座頭市と用心棒

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座頭市と用心棒
監督 岡本喜八
脚本 岡本喜八
吉田哲郎
原作 子母沢寛
製作 勝新太郎
出演者 勝新太郎
三船敏郎
若尾文子
音楽 伊福部昭
撮影 宮川一夫
編集 谷口登司夫
製作会社 勝プロダクション
配給 大映
公開 日本の旗 1970年1月15日
上映時間 115分
79分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 2億8000万円[1]
前作 座頭市喧嘩太鼓
次作 座頭市あばれ火祭り
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座頭市と用心棒』(ざとういちとようじんぼう)は、1970年1月15日に公開された日本映画

概要[編集]

勝新太郎のライフワーク『座頭市』シリーズの第20作であり、三船敏郎の代表作である『用心棒』との夢の対決を実現させた、勝プロダクション製作の時代劇映画。ヒロインに大映の看板女優であった若尾文子を迎え、往年の剣戟スター嵐寛寿郎、新劇の滝沢修などの豪華ゲストも話題となったが、一番の目玉は座頭市・勝と用心棒・三船の対決であり、本作は『座頭市』シリーズ最高の観客を動員するヒット記録した[2]

三船は当初軽いゲスト出演と思っていたらしく、台本の『座頭市と用心棒』のタイトルを見てたいそう驚いたそうである。勝プロが座頭市シリーズを本格的に制作をした最初の作品で(勝プロ発足当初、『座頭市牢破り』を単発で制作している)、以降の作品は全て勝プロ制作になる。本作はシリーズ最後の大映配給作品である(以降はダイニチ映配東宝松竹と変遷する)。

配給の大映は本作を当初、正月興行にしようと考えていたが、看板スターとエース監督である岡本喜八を貸し出した東宝の申し入れにより、正月明けの公開となった。このため、1962年の第1作以降、1968年まで間断なく制作されたシリーズが、1969年は一作も公開されないという事態に陥った。

あらすじ[編集]

市が3年前に訪れた村は、川のせせらぎ梅の香りに包まれた平和な村だった。しかし市が再び訪れたその村は、ヤクザの小仏一家によって変わってしまっていた。市の来訪を知った小仏の政五郎は、一家の用心棒に市を斬るよう頼み込む。盲を斬ることを断った用心棒だったが、政五郎に100両出すと言われ、酒に酔ったまま市を斬りに行く。しかし、対決し市が容易に斬れる者ではないと悟ると、その日は斬るのを諦め、市を酒に誘う。互いを「バケモノ」「ケダモノ」と呼び合う2人だった。

2人の入った居酒屋で、市はかつて手を引いてもらった優しい女性・梅乃と再会する。喜ぶ市に対し、梅乃は覚えていないと冷たい態度を取る。政五郎に借金のある梅乃は市が去ったあと、用心棒に「小仏一家の手前、市に話しかけられなかった」となじるが、用心棒のことを憎からず思う気持ちにも気付いていた。

用心棒と梅乃から別れた市は、自分の凶状のため捕吏に捕まり、牢に入る。本来なら打ち首の市だったが、生糸問屋・烏帽子屋の口利きで番屋から出してもらう。烏帽子屋の主人・弥助は小仏の政五郎の実の父であるが、親子は対立していた。また政五郎は、父・烏帽子屋の隠している金塊を狙い、用心棒をなにかと頼りにしている。それを知る烏帽子屋は、市を手許に置いて身を守ろうとしていた。どうやら隠されている金塊は、烏帽子屋とその次男・三右衛門が八州見廻り役・脇屋とも共謀し、着服した御用金らしい。

江戸にいる三右衛門は父を心配し、九頭竜という名の浪人を送り込む。小仏一家の用心棒、烏帽子屋の九頭竜。曰くありげな2人をそれぞれ抱え、双方出入りの準備を始める。そして2人の素性を知った市も独自に動き始める。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

併映作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)274頁
  2. ^ 勝新太郎vs三船敏郎… 公開から50年「座頭市と用心棒」の煮え切らなさ”. デイリー新潮. 2022年9月23日閲覧。

外部リンク[編集]