は実景撮影は不可能なため。
  4. ^ 劇中では「原子力空母ミッドウェイ」と呼称されているが、現実の同艦は通常動力艦である。
  5. ^ 石上は買いの立場から必死でフォローしている。
  6. ^ 前年にピンク・レディーの楽曲「UFO」が大ヒットしたことに象徴的だが、当時は「ユーフォー」という読み方が完全に定着して久しかった。
  7. ^ 1920年代後半生まれ、岡本と倉本の中間に位置する。
  8. ^ 田中は百冊近く、最も少ない星でも5冊の訳書がある。

出典[編集]

  1. ^ a b c ゴジラ画報 1999, p. 197, 「ブルークリスマス」
  2. ^ ブルークリスマスコトバンク
  3. ^ ブルークリスマス - ウェイバックマシン(2018年2月5日アーカイブ分) 日本映画専門チャンネル公式ホームページ
  4. ^ a b ゴジラ大全集 1994, pp. 72–73, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 特撮復権にむけて」

参考文献[編集]

  • 「ブルークリスマス」倉本聰オリジナルシナリオ(青也書房)
  • DVD『ブルークリスマス』(東宝)
  • テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X 
  • 『ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み』(第3版)竹書房、1999年12月24日(原著1993年12月21日)。ISBN 4-8124-0581-5 

外部リンク[編集]