ノート:中島敦

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略歴について[編集]

中島敦の略歴についてですが、これはどういった資料に基づいたものでしょうか?私の所有する中央公論社版『日本の文学36滝田孝作、梶井基次郎、中島敦』と年数、日付が合わないところが多々あります。もしこの記事において使用した資料がおわかりの方がおられましたらよろしくお願いいたします。--Hideokun 2010年10月5日 (火) 14:23 (UTC)[返信]


2002年版の全集で調べてみました。書簡等に当たっていないので、この全集の年譜自体を全面的に信じて書くと、

3月の末に横浜高等女学校を休職。 6月の初旬(4日以前)に南洋庁内務部痴呆課国語編纂初期に決定。 6月16日に(横浜高等女学校に)退職届を出す。 6月28日横浜より出航。 7月6日パラオ着。

という事みたいです。記述者は、横浜からサイパン丸が出航した日を書いている様です。--ストラップ 2010年10月8日 (金) 14:34 (UTC)[返信]

ありがとうございます。略歴なのですが、そこで多くの齟齬がでていますので様々な文書を当たる必要があるかもしれません。以下は本文より転記したものに私の資料と照らし合わせたものです。
細かい日付については中央公論社にはあまり載っていないのですが、もし必要ならば何を用いて書いたかをハッキリさせた方がいいのではないかと思います。また、橋本タカと結婚した年が一年もちがうというのは確認しなければならない点だと思います。もしストラップさんが資料をお持ちでしたら確認の程、よろしくお願いいたします。--Hideokun 2010年10月8日 (金) 14:49 (UTC)[返信]


上記と同じく、2002年版の全集の年譜から書いてみます。

  • 1918年 5月23日 父、静岡県立浜松中学校に転勤となり、浜松市浜松西尋常小学校三年二組に転入学する。浜松には既に先導者として、田人の長兄靖の次女婉一家があり、夫の長根禅提も中学の教員であった。

注釈によると、1976年版の全集では7月に転入したという記述があるようですが、通知表から浜松市浜松西尋常小学校に一学期に在籍していて、手工材料費の領収欄で4月と5月の分に斜線が引かれているらしく(おそらく6月以降は領収印があるのだと思います)、(又教員のコメントから、一定期間を教えていると判断)6月に小学校にいたのは先ず間違いないだろうという事のようです。 橋本タカとの結婚に関しては、

  • 1931年 3月頃、(中略)橋本タカを知り、結婚を決意するが、父の反対で同居は卒業後となる。

で、1931年の書簡(内容は他者による写し)を見ますと、9月13日の日付でタカの許婚の和田氏に手紙を送って結婚の許しを求めていますから、1931年の結婚は、疑問が残ります。又、11月14日のタカ宛の書簡でも、「近頃、父の意見をよく聞いて見ると、在学中の息子に嫁を持たせて置くのは、親類の手前、一寸都合が悪いと言ふんだよ」と始まりますし(卒業は1933年の3月)、1932年の4月にも、まだ前述の和田氏との問題が解決していない様です。とはいえ、何時頃の結婚なのかは不明の様ですね。
1941年の6月28日の件は紛らわしいので、削除するか、書き直して良いと個人的には思います。 休職の件ですが、前述の通り、一年後に復職の予定で3月末に休職し、6月16日に退職願が出されている様です。なので退職で間違いないと思われます。(--ストラップ 2010年10月9日 (土) 01:45 (UTC)[返信]

詳しい解説をしていただきありがとうございます。私の所有する資料よりもストラップさんの所有される資料の方が詳しいようですね。できれば本文に反映させていただければと思います。それに橋本タカとの結婚についても脚注や注釈を用いて反映させれば中島敦の項目が充実すると思います。よろしければ加筆をお願いしたいと思うのですが。あとこれはまた、別のお話ですが、中島敦の項目の充実と小説を書くのがお好きとか。もしよろしければウィキソースの方で中島敦の小説を投稿しませんか?私は現在、Wikipediaにはまだ項目がないですが、『弟子』を投稿している最中です。ご興味がありましたら是非、お願いいたします。--Hideokun 2010年10月9日 (土) 03:18 (UTC)[返信]


橋本タカとの結婚の詳細が判らないのは、何らかの理由で書類が紛失しているせいかも知れません。私自身も2002年版の全集に収められた書簡集を読みながら調べてみているのですが、どうもはっきりしないですね。2002年版の全集では採用しなかったものや改竄がある様で(「中島敦 父から子への南洋だより」との比較より)、又紛失しているものなども当然あるでしょうし、難しいようです。同全集には日記とメモ帳の内容も収められているので、若しかしたらヒントになる様な事柄は見つかるかも知れませんが、その独自の研究を「事実」としてここに掲載するのには、聊か躊躇いがあります。

「弟子」の掲載、頑張って下さいね。応援しております。
「弟子」を「デシ」と発音させているのは、中央公論社版『日本の文学36滝田孝作、梶井基次郎、中島敦』のルビ打ちを参考にされているのでしょうか? 私個人の意見ですので差し出がましいですが……中島自身は作中「凡弟子然」に「テイシ」とルビ打ちしており、又出自から呉音よりも漢音を用いたと考えられますので、「テイシ」の方が適当ではないかと、個人的には考えております。この件に関してはhttp://www.mojika.com/flog/archives/2010/03/post_263.html に書いておりますので、良ければ見てみて下さい。--ストラップ 2010年10月9日 (土) 04:37 (UTC)[返信]
中島敦の方はストラップさんの方が思い入れが強いようですので編集はお任せいたします。『弟子』の方を「テイシ」と呼ぶのは初めて聞きました。中学生の時の授業で初めてであったときに「デシ」と教えられたものでそのままずっと来てました、目から鱗とはこういうことを言うんですね。勉強させていただきました。ありがとうございます。--Hideokun 2010年10月9日 (土) 08:10 (UTC)[返信]


資料をまとめていて、遅くなって申し訳ありません。結婚の日時を割り出すため、書簡集を当たっていました。

父である田人から敦への書簡を見ますと、

  • 昭和8年(1933)5月16日「其上にて結婚届、出生届ニ記名調印したいとおもふ」

とあり、結婚は確実にこれより後だと言えると思います。又

  • たか側の書簡では、橋本を名乗る最後の手紙は昭和8年(1933)7月2日(本文中は6月2日とあるが、7月の消印と長男桓の誕生から65日と書かれている為、7月2日の誤り)。中島姓を初めて名乗るのは、昭和10年(1935)8月6日。

である為、この期間に結婚したと見て良いようです。敦側からタカ宛の書簡では、

  • 昭和8年(1933)8月19日に法師温泉から出した絵葉書の宛先は「橋本たか」。
  • 翌昭和9年(1934)4月4日の手紙では、宛先は「中島たか」。

なので、やはりこの期間だという事は、確かだと言えそうです。8月29日の書簡には

  • 「婚姻とゞけは(そちらに判をおしていたゞくために)二三日中に送る。」

とありますから、結婚は少なくともこれより少し後と見るべきだと思います。同様に、昭和8年の9月下旬と思われる書簡には、橋本家の戸籍謄本を求める内容がありますから、恐らく昭和8年の10月頃結婚したのではないでしょうか?
裏付ける様に、内容から昭和8年の10月に投函したと思われる手紙「橋本たか宛(封筒なし)」の追伸部分には、

  • 「お前も桓も籍ははひつてゐるよ。大丈夫だ。もつとも桓の生まれた日は実際より遅れてゐるがて、とゞけてあるが。」

とあり、この頃籍を入れたのではないかと考えられます。
しかし不思議な事に、久喜の謄本では、長男桓の出生は12月18日らしいとの事ですので、この書簡の内容も怪しくなります。

結局のところ、結婚した日時は分かりませんでした。
なので、略歴の結婚の項目は削除が妥当かと思い、現在削除しております。
略歴を編集しましたので、一応このノートは、今一度分かりやすい部分に置き直しておきますね。--ストラップ 2010年10月14日 (木) 07:14 (UTC)[返信]

1933年というのは間違いなさそうなので、日付を入れず、「この頃」として復帰させました。--Sazanamiya会話2019年5月6日 (月) 09:15 (UTC)[返信]

著作の改名提案[編集]

中島敦の著作記事のうち以下の2つについて改名を提案します。

まず、WP:NC#ARTWORKにおいては「他の記事と重複がある場合、スペースと半角括弧による曖昧さ回避で、映画や小説であることを明記する」とされています。環礁 (中島敦)は2010年に環礁 (文学)から改名されていますが(記事のノートページ参照)、記事の定義にもあるように紀行文をまとめた本の様です。よって、記事名から内容が判別出来る方が利便性も高まるものと考えます。弟子 (中島敦)については同名小説は無さそうなので弟子 (小説)としましたが、検索ではノイズが多すぎて断定できませんでした。もし同名小説があった場合には弟子 (中島敦の小説)への改名としたいと思います。残骸については即時削除の方向で。

なお、中島が没したのは1942年なので、カッコ内が中島敦のままでは、一般の利用者にはそれが「何」であるのか容易には判別できないのではないかと。--KAMUI会話2017年3月19日 (日) 13:31 (UTC)[返信]

コメント 改名には賛成です。「環礁」を青空文庫で読んでみたのですが、記事名は「環礁 (随筆)」のほうがふさわしいのではないかと思いました。--Sazanamiya会話2017年3月20日 (月) 01:28 (UTC)[返信]
:(報告)当初通りで改名しました。環礁については「随筆」として扱うものが確認できなかったこともあります。--KAMUI会話2017年3月26日 (日) 14:09 (UTC)[返信]

ウィキペディアブンガク 中島敦[編集]

ウィキペディアエディッタソンイベント(ウィキペディアブンガク 中島敦)における執筆・対象となりました。そのためこれまでウィキペディアの編集に携わったことがなかった方が編集参加しております。不慣れな編集履歴が散見される可能性がありますが、温かく見守っていただければ幸いです。--Araisyohei (talk) 2019年10月6日 (日) 06:27 (UTC)[返信]

「文豪ストレイドッグス」について[編集]

論点を明確にするために小見出しを追加させていただきました。編集イベントに関連するとはいえ、これは記事内容に関する議論であるからです。--miya会話) 2019年10月16日 (水) 14:45 (UTC)(追記)私の会話ページで見出しについてご指摘を受けましたので、小見出しを"「文豪ストレイドッグス」について"に変更します。もっとふさわしい見出しがあれば適宜ご変更ください。--miya会話2019年10月17日 (木) 13:54 (UTC)[返信]
報告 「題材になっている作品」から「文豪ストレイドッグス」(以下文スト)を除去しました。神奈川近代文学館の図録とアニメのガイドブックで触れられているようですが、文ストの記事にあるように「文豪がイケメン化して能力バトル」する漫画で、中島敦の名前と作品名だけを流用しているものを「題材になっている作品」とは言い難いでしょう。同じ理由でオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」の記載も反対しておきます。--Sazanamiya会話2019年10月12日 (土) 10:27 (UTC)[返信]
2点。この見出しのところに記載しているということは、Sazanamiyaさんは、当該記述が初心者によって記載されたことをご存知であろうかと思います。ウィキペディアのお作法の話になりますが、当該作品の公式設定書籍と、展覧会の図録が出典として示されている記述を、個人の感覚の域を出ない理由で、議論せずに除去するのはいささか乱暴だと思いました。一度差し戻しをご自身でしていただいて、議論を経てからでもいいのではないでしょうか? そうでなければ「ウィキペディアでは自分が気に入なければ、予告なく出典付きの記述を除去していいところなのだ」という誤った印象を初心者の方に強く与えてしまいます。ここは穏便に手順を踏んで(ご自身で差し戻したうえで議論を経て)いただければとお願いしたいです。
さて、出典にもありますが、現在行われている県立神奈川近代文学館での中島敦の展覧会の図録にも言及されており、また高知県立文学館の江戸川乱歩の展覧会ニュースにおいても触れられている「文豪ストレイドッグス」との関連ですが、前記サイトにもありますように「多くの若い世代に実際の文豪作品を親しむきっかけを与え」「全国の文学館が(中略)注目している」作品として位置付けられています。またこれら2例の展覧会は、民間ではなく都道府県立レベルの施設による催しであり、当該文豪の研究団体も後援に名を連ねています。「中島敦の会」には親族も含まれ[1]、江戸川乱歩の展覧会では乱歩の孫にあたる方が講演会をしています。つまり文豪側もある程度はこの作品で描かれる「文豪」の存在を容認しているように思います。
ですので、「題材になっている作品」から直ちに除去をしなければならない理由や、今後少しの期間であっても記載されていてはダメな理由というのはどこにもないと思うのですが、いかがでしょうか?--海獺会話) 2019年10月15日 (火) 14:28 (UTC)  修正--海獺会話2019年10月15日 (火) 14:47 (UTC)[返信]
ガイドラインのWikipedia:関連作品に照らして、除去を支持します。『文豪ストレイドッグス』は中島敦の記事について「その関連作品には、記事の対象が大きく関わっていること」「その関連作品が、読者にとって記事の理解を助けるものであること」のいずれも満たしていないと考えます。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月15日 (火) 15:27 (UTC)[返信]
確認したいのですが、「題材となっている作品」というセクションで、出典付きの文章が記載されている部分に対して、『関連作品』のガイドラインを参考にするのは何故ですか? また、仮に『関連作品』のガイドラインの文章を参考にするとしても、対象となる文豪の展覧会において上記のように「多くの若い世代に実際の文豪作品を親しむきっかけを与え」と位置づけられている、客観的な見解があるのにもかかわらず、"「その関連作品が、読者にとって記事の理解を助けるものであること」のいずれも満たしていない"と考えるに至る根拠はどのようなものですか? 私は私個人の根拠のない印象で議論をしているのではないつもりなので、御二方ともそれぞれのお考えに至る根拠を示していただけると助かるのですが。--海獺会話2019年10月15日 (火) 15:50 (UTC)[返信]
まず、セクション名が「関連作品」となっていないからといって、「Wikipedia:関連作品」の対象にならないということはないと考えます。関連作品は「文学・アニメ・映画など作品に対する内部リンクを列挙した一覧」であって、織田信長#織田信長を題材とした作品は典型的な関連項目と言えます。「Wikipedia:関連作品#説明を付けて下さい」にあるように説明がついていても「関連作品」であるという点に変わりありません。除去された記述に書かれているのは「中島敦」という名前のキャラクターが登場すること、山月記から異能力の着想を得ているということにすぎず、「その関連作品には、記事の対象が大きく関わっている」の説明になっているとは言えないでしょう。「その関連作品が、読者にとって記事の理解を助ける」という観点でも、中島敦という名前のキャラクターが漫画作品に登場するということが、文学者の記事を理解することの助けになるとも思われません。高知県立文学館の江戸川乱歩の展覧会ニュースの文豪ストレイドッグスが「多くの若い世代に実際の文豪作品を親しむきっかけを与え」ているという文言ですが、これは中島敦との関連について直接言及したものでなく、これをもとに文豪ストレイドッグスと中島敦を結びつけるのは「独自研究」といえるでしょう。文豪ストレイドッグスが中島敦の作品に親しむきっかけを与えているとして(私は文豪ストレイドッグスの読者のごく一部しか中島敦の作品を手にとっていると思いませんけれど)、それだけで関連性を主張するのは弱いと思います。刀剣乱舞が刀剣に親しむきっかけを与えたからと言って、へし切長谷部をはじめとする登場する刀剣の記事すべてに「刀剣乱舞に登場する」と書かないでしょうし、戦国BASARAが戦国武将に親しむきっかけを与えたからといって「織田信長#織田信長を#題材とした作品」に戦国BASARAを付け加えるべきではないでしょう。
仮に上記のガイドラインを参考にしないとします。「題材とした作品」という節に含まれる「題材」という言葉ですが、これは「創作や研究などの主題となるもの」という意味です。たとえ主人公であるにせよ、名前を借りただけのキャラクターであれば、実在の中島敦が文豪ストレイドッグスの「主題」となっているは言い難いと考えます。題材となっている作品というのは、例えば、「尾崎放哉を題材とした作品が吉村昭の 『海も暮れきる』である」というのが正しい使い方だと思われます。--伊佐坂安物会話/履歴) 2019年10月15日 (火) 17:31 (UTC)脱字修正--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月16日 (水) 15:09 (UTC)[返信]
どうもとても強い感情論でお話をされているように思います。ウィキペディアで他の記事でどう扱われているかの比較は個人的にはあまり意味がないと考えていますが、例えば太宰治与謝野晶子梶井基次郎織田作之助などの記事においては、出典がない状態で「文豪ストレイドッグス」について記述がなされています。これらの記述が直ちに消されなければならず、読者の助けになっていない、とは私には思えません。なぜ他の記事との比較があまり意味がないと考えるかというと、伊佐坂安物さんが例示したものは、伊佐坂安物さんが理想とするウィキペディアの姿の例だと思うのです。それに対してお話をするとすれば現実的にそうはなっていない例をこちらは出すしかなく、水掛け論となってしまうように思うからです。こうした議論は有意義ではないとは言いませんが。
また「高知県立文学館の江戸川乱歩の展覧会ニュースの文豪ストレイドッグスが(中略)これをもとに文豪ストレイドッグスと中島敦を結びつけるのは「独自研究」といえるでしょう」と書かれていますが、もう一度参照リンクを張ったうえで申し上げますと[2]この資料の2ページめの1段目を読んで、ここで議論をするためのポインタとして示した時、「文豪ストレイドッグス」という作品を中島敦と結び付けることが読み取れないということでしょうか? 仮にそうではないにしても議論をするうえで指し示した資料に対して、「ウィキペディアの記事の方針の基準」を持ち出しての反論はとても飛躍していると思います。
ですので、他の記事がこうだからという論点ではなく、これは関連項目に等しいと考えるからではなく、私が資料で示した「文豪ストレイドッグス」という作品の文学的な面からの客観的資料を、ウィキペディアの記事掲載方針に照らし合わせて反論するのではなく、この中島敦の記事の中で「文豪ストレイドッグス」についての記述を直ちに除去しなければならず、記述があると中島敦についての理解の妨げになるというような、明確な理由を説明していただきたいと思います。私はこの例で、伊佐坂安物さんがおっしゃるような基準で、他の記事からも同様に不要だとして記述が消されてしまうことをとても危惧します。ウィキペディアは知の広がりを担うものですから、出典付きで言及されている記述をこのような形で消すのはマイナスだと思います。--海獺会話) 2019年10月16日 (水) 00:14 (UTC)修正--海獺会話) 2019年10月16日 (水) 00:17 (UTC) 修正--海獺会話2019年10月16日 (水) 23:27 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。まず、私は私の意見が妥当かどうかはともかくとして、理屈のみをベースにお話しているつもりでして、「感情論」などというレッテルを貼られるのはちょっと心外です。また、あくまで例示は例示で、戦国BASARAがどうこうとか、他の記事が現にこうなっているからということだけを議論の根拠にしてはいないはずです。ウィキペディアの方針・ガイドラインはすべての利用者が遵守することが求められる(推奨される)ものですから、これと照らしあわせて反論することになんら不合理な点ははないと考えます。
その上で、まず「題材とした作品」といった節名なのはあまり適切ではないわけですよね。主題にしているわけではないのですから。出典にも主題にしているとは書かれていないようですし、誤った情報が掲載されているのは百科事典の記事としてよろしくありません。仮に適切な節見出しにしたところで、関連性の薄い記述が記事に混じっていれば読者は不要な情報を読まないといけないことになってしまうわけで、記事の可読性を妨げます(WP:NOT#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません)。現状では確かに短い記述ですけれど、では、ここに文豪ストレイドッグスの中島敦の話を書き足していっていい、文豪とアルケミストなどの他の作品を書き足していっていいということになれば、記述は肥大化します。また、他にも節を分けている以上、見出しにも現れますし、真に「中島敦を題材とした(あるいは中島敦と関連する)作品」のことを知りたい読者に、関連性の薄い記述が提示されれば期待はずれということになります。そこで中島敦と文豪ストレイドッグスの関連性がどの程度あるのか、記事に掲載すべきほどなのか、ということが問題になるのだと思います。
リンクを再度拝見しましたが、そこには「文豪ストレイドッグス」に江戸川乱歩という名前のキャラクターが登場するという話が載っているのみで、文豪ストレイドッグスと中島敦の強い関連性を主張したものとは読み取れませんでした。図録も単に同じ名前のキャラクターが登場するということのみしか担保していません。他の記事は他の記事で、同種の記述が個別に除去が適切であれば除去されるでしょうし、そのままとすることが適切な場合はそのままということになるでしょう。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月16日 (水) 15:09 (UTC)[返信]

切り分けます。記述を直ちに除去すべきだという意見の方は、フィクション作品からの一方的な言及ではなく、「文豪」側の展覧会などでフィーチャーされている「文豪ストレイドッグス」が、ほかの記事で扱われている、主題とフィクション作品の関係と同列に扱われるべきなのか。また、どのような体裁であっても本記事に「文豪ストレイドッグス」に言及されているのはまかりならんとお考えなのかどうか、伺いたいです。--海獺会話2019年10月16日 (水) 00:44 (UTC)[返信]

  • 一般的に、ある作家や作品に関する受容について出典のある記述を除去することについては強く反対いたしますし、今回の記述も初心者の編集かどうかはかかわりなく保存すべきだと思います。ある作家が他のどういう作品に登場しているかは、改変の大きさなどを含めてその作家の受容や知名度を考える上では重要な情報です。伊佐坂安物さんは「中島敦という名前のキャラクターが漫画作品に登場するということが、文学者の記事を理解することの助けになるとも思われません」とおっしゃっておられますが、これは文学者の書いた作品じたいの価値などに関する記述ではなく、文学者をとりまく社会的状況に関する記述ですので、文学者本人の性格とか作品を理解するのに役立たなくても、その受容状況を理解するのに役立ちます。チャールズ・ディケンズ#ディケンズが登場するフィクションなどのように、海外の著名作家については少ししか登場していない作品でもそれを説明した節があります(出典はあったほうがいいですが)。「中島敦が題材になっている作品」という節タイトルではなく、「受容」などという節タイトルにして幅広く受容について記述したほうがよいかとは思いますが、展覧会カタログなどの二次出典があるのに記述を除去するというのは有用な記述の除去にあたると考えます。--さえぼー会話2019年10月16日 (水) 02:13 (UTC)[返信]

コメント 梶井基次郎の文豪ストレイドッグスについては私が加筆したものですが、特にここで問題視されているような疑問はなかったので、私自身は中島敦の記事にもあってもいいのではないかなと思います。レモン爆弾は梶井基次郎を題材にしていないという考えもあるかもしれませんが、そうした細かい線引きや基準はこうしたフィクション物では曖昧模糊としていて作家からイメージされる創作物はいろいろあり、許容範囲は少し緩めでよいのではないのでしょうか。--みしまるもも会話2019年10月16日 (水) 02:22 (UTC)[返信]

当該節を除去した者です。拙速な編集でお騒がせしました。自分がひっかかているのは「題材になっている作品」という節名です。夏目漱石#夏目漱石を描いた作品では「先生と僕」「『坊ちゃん』の時代」が記載されていますが、どちらも史実の漱石をフィクションを交えて描いた漫画です。「題材になっている作品」とはこのようなものを想定していたので、文ストを除去しました。伊佐坂安物さんがあげられているように、最近漫画やゲームで「歴史上の人物・文物の名を借りただけのキャラクター」が登場する作品が増えています。以前Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (フィクション関連)#ファンタジー作品からの記事リンクについてでも話題になりました。皆さんの意見を読んで他の記事も調べてみました。錬金術師のニコラ・フラメルはハリーポッターと賢者の石に名前が出てきますが、「フィクションへの影響」という節で書かれています。英語版のen:Nicolas Flamelでは「In popular culture」という節名です。さえぼーさんは「受容」という節名を提案しておられますが、「受容」「影響」、あるいは「In popular culture」をうまく訳した節名であれば戻してもよいかなと思いました。ただどこかで基準を決めておかないとけものフレンズに登場する全ての動物の記事にけものフレンズのことが加筆されて揉めるというようなことがおきそうです。--Sazanamiya会話2019年10月16日 (水) 07:56 (UTC)[返信]
議論を経ずに、直ちに除去した理由はどういうものですか? とりあえずの差し戻しをされる気はありませんか?--海獺会話2019年10月16日 (水) 08:09 (UTC)[返信]
返信 みしまるももさんがコメントアウトで戻しておられますが、タグをはずして見えるようにしたほうが良いということでしょうか?--Sazanamiya会話2019年10月16日 (水) 09:18 (UTC)[返信]
コメントアウトを解除し、記述を除去前に戻しました。--Sazanamiya会話2019年10月17日 (木) 12:41 (UTC)[返信]
ありがとうございます。--海獺会話2019年10月17日 (木) 12:52 (UTC)[返信]
誰がどうしたではなく、ご自身が「拙速」と形容した編集をまずは取消す気持ちはあるがどうか、伺っています。上記での説明では除去した理由が記述内容でなくセクション名だということであるなら、それはあなたにとっては議論を経ずに除去して良い対象だ捉えているということになります。他の記事でも記述に問題がなくセクション名に違和感がある場合、同じように除去し、指摘されてもまずは戻す必要はないとお考えならば、そこに関しては何ももうしあげることはないです。--海獺会話) 2019年10月16日 (水) 09:40 (UTC)修正--海獺会話2019年10月16日 (水) 09:51 (UTC)[返信]
(横から失礼します)そんなに喧嘩腰にならなくても良いではありませんか。Sazanamiyaさんはご自身の編集を拙速と述べ、また「「受容」「影響」、あるいは「In popular culture」をうまく訳した節名であれば戻してもよいかなと思いました。」とおっしゃって譲歩しています。それなのに、言葉尻をとらえてそこに追い打ちをかけるようなことをしても、建設的な対話にはならないでしょう。合意ができるものもできなくなってしまいます。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月16日 (水) 15:09 (UTC)[返信]
(伊佐坂安物さんへ)こちらは節名や記述に対する合意のお話のほうではなく、単に「節名が適切ではないと思われます」と議論提起するか節名を適切だと思う編集で対応しなかったのは何故なのか、というお話です。確認していただきたいのですが私は当初から2点について疑問を呈しています。(節名が適切でないという理由で)出典付きの記述ごと除去をした行為自体は乱暴ではないですか?と。 その上で一度除去を取り消してから改めてに議論ではいかがと。ところがそちらにはなにも返答がいただけないどころか、他の方のコメントアウトを持ち出していらっしゃり、論点がお分かりいただけてないのかと感じたため、改めておうかがいしているのです。実際に除去を行っていないので伺いませんでしたが、伊佐坂安物さんは「節名が適切だと思わなかった場合、議論を経ずに出典のある記述ごといきなり除去しても構わないのだ」というお考えですか? これは合意形成のお話しとは違うことなので、特にお答えいただかなくてもかまいません。--海獺会話2019年10月16日 (水) 15:45 (UTC)[返信]
「議論が錯綜しかねない」という意見があったため、こちらの議論については取り下げます。--海獺会話2019年10月17日 (木) 11:01 (UTC)[返信]
取り下げありがとうございます。続きはMiyaさんの会話ページでなさっていたわけですね。承知いたしました。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月17日 (木) 14:06 (UTC)[返信]
コメント (Sazanamiyaさんへ) 一般概念の猫とか犬が登場することと、名前のある中島敦とは意味が違うので、そのような危惧はなさらなくてもいいのでは。。。動物はカテゴリーで「ネコを……なんたらの作品」みたいな感じであるかと思いますし。--みしまるもも会話2019年10月16日 (水) 08:17 (UTC)[返信]
  • コメント 個人的には、作家や作品に関する受容について出典のある記述を除去することについての問題意識はさえぼーさんに共感するところです。ただ、海獺さんからお示しいただいた出典を拝見したところ、該当するのは「文豪ストレイドッグスの乱歩君」(平井憲太郎)、「江戸川乱歩の華麗なる本棚 文豪ストレイドッグス×高知県立文学館」と題された文章で、これらは「文豪ストレイドッグス」や「江戸川乱歩」の項目で取り上げるなら問題ないと思いましたが、中島敦についてはその名前がどこにも見当たらないようです。
この種の問題として気がかりなのは、ひとりを許せば登場人物ならだれでもOKみたいな感じになりがちなことで、反対意見の背景にも、収拾がつかなくなるおそれがある、ということがありそうに思います。これは逆に言えば、一人がダメならほかも全部ダメということになりますが、そのどちらでもないでしょう。『文豪ストレイドッグス』においての中島敦は、太宰治、芥川龍之介と並ぶ主役級のキャラクタであり、この点ではむしろ江戸川乱歩よりも重要だと思います。しかし、そういう扱いの大きさで線引きするのは主観が入って困難かもしれません。
そういうわけで、私としては、項目に記載してよいのは、出典で直接的に言及された対象に限るとしてはどうかと考えます。今回のケースでいえば、「文豪ストレイドッグス」と「江戸川乱歩」ということになりますが、いかがでしょう。--みっち会話2019年10月16日 (水) 12:50 (UTC)[返信]
みっちさんへ。少しだけ誤解があるようです。伊佐坂安物さんの発言を受けて高知の例を再度示した理由は、そこに記載されている『「文豪ストレイドッグス」は多くの若い世代に実際の文豪作品に親しむきっかけを与え』たということを確認していただくためで、実際の文豪対「文豪ストレイドッグス」の図式において「その関連作品が、読者にとって記事の理解を助ける」という観点を満たしているでしょう? という意味です。それに加えて中島敦については、県立神奈川近代文学館での中島敦の展覧会の図録にも言及されている[3]というものです。図録の内容の引用は開催中という事もあり避けますが、目次には「第三部 生きている中島敦 教科書への採用/海を越える中島文学/現代文学への影響/演劇/「文豪ストレイドックス」/映画」という項目があり、紛れもなく「その関連作品が、読者にとって記事の理解を助ける」という条件を満たしていると思います。
収拾がつかないというご懸念ですが、今回のケースではむしろ明確であり、今後の類似案件の収拾がつきやすい要素があると思います。それは「記事の主題側から言及されているかどうか」です。乱暴な例を挙げれば、Aというタレントの物まねをするBというタレントがいて、その存在はAによって認められ言及され歓迎されているということがわかるのならばAの記事にBを記載することは正当性があり、単にAの物まねをしていることが知られているだけのCという人がいても、Aの記事には記載するのは適切ではないという事だろうと思います。ですので、「ひとり許せば際限なくOK」というレベルではない確固たる理由がこの記事にはあると思います。今後かの記事に際限なく関連項目などで記載されてしまう懸念があるのであれば、「記事対象側からの明確な言及」という要素を考慮すればいいのではないかと思います。
以上の理由から、この記事に「文豪ストレイドッグス」を記載することには正当性があり、むしろ読者の知識の助けになると思います。--海獺会話2019年10月16日 (水) 13:32 (UTC)[返信]
どうも失礼しました。神奈川近代文学館の取り組みは見ていませんでした。「文豪ストレイドッグス×中島敦展」というコラボ企画が開催されているということですね。過去にも太宰治、谷崎潤一郎、与謝野晶子がコラボ企画として実施されていたということもわかりました。「中島敦」の項目での書きぶりとしては、単に関連項目や「題材とした作品」などよりも、やはり「受容」としてこのコラボ企画が取り組まれていることの紹介という形がいいのではないでしょうか。文学館のコラボ企画の対象となった項目については同様に記述されてしかるべきですが、そうでない登場人物の項目については、慎重さが必要とも思います。いずれ、コラボ企画として採り上げられれば、堂々と書けるわけですし。
「記事対象側からの明確な言及」については、あまりいい手とは思えませんでした。どちらかといえば、Wikipedia:独立記事作成の目安にいう「記事対象とは無関係な信頼できる情報源において有意に言及」の方がふさわしいと感じますが、文学館が無関係といってよいのかよくわからないし、基準を定めることに積極的な立場ではありません。--みっち会話2019年10月17日 (木) 09:16 (UTC)[返信]
  • コメント この項目内で適切に言及するのは反対しませんが、「題材になっている作品」という見出しには賛成できません。項目文豪ストレイドッグスを読む限り、ゲームのキャラクターの一人ではあるけれど、「題材」と言えるほどのものか疑問です。◇今の説明文だと「関連項目」が適しているのではないですか?もっと解説が加わるなら「受容状況」あるいは「受容」「影響」等でもよいと思います。◇念のため漫画やゲームに非常に詳しい知人複数に「文豪ストレイドッグス」は「題材になっている作品」と言えると思うか聞いてみました。結論から言うと、「題材になっている作品」とは言い難い、「題材になっているキャラが(多数キャラの一人として)登場する作品」短くすれば「登場する作品」あたりではないか、とのことでした。--miya会話2019年10月16日 (水) 15:36 (UTC)[返信]
  • コメント 再コメント 少なくとも「題材とした作品」という節のタイトルは必ずしも適切とは思われないという意見が多数だと理解しています。一方で、「受容」などの節見出しであれば、記述を残すというのもありうるという点には同意します。私も文学者の記事にその社会的受容の記述が無用だとは申し上げていません。
しかし、現状の記述ではただ文豪の名前を用いた多数のキャラクターが登場する漫画に、たまたま中島敦が登場したという事が書かれているにすぎず、社会的受容の面でどう重要なのか、特筆されるべきなのかという点が必ずしも明らかにされていず、受容の記述と言えるのか、疑問です。例えば、ハーバート・ノーマンの『忘れられた思想家』によって、安藤昌益が江戸時代を代表する思想家と(近代日本において)再評価されたように、そこまでいかなくても文豪ストレイドッグスの影響で中島敦の作品の受容のされ方が大きく変化したなどの記述があれば別だとは思いますが。対象の側での言及があるとの基準で無差別収集を防ぐ、とのご意見もありますが、神奈川県近代文学館は中島敦本人というわけではありませんし、「対象側」とはどのようなものかという問題もあります。そういう意味では「記事対象側からの明確な言及」というのも、なかなか明瞭な基準とするのは難しい気もします。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月16日 (水) 15:56 (UTC)[返信]
  • 「記事対象側からの明確な言及」があるかどうかを掲載の基準とすることには反対します。そのような言及なしでも、出典があれば掲載してよいと考えます。たとえば、極めて風刺的・批判的に言及された場合、言及された側の人物が自分に対する言及や翻案などを無視するという場合はたくさんありますし、そもそも活動地域が違っているせいで気付いていないとか、さらに本人が死亡しているような場合だと基準として使用できません。ウィキペディアは記事の対象について良いことばかり書くところではありませんので、記事対象となった人物の意向とは無関係に出典があるかどうかで判断すべきだと思います。
伊佐坂安物さんは「作品の受容のされ方が大きく変化したなどの記述があれば別」だとおっしゃっておられますが、これは記述のハードルを上げすぎだと思います。上であげたチャールズ・ディケンズなど、さまざまな作家記事で採用されている基準と違いすぎますし、他の記事にも影響を与えるからです。--さえぼー会話2019年10月17日 (木) 00:30 (UTC)[返信]
返信 (さえぼーさん宛) コメントありがとうございます。「記事対象側からの明確な言及」があるかどうかを基準とするべきでないということについてのご意見は同意します。
一方で、ディケンズの記事のことを挙げていらっしゃいますが、他の記事が「現状」どうなっているかということはあくまで二次的なことですし、方針・ガイドラインに立ち返って議論をするべきだと思われます(例えば、多くの記事で無出典の記述が放置されてるからといって、Wikipedia:検証可能性を無視しても良いということにはなりません。それに他の記事のことを言い出すと、例えばアーサー王の記事では『Fate/stay night』についての記述が除去されたままのようでして([4])、この事例は中島敦と文豪ストレイドッグスの関係にかなり近いわけですが、この例はどうなるのかみたいな話になります)。また、ディケンズの記事で挙げられているのは、いちおう歴史上の実在の人物であるディケンズが登場するもののようですし、名前といくつかの要素を借りただけのまったくの別人物として登場する文豪ストレイドッグスと同列に扱うわけにもいきません。
方針・ガイドラインに立ち返って言えば、単に登場するということのみが記述されるということであれば、これはガイドラインWikipedia:関連作品の対象ですし、これに沿って考えるのが妥当です(実際にこの基準を採用している記事も多くあります)。そう考えると、今回の記述はガイドライン中の「有名な事物の名称を借用した」だけのものととれますし、ガイドラインの2条件に照らしても記載すべきものではないということになります。
あくまで例示ですが、出典があれば記載してよいという基準ですと、ウィリアム・シェイクスピアの記事に、シェイクスピアが何らかの形で登場するということで、Fate/Grand Orderも『絶園のテンペスト』(複数作品に言及)も『ロミオ×ジュリエット』(キャラクターとしてシェイクスピアが登場)も『ロミオの災難』も『PSYCHO-PASS サイコパス』([5])も『マビノギ』([6])も、どのように特筆すべき点があるかという說明なしに際限なく追記していくのもアリという話になります。これを認めるなら、WP:IINFOに留意しつつ、まずガイドラインの改定が必要です。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月17日 (木) 14:11 (UTC)[返信]
  • 個人的な意見ですが、シェイクスピアくらいになれば肥大化に応じて分割すればいいわけですし、英語版はen:List of titles of works taken from Shakespeare(これなど、ほとんどは「有名な事物の名称を借用した」だけものですが)とかen:Shakespeare's influenceとかen:Memorials to William Shakespeareのように受容関係はどんどん分割されております。また、2万バイトくらいしかない中島敦で肥大化を心配して出典つき記述を削除するというのも不要なことだろうと思います。そもそも、ふだん受容研究をしている者としては、「名前といくつかの要素を借りただけ」だからもとの作家とは別であって掲載しなくていい、というロジックはかなり理解しづらいです(シェイクスピア学会に行くと、受容系のセッションではこういう名前を借りただけのものがいったいどういう経緯で出てきたのかについての発表がたくさんあります)。改変されて出てきたということじたいが、その作家をとりまく社会的な受容の状況についての重要な情報だと考えられるからです。--さえぼー会話2019年10月17日 (木) 14:25 (UTC)[返信]
「基準」を考慮しないならば、個人的には出典がついていればいいと思うので、「記事対象側からの明確な言及」という条件も必要はないです。ですので、さえぼーさんのご提案に賛同します。
伊佐坂安物さんに質問なのですが、この議論に参加した時点で、出典として示された図録の内容をご確認されていますか?--海獺会話2019年10月17日 (木) 10:23 (UTC)[返信]
すみません。質問に質問で返して恐縮なんですが、これまでの議論の流れとの関連から、どのような意図による質問か把握しかねたので、趣旨・必要性(となぜ私だけにその質問をするのか)をお教えいただいてもよろしいでしょうか。ちなみに基準については、収集がつかないという懸念に対してご提案いただいたものだと理解していますが、懸念は解消されていないのに、条件も必要ないと言い切ってしまってよろしいのでしょうか。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月18日 (金) 16:13 (UTC)[返信]
記述の出典として挙げられていた図録を確認していないと思われる発言が多いからです。読んでから議論参加してらっしゃいますか? 個人宛のお話なので利用者会話ページで続けても構いません。--海獺会話2019年10月19日 (土) 00:47 (UTC)[返信]
説明ありがとうございます。結論から言いますと、『中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯』 を今日特別展に行って購入し、内容を確認しました。しかし、次のような理由から特にそれ自体に問題があるということはないと考えています。
海獺さんの仰っしゃりたいことは、要するにその図録を読んでいることがこの議論への参加の必須条件だということだと理解しました(Miyaさんの会話ページでのご発言からもそのように読み取れます)。しかしながら、私も問題は出典の質がどうこうというより、記述自体が記事主題との関連性が薄いということが論点だと認識していまして、その図録を読んでいることが必須、という話でもないものだと思います。そもそも当該の図録は9月28日に始まった展覧会のもので、現状では横浜市中央図書館にしか所蔵がありません。それを平日の10月15日(火)に始まった議論について、事前に確認しなければ議論に参加してはならないというのは変な話です。私はたまたま関東在住なので今日確認に行けましたが、地方在住であれば郵送で購入したり相互貸借で入手したりするのには時間がかかりますし、議論参加のハードルが著しく高くなります。要するに確認できるのはイベント参加者の方がほとんどということになるでしょうし、公正さを欠きます。イベント講師の方がコメント依頼で広く意見を募っている趣旨に反しないでしょうか。
当該図録のp.74に中島敦という名前のキャラクターが登場しているということに加え、文豪ストレイドッグスの影響で「中島敦の作品に親しむ多くの読者が生まれている」という文言が含まれるのは確認しました。これは中島敦作品の受容の例として記事内で挙げることの一つの根拠になるでしょう。しかし、この文言が含まれるから、確認して来てくださいという話だったのであれば、まず海獺さんが引用してご説明なさるべきだったでしょう。いずれにせよ、この出典・文言に関わらず、「題材になっている作品」というセクションタイトルで「漫画「文豪ストレイドッグス」は敦と同姓同名のキャラクターが登場する。 作中の敦が持つ異能力「月下獣」は「山月記」から着想を得ている」という記述であれば除去するのが適切であったという点については、私の意見は変わりません。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月19日 (土) 15:18 (UTC)[返信]
議論参加時に「記述を見る限り除去に賛意を示しますが、出典の文献を現在は確認できていません。どのようなことが書いてあるのですか?」と聞いてくださればよかったのに。
情報が共有できていないと議論が錯綜するので、皆さんポインタを示すと思うんです。ですから、そもそもの出典についている文献が読めていないのだったから聞けばいいんです。
ご存知だと思いますが、ウィキペディアでは出典付きの記述を議論なく除去することについては慣例的に慎重であると思います。
それをふまえて。あなたの発言は「『文豪ストレイドッグス』は中島敦の記事について「その関連作品には、記事の対象が大きく関わっていること」「その関連作品が、読者にとって記事の理解を助けるものであること」のいずれも満たしていないと考えます。」となっていますが、これ、資料などを確認しないままのただの印象論で話をしていることになります。出典について確認してからでもよかったのではないですか? 今日図録を読んでみたけど印象は変わらなかった、という話ではないと思いますよ。
また私は「確認して来い」とも言っていませんし「図録を買ってこい」とか「見てなければ議論参加ができないのか」とかいう論点で話をしていません。妙なレッテル貼りをなさらないでください。穏便に普通にシンプルに議論を進めようと思ったら、ここで文献内容の相互確認ができたはずなんです。そういった手順を踏まずにお話をされているのかなと感じたので(気を悪くされたようですが)「強い感情論でお話をしている」と伝えました。今となってはですが、「理屈のみをベースにしている」ともおっしゃいましたが、理屈の根拠になる情報源を確かめてからのほうが良かったように思います。--海獺会話2019年10月19日 (土) 16:11 (UTC)[返信]
おっしゃっていることには同意しかねますが、そういうご意見もあるのだということは承知いたしました。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月20日 (日) 15:16 (UTC)[返信]
  • 対象から独立した情報源がその記述の出典だったなら、そもそも除去されなかったかもしれない、とは思います。出典が展覧会の図録とアニメ作品の公式ガイドブックだけでは、貧弱な出典として丸ごと除去されても文句が言いづらいです。「けものフレンズに登場する全ての動物の記事にけものフレンズのことが加筆されて揉める」という懸念は分かります。こういう場合、記載の是非は「記事の主題側から言及されているかどうか」よりも「両者の関連について、対象から独立した情報源に有意な言及があるかどうか」で判断するほうが好ましいと思います (中島敦については産経ニュース「中島敦、短くも波乱の生涯 生誕110年 横浜で特別展」[7][8]で、太宰治については読売新聞オンライン「没後70年、作家・太宰治を生んだ『三つの空白期』」[9]で、『文豪ストレイドッグス』との関連について有意な言及があるようです)。
なお、『文豪ストレイドッグス』のキャラクターとしての中島敦と太宰治は、英語版ウィキペディアで個別に記事が作成されており (en:Atsushi Nakajima (Bungo Stray Dogs), en:Osamu Dazai (Bungo Stray Dogs))、前者は良質な記事に選ばれています。
"In popular culture"に該当する節を翻訳・加筆するとき、普段、私は「大衆文化」という見出しにしています。これは"Influences", "Legacy", "Reception"と区別するためです。「受容」や「影響」という見出しだと、これらの節と混同されそうな気がします。--153.175.232.182 2019年10月17日 (木) 13:22 (UTC)[返信]
153.175.232.182さんは、「普段、私は「大衆文化」という見出しにしています」ということですが、IPの方なので編集履歴が不明で分からず、もしよろしければどの記事の加筆なのか教えていただければ参考になります。--みしまるもも会話2019年10月18日 (金) 00:44 (UTC)[返信]
  •  「受容」や「影響」と"In popular culture"が混同されることを危惧するという考えじたいがちょっとよくわかりません。大衆文化での使用について記載するというのは受容に関する記述の一部ですし、日本語版に翻訳をする時はいろいろと変更を加えたり、整理したりする必要があることもあるので、"In popular culture"という節を「受容」や「影響」にして少し書き直したほうが良い場合も多いにあるかと思います。--さえぼー会話2019年10月18日 (金) 02:21 (UTC)[返信]
  • 意見が分かれているのは、おそらく私が「大衆文化での使用について記載するというのは受容に関する記述の一部」という立場を取っていないからなのだろう、と思います。
たとえば、英語版ウィキペディアのCarl von Clausewitzでは"Influence"と"In popular culture"が、Hannah Arendtでは"In popular culture"と"Legacy"が、Virginia Woolfでは"Influences"と"In popular culture"と"Legacy"が、それぞれ別の見出しで記載されています (議論を飛び火させないために、ここでは他の日本語版ウィキペディア記事に言及することを避けています。その点、ご理解いただければと思います)。これらが同じ節に記載されていたら読みにくかっただろう、と私は思います。
この中島敦の記事で言うと、「中島敦は何または誰から影響を受けたか」(以下A, "Influence[s]") と「中島敦は何または誰に評価されたか」(以下B, "Legacy") と「中島敦はどのように大衆文化で取り上げられたか」(以下C, "In popular culture") を別の見出しにして記載するほうが、読者にとっては読みやすく、未来の編集者にとっては加筆しやすい、と思います。『文豪ストレイドッグス』のことはCに該当しますが、これを「影響」(または「受容」) という見出しで記載しておいた場合、今後、A (またはB) は同じ節に加筆されていくかもしれません。そうなると記事として読みにくいものになっていく、というのが私の意見です。
以上、長くなりましたが、見出しについては「こうすべきだ」というよりも「こういう見解もあるから、知っておいてほしい」という程度のニュアンスで受け取っていただければと思います。このノートページで決めた見出しが自動的に他の記事にも適用される、とならない限り、ここで見出しについて固執するつもりはありません。--153.175.232.182 153.163.147.253 2019年10月18日 (金) 09:47 (UTC)[返信]
少しネットで調べたところ、過去にナタリーで文豪ストレイドックスのキャラクター誕生のインタビューが掲載されてますね。それによるとあくまでこの作品のキャラクターたちは文豪たちそのものよりもキャラクタライズされた「マンガ的な見栄えを重視」したキャラクターという要素が強いと思われます。また作品誕生のきっかけとして一巻の末尾に「作者と編集が文豪を美化して超能力的なバトルにしたらいいのではないかという話題で盛り上がったこと」が挙げられています。以上の点から考えるに、彼らは文豪自体とは異なる存在とみなすのが自然だと思われます(商業的に影響を及ぼしたりはしていると思いますが)。過去の作品で言えばドラゴンボールは元々西遊記をモデルに作っていたところがあったりもしますが(一巻巻末参照)、最終的にそれが西遊記に対して影響を及ぼしたというよりは、全く異なるドラゴンボールという一つのジャンルを確立する形になったので、艦これなりFGOなりとうらぶなり文ストなり文アルなり日本のサブカルチャーでメジャーな何かを下地にして元のジャンルの売り上げに影響を及ぼす動きを見せるのはこの時代の流行りみたいなところがあるのかもしれません(個人の主観ですが)。まあ、言いたいこととしては商業的には確かに影響を及ぼしているといえるのかもしれませんが、あくまで作り手は別のものとして作っているということから、基本的には関連項目で触れる程度にして、この記事で載せるよりは例えば受容史の記事を作るなり、キャラクターの記事を作るなり、原作の漫画・アニメーションの記事で加筆するなりした方が、内容として適切ではないかと思案します。別の言語版で作られていることは、あくまで一つのアイデアや方法であって、それが必ずしも正しいとは言えませんし、それこそ一つ一つの言語版なり記事なりの状況に合わせた形が適切だと思います。--遡雨祈胡会話2019年10月20日 (日) 07:16 (UTC)[返信]
  • 記事の本文ではなく「関連項目」節に記載するときは、「深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべき」という縛りがあるようです。私自身は、今回の件では「対象から独立した情報源に有意な言及があるなら、本文に記載できる」と思っているので、中島敦の記事の本文には『文豪ストレイドッグス』のことを記載できる、という立場です。これを記事の本文ではなく「関連項目」節に記載した場合、他の作家や作品の記事の「関連項目」節にも無条件で『文豪ストレイドッグス』を記載できるというお墨付きを与えているような雰囲気が生じてしまうと思います。そこは懸念を抱いているところです。--153.175.232.182 153.207.102.250 2019年10月20日 (日) 10:39 (UTC)[返信]
  • 多分それ(他の記事でも特定のキャラクターのことを記述できる)は本文でも関連項目でも変わらないと思っています。ウィキペディアのルールからあえて離れたところで考えると、基本的にウィキペディアを見ている人たちにとって「正しいかどうか」や「ルール」、「出典の有無」を気にしている人ってそんなにいないと思っていて(いても多くはないと考えていて)、それでは彼らが何を気にしているかというのは「自分の関心のある事柄が掲載されているか」あるいは「自分の望んだ事柄が掲載されているか」だと考えています(だから無出典の加筆が行われることが多い)(個々の参考になりそうなケースはあることにはあるのですが、もし必要であれば言ってください)。まあ、何が言いたいかといいますと、この記事の関連項目でも本文でも載せた時点で「書いて良いんだ」と認識されるものだと考えて相違ないと思っていて、その時点でIP利用者さんの懸念についてはどっちにしても掲載した時点で何かしらの出典を付けて(あるいはつけないで)掲載されるものだと考えて相違ない、というのがこちらの考えです。それを他の記事でさせないようにしたいのであれば、残念ながら記述をしないという方法しかないと思いますよ(すべての記事を永遠に監視するというのは事実上無理で、そのつもりはなかったとしてもWP:OWNに触れるようになるおそれがあると考えております)。派生作品で「文豪ストレイドッグス外伝 綾辻行人 VS. 京極夏彦」というのもあったので、こちらの作品に登場する綾辻行人京極夏彦辻村深月あたりに掲載されるようになる可能性も十二分にあると考えて差支えないだろうと思ってます。--遡雨祈胡会話2019年10月20日 (日) 22:33 (UTC)[返信]

⋆そもそも、ほかの記事に適用できるような基準をもとめて、この記事のノートで論じるのは場所が違うのではないかと感じます(個人的には、記事はすべて違うのでそれぞれ個別に話し合うべきだと思っています)。ここでは「中島敦の記事に文豪ストレイドッグスについて記載する場合はどのような出典をつけてどう書くのが適切か、あるいは記載するべきではないのか」に絞って話し合うほうがいいのではないですか?--海獺会話2019年10月17日 (木) 15:31 (UTC)[返信]

コメント  伊佐坂安物さんのご意見の中で、「名前といくつかの要素を借りただけのまったくの別人物として登場する文豪ストレイドッグスと…」という観点がありましたが、その作家をまことしやかに描いているようでも、「名前といくつかの要素を借りただけのまったくの別人物として登場する」と言えるものなど結構ありますし、突き詰めれば題材にしている作品とはそもそもそんな程度のものだと思います。そして「文豪ストレイドッグス」のようにまことしやかに描かれてはいなくても、その要素の中にはその作家のある部分を抽出している面もありますから、私個人の意見としては「文豪ストレイドッグス」は排除するべきではないと考えています。海獺さんの「どのような出典をつけてどう書くのが適切か」については、153.175.232.182さんの提示なさった新聞記事で十分に要件を満たしており、見出しを「受容」あるいは「大衆文化への影響」などにすれば問題ないかと思います --みしまるもも会話) 2019年10月18日 (金) 01:09 (UTC) 補記--みしまるもも会話2019年10月18日 (金) 02:01 (UTC)[返信]
コメント あの、普通にキャラクターの記事として新規立項としてはダメなのでしょうか。それだけ社会に影響があって出典が揃うのであれば特筆性を満たすと思いますし、そしたらこちらの記事ではキャラクターの影響に触れてあとはそちらの記事で必要な説明をすれば、実在の人物と架空の人物を混同せずに済みますし、どちらかだけ読みたい人も両方読みたい人も選べると思うのですが、いかがでしょうか。--遡雨祈胡会話2019年10月18日 (金) 04:39 (UTC)[返信]
コメント Wikipedia:独立記事作成の目安を満たす出典が得られるのであれば、キャラクター記事の作成もありうるとは思います。ただ、そうした出典をどこまで集められるかというところが問題ですね。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月19日 (土) 15:18 (UTC)[返信]
  • コメント 展覧会図録『中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯』 やIPさんが挙げている特別展の紹介記事(産経の記事、議論中の10月17日付)で、どの程度かはともかく文豪ストレイドッグスの影響で中島敦作品を読む読者が増えているという話が書かれているようです。この特別展関係以外の出典もあったほうが良いと思いますが、作品の受容のされ方や社会的受容の状況への一定の影響が記述できるものとして、(教科書での採用や他の小説家への影響などと合わせて)影響・受容などのセクションタイトルで記述するのであれば同意します。なお、「題材になっている作品」としての掲載にはすでに述べた理由で反対ですし、「関連作品」として說明なしに掲載することにも反対である点は変わりません。また(以下はガイドラインのノートで議論するべきことかと思いますが)他の記事(例えばドストエフスキーなど)において、単に登場するということのみを理由に、文豪ストレイドッグスについて一律に言及することには反対である旨も付記しておきます。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月19日 (土) 15:18 (UTC)[返信]


  • コメント セクション名および「文豪ストレイドッグス」をどのように扱うかという点ですが、「アニメージュ」のサイトではこのような記述があります[10]中島敦展第三部「生きている中島敦」では中島敦の文学世界を受容した代表的作品として『文豪ストレイドッグス』を紹介」。この記述部分は、先だって示した[11]]神奈川近代文学館のプレスリリース的な文書の一部と合致しているものの、記事としてはオリジナルなものです。また例えば「【新釈】走れメロス 他四篇」(梯久美子による書評)、柳広司の「虎と月」(舞台化)など中島作品をもとに解釈された作品のうち、単にモチーフとしているというレベルでなく書評などで触れられている出典となるソースがあるものは、この記事もしくは「山月記」などの作品の記事の「受容」節に本文として入れてよいのではないかと思います。--海獺会話2019年10月20日 (日) 21:37 (UTC)[返信]
報告 2019年10月29日 (日) 15:39 (UTC)の編集で告知テンプレートが撤去され、その後にコメント依頼も取り下げられています(下記の「#告知テンプレート撤去について」参照)。なお、教科記事に推薦させていただき、2019年10月26日 (木) 14:22 (UTC)より3日間掲載されていました。ひとまず雨降って地固まるということで、議論が契機となって記事が大幅に改善されて良かったように思います。皆様お疲れ様でした……。--Assemblykinematics会話2019年11月2日 (土) 03:50 (UTC)[返信]

参考資料 [編集]

編集のご報告とお願い[編集]

2019年10月18日から19日における編集において、導入部の加筆や文献の書誌情報の補填に加えて、節構成を改変させていただきました。この間、伊佐坂安物様やみしまるもも様には出典とともに有益な記述を加筆いただきました。厚く御礼申し上げます……。なお、まだ不完全なところがありますので図書館から書籍を借りてきて自分で加筆・出典付けすべきところではございますが、近日中にウィキブレイクに入るため、勝手ながら後の編集をお願いできればと思っています。これまでの編集にあたって考慮した点、残る懸念事項についてまとめますと……

  • 導入部に「パラオ南洋庁教科書編纂掛」と書いていましたが、現在は「パラオ南洋庁の官吏(内務部地方課の国語教科書編集書記)」に訂正されています。この記述は「略年譜」節にあった記述に基づいたものでしたが、「略歴」(現在は「生涯」節)の記述と合わないため、自分でも気になっていました。このノートページの冒頭の「#略歴について」という議論では略年譜の正確性について疑問が呈されていたようですし、現状では出典付けが著しく不十分なため、精査が必要と感じています。
  • 当初「略歴」節の末尾にあった「好きな相撲取りは双葉山。 」という記述が浮いていたため、「中島敦を題材とした作品」節と合わせて「逸話」節にさせていただきました。その後、議論中ということで伊佐坂安物様が「人物」節と「中島敦を題材とした作品」節に分離されましたが、『名人伝』には絵本があることが分かったため、舞台作品と合わせて「関連作品」節としてまとめさせていただきました。ただ、議論中ということや作品の質が大きく異なるため、「絵本」「舞台作品」「中島敦を題材とした作品」という3つの小節による構成としています。
  • 前述の切り離された「人物」節は記述が双葉山のことだけでバランスが悪かったため、一旦除去させていただきました。将棋や麻雀と一緒に趣味として記載することも考えましたが、学生時代にのめりこんだだけという可能性もありましたし、出典が不明瞭でしたので見送りました。将来的にいろいろな評価や逸話とともに、「人物」節(もしくはそれに類する節)が復活できれば幸いです。
  • 「関連文献」節中の小節「その他」に 辻原登『枯葉の中の青い炎』 新潮社、2005年、ISBN 4104563021。 - 表題作中に脇役として中島が登場。 というものがあります。これも「関連作品」節に移すべきかと思いましたが、作品の詳細が分からなかったため、見送っています。どなたかご確認の上、移動させるべきか否か、もしくは独自研究として除去すべきか、ご検討いただけると幸いです。
  • 参考文献の 『中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯』 神奈川近代文学館・展覧会図録、2019年9月。 についてはISBNが分からなかったため、検証可能性を満たすのか、信頼できる情報源なのか疑問に思いましたが、 『没後五〇年 中島敦展 一閃の光芒』 神奈川近代文学館、1992年9月、NCID BN08477024。 や 『パラオ ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展』 世田谷美術館、2007年、NCID BA83882319。 はNCIDが付されて多くの大学図書館に収蔵されており、この図録もそうなると考えられましたので、そのままにしてあります。
  • 本記事ではありませんが、関係する記事「山月記」の参考文献に 神奈川県立文学館「中島敦展 魅せられた旅人の短い生涯」公益財団法人神奈川文学振興会、2019 が挙げられており、脚注による出典参照に「神奈川県立文学館(2019)」や「神奈川近代文学館(2019)」が見受けられます。おそらく前述の 『中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯』 神奈川近代文学館・展覧会図録、2019年9月。 と同じ図録と考えられ、神奈川県立文学館は神奈川近代文学館の間違いと思われます。

となります。『山月記』で有名な中島敦の記事が思ったよりも不十分だったため僭越ながら編集させていただきましたが、文学に詳しい方によりブラッシュアップしていただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話2019年10月19日 (土) 07:15 (UTC)[返信]

Assemblykinematicsさん、編集どうもありがとうございます。導入部の「内務部地方課の国語教科書編集書記」のところの出典を補記し、略歴の節もそれに合わせておきました。--みしまるもも会話2019年10月19日 (土) 07:52 (UTC)[返信]
みしまるもも様、懸案箇所にご対応いただき、ありがとうございました。また、伊佐坂安物様が大掛かりな編集をしてくださるようで、合わせて感謝申し上げます……。なお、上の議論「#「文豪ストレイドッグス」について」はざっとしか読んでいなかったのですが、記述を残すかどうかだけではなく、節のタイトルも議論されていたのですね……。よく分からないまま節タイトルをいじってしまったこと、お詫び申し上げます……。--Assemblykinematics会話2019年10月19日 (土) 14:36 (UTC)[返信]
皆様いろいろとありがとうございます。私も出典系のテンプレートについて整理しようと思っていたところなので大変助かりました。とりあえず一点だけ申し上げると、おそらく、編「修」書記が正しそうです(小谷汪之氏や勝又浩氏の著作、また上記特別展で展示されている辞令でも「編修」となっているため)。のちほど加筆と合わせて調整したいと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月19日 (土) 15:18 (UTC)[返信]
Assemblykinematicsさん、編集ありがとうございます。また、懸念事項をあげていただき、ありがとうございます。「山月記」の参考文献について、手元の図録を確認し、「神奈川近代文学館」に修正いたしました。--Mayonaka no osanpo会話2019年10月19日 (土) 22:28 (UTC)[返信]
返信 (Mayonaka no osanpo宛) こことノート:山月記の両方に返事させてしまい恐縮です。早速ご対応いただき、ありがとうございました……。--Assemblykinematics会話2019年10月20日 (日) 14:46 (UTC)[返信]
コメント 先のご報告で書き損ねたのですが、研究史や保存活動のような記述があるとよいと思っています。
正岡子規には松山市立子規記念博物館があり、太宰治には太宰治記念館 「斜陽館」がありますが、中島敦にはそのような記念館や収蔵施設はありません。ですが、神奈川近代文学館には中島家から寄贈された資料による「中島敦文庫」があり[1]、この文庫の存在は生誕100周年を記念して発行された別冊宝島でも言及されているようです[2][3]。また、
といった出版活動も活発であり、没後60年[1]や没後75年[4]、生誕100年[5]には企画展が開催されています(もちろん中島敦に限ったことではありませんが……[6])。さらに上の議論でも言及されているように今現在(2019年10月時点)も企画展が開催中であり、漫画作品とのコラボレーション企画が実施されている点も特筆すべき点かもしれません[7][8]文学館における同様の試みは高知県立文学館で先例[9]があり、オリジナルの取り組みという訳ではありませんが……)。
また、2002年には家族親族の漢学の素養を研究した書籍が発行され[10]、パラオでの経験に着目した展示が2007年に[11]、幼少期の挑戦とパラオの2つの植民地経験に着目した書籍は2019年[12]になって出版されていることも興味深く感じています。研究史ということで、どの研究者がどのような着眼点で調査研究していったのか、簡単にまとまっていると有益だと考えています。
つい先程、伊佐坂安物様の大掛かりな改訂作業が終わったようですので、(書ける範囲で)加筆してみたいと思います。

文献・情報

  1. ^ a b 収蔵コレクション展6「中島敦文庫」”. 神奈川近代文学館. 2019年10月20日閲覧。
  2. ^ 別冊宝島1625 端正・格調高い文章を味わう 中島 敦”. 別冊宝島. 宝島社. 2019年10月19日閲覧。
  3. ^ 『端正・格調高い文章を味わう 中島 敦』 宝島社別冊宝島 1625〉、2009年、ISBN 978-4-7966-7036-4
  4. ^ 田沼光明主宰 中島敦の会「中島敦歿後75年記念 SPレコードコンサート―中島敦の愛した音楽たち」講師:庄司達也氏(2017年9月23日[土・祝]、県立神奈川近代文学館)”. 学会・講演会・展覧会情報. 笠間書院 (2017年9月5日) 2019年10月20日閲覧。
  5. ^ 企画展「生誕100年記念 中島敦展―ツシタラの夢―」”. 神奈川近代文学館. 2019年10月20日閲覧。
  6. ^ 刊行物”. 神奈川近代文学館. 2019年10月20日閲覧。
  7. ^ 神奈川近代文学館 2019.
  8. ^ 加藤聖子 (2019年10月17日).“中島敦、短くも波乱の生涯 生誕110年 横浜で特別展”(1頁2頁”). 産経ニュース. 2019年10月20日閲覧。
  9. ^ 江戸川乱歩の華麗な本棚 文豪ストレイドッグス×高知県立文学館」『高知県立文学館ニュース藤並の森』第83号、2018年11月、2頁。ほか7頁や8頁にも言及あり。
  10. ^ 村山吉廣『評伝・中島敦 家学からの視点』 中央公論新社、2002年、ISBN 4120033171
  11. ^ 『パラオ ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功展』 世田谷美術館、2007年、NCID BA83882319
  12. ^ 小谷汪之『中島敦の朝鮮と南洋 二つの植民地体験』 岩波書店、2019年、ISBN 9784000283861
--Assemblykinematics会話) 2019年10月20日 (日) 14:46 (UTC) 参照しなかった文献をコメントアウト、署名の行のインデントを調整。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 04:26 (UTC)[返信]
保存活動・企画展についての加筆ありがとうございます。文豪ストレイドッグスについてはAssemblykinematicsさんの加筆した部分に言及されているようですし、「作中の敦が持つ異能力「月下獣」」という部分は書くとしてもそちらに移して、「中島にちなんだ人物が登場する作品」の節はWikipedia:関連作品にしたがって消去することを提案します。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月20日 (日) 16:02 (UTC)[返信]
「関連作品」中の絵本と舞台作品は、それぞれ『山月記』や『名人伝』の記事内で書くのが適切なので、「関連作品」という項目自体を失くしてしまい、「中島敦にちなんだ人物が登場する作品」という節は記事の一番最後(関連文献よりも後)に設けて書けば、特に問題ないように思います。『文豪ストレイドッグス』の中島敦は、一応「ちなんだ人物」の範疇に入れてもいいと私個人は思いますが、あるいは「中島敦をヒントにした人物が登場する作品」と節名を変え、その節内でそのキャラに短く触れる程度は構わない気がします。--みしまるもも会話) 2019年10月21日 (月) 06:01 (UTC)補記--みしまるもも会話) 2019年10月21日 (月) 08:17 (UTC)補正--みしまるもも会話2019年10月21日 (月) 10:24 (UTC)[返信]
みしまるももさんのご意見の前半、つまり絵本・舞台作品の除去には賛成です。文豪ストレイドッグス等については記載するのであれば「ちなんだ人物が登場する作品」などの節をもうけてばらばらに記載するよりも、「受容」などのどこか一箇所の節にまとめて書いておいたほうがわかりやすいと思いますが、いかがでしょうか?--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月21日 (月) 13:22 (UTC)[返信]
伊佐坂安物さん、どうもありがとうございます。今現在の「評価・影響・受容」の節を読みますと、おもに教科書掲載作品をめぐる「評価」の内容となっており、他の後継作家に与えた文学的影響に関する記述はないので、そこは「評価」のみの節としておいて、『文豪ストレイドッグス』のような派生物への影響は「受容」という節名の中の「中島敦にちなんだ人物が登場する作品」あるいは「中島敦をヒントにした人物が登場する作品」のような小見出しで書くのがいいのではないかなと思います。「影響」という節を作る場合には純粋に文学的な影響などを書くのが相応しいと思うので、それ以外のちょっとしたものは「受容」の中の一つとして書き置く感じです。--みしまるもも会話2019年10月22日 (火) 00:30 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。一箇所に集約という点にご賛同いただき嬉しく思います。「評価・影響・受容」の節は、たしかに現状では教科書への採用および毎日出版文化賞の受賞(およびそれにともなう吉川幸次郎らの評価)のみなので、それ以外の点も加筆していきたいと思います。その上で、教科書への採用および毎日出版文化賞の受賞は社会的な「受容」でもありますし、社会・教育への「影響」ととることもできて、「評価・影響・受容」の三つをそれぞれを厳密に切り分けられないという面もある印象です。サブカル面での「受容」という意味でいえば「中島敦にちなんだ人物が登場する」という以外にも(実際に書くかどうかはともかく)アニメ『バケモノの子』に『悟浄出世』を下敷きにしていると言った話もありますし、「評価・影響・受容」の節の下に、「文学的評価」、「文学作品への影響」、「社会への受容」(教科書採用など)、「大衆作品への影響・受容」(文豪ストレイドッグス等以外にも、例えば北方謙三への影響なども合わせて書く)のような小見出しを設けて整理していくというのをイメージしています。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月22日 (火) 02:27 (UTC)[返信]
返信 (伊佐坂安物様、みしまるもも様宛) お二人の間でだいたい話がまとまったようですので、文豪ストレイドッグスについてはその方向で進めていただいて構いません。ただ、野村萬斎氏が舞台化をしたということについては中島敦の会主催の朗読会にも関係しますので、そちらに移動させて少し言及してみようと思います。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 04:26 (UTC)[返信]
返信 (伊佐坂安物様宛) Template:Sfnの参照ミスを修正をさせていただきましたが、ソース中に「また叔父の[[満州国]]高級官僚の[[中島比多吉]]に就職の斡旋を依頼するなどしていた{{Sfn|勝又|pp=27-29}}。」とある部分については、勝又氏の参考文献が2004年と2009年の2つあったため、どちらか確定できませんでした。お手数ですが、当該部分を執筆された伊佐坂安物様に年数を補填いただきたい次第です……。--以上の署名のないコメントは、Assemblykinematics会話投稿記録)さんが 2019年10月22日 (火) 04:27 (UTC) に投稿したものです(Araisyohei (talk)による付記)。[返信]
すみません。修正ありがとうございます。上記部分は対応いたしました。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月22日 (火) 12:03 (UTC)[返信]
コメント ご対応いただき、ありがとうございます。やはり勝又2004だったのですね。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
報告 全体的な記事構成の調整や加筆に伴い、議論中ではありましたが記述場所の修正をさせていただきました。なお、加筆にあたっては上の#ウィキペディアブンガク 中島敦で海獺様が提示されたサイトを出典にさせていただきました。情報提供、感謝申し上げます……。また、今後の議論の経緯によって、当該記述が移設されたり除去されたりすることには反対いたしません。取り急ぎ、ご報告申し上げます……。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
コメント 色々とご対応いただきありがとうございます。企画展のところの「神奈川近代文学館でも2019年の企画展で『文豪ストレイドッグス』とのコラボレーション企画を実施した[85][81]。同作には「中島敦(英語版)」という主人公が登場しており[70][71]、この漫画作品の読者が中島の作品も読むようになるケースが見受けられるという[81]。」という記述ですが、「漫画作品の読者が中島の作品も読むように」の部分は企画展そのものというよりも受容の一環ですので、受容節の文豪ストレイドッグスの說明に移動させて、企画展の節では「神奈川近代文学館でも2019年の企画展で前述の『文豪ストレイドッグス』とのコラボレーション企画を実施した」のみと記述したほうがよりまとまりが良いように感じますので、特に問題なければそのように編集させていただければと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月22日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
返信 そうしていただいて構いません。自分でも後で読み返してそうすべきだったと感じていたところでした。配慮が足りず、恐れ入ります……。また、略年譜に出典付けをしていただき、ありがとうございました。なお、先ほど「久喜・中島敦の会」を加筆しましたので、本記事の編集からは当分手を引くつもりです。伊佐坂安物が編集される際に、作品一覧における李陵の説明文の推敲(脱字を補ったり、要出典部分の出典付け)や、関連文献への追記(山口比男『汐汲坂 ― 中島敦との六年』 えつ出版、1993年5月、NCID BN11349306。)を行っていただけると、助かります。あと、そろそろ上の議論でTemplate:告知の撤去を呼びかけてもよい時期に来ていると思っています。併せてご検討いただけると幸いです……。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 16:49 (UTC)[返信]
ここにあった議論は、下記の「#「保存活動・企画展」における記述について」へ移動させていただきました。--Assemblykinematics会話2019年11月2日 (土) 03:50 (UTC)[返信]

Assemblykinematicsさん、伊佐坂安物さん編集ありがとうございました。ただ少し伊佐坂安物さんの編集で気になる点があり、「評価・影響・受容」の節を一緒にすることは構わないのですが、今の書き方だと、流れ的に『枯葉の中の青い炎』も『文豪ストレイドッグス』もすべて何もかもが教科書掲載の影響かのようなまとまりになっており、そうしたまとめ方がやや独自研究になっていると思います(『枯葉の中の青い炎』の南洋庁のナカジマは教科書掲載作品とはあまり関係ないことと思います)。なので、やはりAssemblykinematicsさんが見出し分けしたように、「国語教科書への採用」と「中島にちなんだ人物が登場する作品」はちゃんと分けた方が適切だと感じます。--みしまるもも会話2019年10月23日 (水) 00:56 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。単に様々な受容がなされているということを並列している感じであり、『枯葉の中の青い炎』に教科書の影響があると明言はしていることもないので、独自研究ということもないと個人的には考えますが、改行を入れてみました。これでご懸念の点は解消されるのではないかと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月23日 (水) 13:30 (UTC)[返信]
返信 (伊佐坂安物宛) 写真が加わって記事がぐっと良くなったと思いますが、導入部だけは修正していただけないでしょうか?ブラウザですと、「中島敦」にカーソルを合わせると冒頭の顔写真と導入部第一段落がポップアップ(ページプリビュー)として表示されますが、導入部第一段落に作品名が全く書かれておらず、『山月記』の作者と認識してもらえない可能性があります(Wikipedia:井戸端/subj/内部リンクにカーソルを合わせた際の概要表示やモバイルビューについて)。また、モバイル端末でモバイルビューを閲覧すると、導入部第一段落・Infobox・導入部第二段落という順番で表示され、Infoboxの途中まで行かないと作品名が目に入りません。内部リンクをクリックして飛んだページで、一度目にした情報だけで記事を読むかどうか判断する場合、教科書の『山月記』の作品名しか覚えていない読者は「山月記の中島敦」として認識できない可能性が出てきます。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)にも第一段落の書き方について記述があり、そちらも参照の上、以前に導入部を書き直させていただきました。ご検討ください。--Assemblykinematics会話2019年10月23日 (水) 19:37 (UTC)[返信]
(追伸)すいません。編集から手を引くと書きましたが、どうしても気になったので少し筆を入れさせていただきました。「代表作」という言い方が問題のようでしたので、ひとまず「著作」ということで第二文で『山月記』『光と風と夢』『李陵』をあげさせていただきました。また、「評価・影響・受容」節については毎日出版文化賞の記述を若干重複させることにより、「評価」「影響」「受容」という小節を設けてみました。たたき台ということで、伊佐坂安物様やみしまるもも様にさらに編集していただいて構いません。取り急ぎ……。--Assemblykinematics会話2019年10月23日 (水) 20:25 (UTC)[返信]
返信 (Assemblykinematicsさん宛)  「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」は存じていましたが、モバイルビューへの配慮は気づきませんでした。失礼しました。『山月記』『光と風と夢』『李陵』の三つをピックアップする出典・基準があったほうが良いと思いますが、ご懸念の点は解消されたものと理解します。ありがとうございます。「評価・影響・受容」節についてですが、現状の「評価」と「受容」の見出しはそれぞれ一段落しかなく、「Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)」に「たった1つや2つの段落には用いないでください」とあることからすると、この方法で切り分けるのはあまり推奨されていない気がします。教科書への採用は現状「影響」節に分類されていますが、受容と言えるとも思いますし(受容理論)、分けるのであれば加筆の上で「評価」と「影響」の2見出しの構成あるいは、「評価」「社会への影響」「(大衆)作品への影響」が適切なのではないかと考える次第です。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月23日 (水) 23:13 (UTC)[返信]

(伊佐坂安物さんへ)冒頭部について、代表作の概念が曖昧だということですが、そもそも代表作とはそんなに厳密な定義があって「どれか一つ」に限られるものではなく、それらを優劣なく複数並べても構わない類のものです。そして、勝又が『李陵』を「異論なく代表作」だと述べているからと言って、『山月記』『光と風と夢』『弟子』が代表作にならないということはないので、そこのところをご理解いただきたいなと思います。あとは「特に『李陵』が最も優れた作品として知られている」というところも、その2人はそう明言しているのかもしれませんが、そうしたものは評論家によっていろんな観点の評価があるので、あまり冒頭文で断定的に高らかに書くのは賛成できません。例えば、三島由紀夫などでは『金閣寺』がそれに相当するかと思いますが、『仮面の告白』が一番だと論評する評論家も結構あり、そういうのは性質上どれが一番だと言い切れないものなので、「特に『○○』が最も優れた作品として知られている」ということを作家の記事で決定づけて掲げてしまうのはよくないと思います。--みしまるもも会話2019年10月24日 (木) 01:09 (UTC)[返信]

(伊佐坂安物様、みしまるもも様へ)基準がないとあれもこれも……となりかねないため、伊佐坂安物の懸念はよく分かります。なお、先の編集で導入部第一文に3作品を上げさせていただいた際は、
  • 山月記』 - 長年教科書に採用され、一般的な知名度が最も高い。雑誌に掲載された最初の作品でもある。
  • 光と風と夢』 - 芥川賞候補作品であり、最初の書籍の表題作である。
  • 李陵』 - 伊佐坂安物様が提示されたように高く評価されており、特に日本のみならず中国でも評価されている(書籍化も中国が先)。
  • 自分が編集に加わる前の版において、Infobox中の代表作に上記3作品だけ掲載されていたため。
といった理由がありました。なお、
  • 弟子』 - 最初の教科書掲載作品。
  • 名人伝』 - 野村萬斎により山月記とともに舞台化され、絵本にもなっている(該当記事を再確認すると、人形アニメや漫画にもなっているようです)。
についても気になりましたが、先の3つに比較すると重要性が低いと感じられたため、見送らせていただきました(どうしましょうか?今確認すると、みしまるもも様によって『弟子』が加筆されていましたね……。教科書掲載作品ということで差し支えないのかな?と感じた次第です。)。
あと節構成については「評価」「影響・受容」でも良いと思いますし、「評価」「社会への影響」「大衆作品への影響(受容)」が好ましいような気もしました。「評価」については芥川賞候補にあがった際のエピソードも加筆できそうな気がしており、段落は増えていくと考えています。また、「大衆作品への影響(受容)」においても、『枯葉の中の青い炎』と『文豪ストレイドッグス』は段落を分けても良いと思いますし、『山月記』や『名人伝』の舞台化などについて加筆するというのも手もあるかもしれません。。--Assemblykinematics会話) 2019年10月24日 (木) 02:20 (UTC) 下線部を追記させていただきました。--Assemblykinematics会話2019年10月24日 (木) 02:38 (UTC)[返信]
Assemblykinematicsさん、どうもありがとうございます。『弟子』については、文庫『李陵・山月記』の瀬沼茂樹の解説において、「その代表作『弟子』や『李陵』を…」とあるので問題はないと思います。生前最後に発表された『名人伝』も併記してもいいかなと思いましたが(結構論文対象になっている作品なので)、コトバンクに紹介されている一般辞書では注目度が他の作品に比べて低いので入れませんでした。
「受容」関係の節名については、「大衆作品への…」とするより単に「他の作品への影響・受容」とする方が、『枯葉の中の青い炎』も一緒に記述できますし、大衆作品と決めつけられないような野村萬斎による舞台化も触れられると思います。--みしまるもも会話2019年10月24日 (木) 07:44 (UTC)[返信]
ありがとうございます。導入部については現状で賛成です。また、上記の節のタイトルはいったん「諸作品への影響」にしてみました。よろしくお願いします。--伊佐坂安物会話/履歴2019年10月29日 (火) 11:20 (UTC)[返信]

「保存活動・企画展」における記述について[編集]

他の議論との区別のため、サブセクションにさせていただきました。--Assemblykinematics会話2019年11月2日 (土) 03:50 (UTC)[返信]

「保存活動・企画展」のセクションに「なお、文学に親しむ若者が減少していることへの懸念から」という書き出しの部分がありますが、出典にはそのような懸念は見つけられず「WP:SYN」に相当する独自研究のおそれがあります。「また」程度でよいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?--海獺会話2019年10月22日 (火) 12:10 (UTC)[返信]

コメント ご指摘ありがとうございます。この部分は
における「今回の企画が、とりわけ本離れ、活字離れが著しいといわれる中高校生、大学生、若者の感性と創造性を引きつけることを願ってやまないが、……」という部分を出典にしています。ただ、出典の書き方が悪かったですし、ニュアンスが変わってしまっていたり、情報の結合に抵触する恐れがあることは確かだと思います。時間がなかったとは言え、推敲が不十分であったことお詫び申し上げます……。現在全体的に編集中ですので、上記部分も見直してみます。取り急ぎ……。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 13:31 (UTC)[返信]
(追伸)ちなみに上記岡崎館長の文章には「「文豪ストレイドッグス」という漫画……中高校生、大学生、若者を中心に大人気になっている。……当館では、この人気にあてこんで……企画展を開催する。」という記述もあります。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 13:52 (UTC)[返信]
報告 将来的な加筆に備えて出典は残していますが、問題視されにくい状態で文章化することが難儀でしたので、ひとまずご指摘の部分は除去しています。--Assemblykinematics会話2019年10月22日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
報告 勝手ながら他の議論の流れが読みにくくなっていたため、場所を移してサブサクションとして独立させていただきました。普段は著作権侵害にならないように一度資料を読み込んでから「自分の言葉で」文章を書き起こし、その後に整合性を確認(出典との対応場所、不正確でないか、など)していました。ですが今回は時間がなく、その辺りの確認や推敲を怠って編集を投稿してしまった次第です。余計なご心配をおかけしてしまったこと、改めてお詫び申し上げます……。--Assemblykinematics会話2019年11月2日 (土) 03:50 (UTC)[返信]

告知テンプレート撤去について[編集]

他の議論との区別のため、サブセクションにさせていただきました。--Assemblykinematics会話2019年11月2日 (土) 03:50 (UTC)[返信]

(インデント戻し)議論が一旦収束の方向に向かっているように思いまして、一度{{告知|議論}}とコメント依頼について、この点に限りご意見なければ10月30日 24:00 (JST)で一度解除したいと考えております。--Araisyohei (talk) 2019年10月29日 (火) 12:58 (UTC)[返信]

提案後に、告知については提示日程より前に除去されたようです。なお、コメント依頼については先ほど掲出を取り下げました。--Araisyohei (talk) 2019年10月30日 (水) 22:23 (UTC)[返信]
コメント 提示日程前に編集されていますが、24:00を0:00と解釈されたのかもしれませんね。他に異論はなかったようですし、2019年10月22日 (火) 16:49 (UTC) の時点で告知テンプレート撤去の検討について提案が行われていますので、合意形成としては差し支えないような気がしています。海獺様、Araisyohei様、ご対処いただきありがとうございました……。--Assemblykinematics会話2019年11月2日 (土) 03:50 (UTC)[返信]

作品一覧のところ[編集]

伊佐坂安物さん、作品一覧の表作成どうもありがとうございました。とても見やすくなりました。今、脱稿や発表の順番でなくなっているので、「作品」と「説明・備考」の間に「脱稿・初出」という欄を作り、数日中に初出誌などの年月を入れる作業をしています。一応競合を避けるため念のため「工事中」を貼っておくのでよろしくお願いいたします。--みしまるもも会話2019年11月1日 (金) 00:39 (UTC)[返信]

ありがとうございます。私も脱稿や初出の順に並べようかと思いながら力尽きてしまったので、作品説明の空欄だった部分と合わせて加筆して頂き大変助かります。表については現状の構成で大賛成です。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月3日 (日) 16:23 (UTC)[返信]
報告 個別の作品記事を読みたいと思った際に、現状の一覧表では内部リンクを探すのが大変でしたので、ひとまず表の手前にTemplate:See alsoのような形で作品記事への誘導を行うようにしてみました(差分:中島敦)。--Assemblykinematics会話2019年11月30日 (土) 08:04 (UTC)[返信]

外国語版の書籍について[編集]

どこで尋ねようか迷いましたが、ここがちょうど良さそうなので相談させていただきたい次第です。少し調べてみたところ、中島敦作品は

  • by Atsushi Nakajima ; translated by Yoshitsugu Kosumi(小角義次), Michael Neiburg (1990). Chinese stories. Senjo Publishing. - 英語、名人伝(The life of a Master)、山月記(A tale of mountains and the moon)、?(Waxing and waning)、牛人(A bull man)、弟子(Disciples)、李陵(Li Ling)を収録(NCID BA11341255)。
  • Atsushi Nakajima ; translated by Akira Miwa(三輪明) (1962). Light, wind, and dreams : an interpretation of the life and mind of Robert Louis Stevenson. Hokuseido Press. - 英語、『光と風と夢』(NCID BA06868368参照、改訂版は1965年刊NCID BA44163232)。
  • Atsushi Nakajima ; translated by Paul McCarthy and Nobuko Ochner (2011). The moon over the mountain, and other stories. Autumn Hill Books. ISBN 9780982746608 - 英語アメリカ合衆国で出版、山月記・名人伝・牛人・妖雰録・弟子・悟浄出世・盈虚・李陵・悟浄歎異を収録(NCID BB05852111)。
  • Seven stories of modern Japan. edited by Leith Morton, Wild Peony , International distribution, University of Hawaii Press, (The University of Sydney East Asian series, no. 5). (1991). ISBN 0959073590 - 英語、オーストラリアで出版、幸福(Happiness)と木乃伊(The mummy)を収録、Sakuko Matsui翻訳(NCID A2097406X識別子"A2097406X"は正しくありません。)。
  • Nakajima Atsushi ; traduit du japonais par Véronique Perrin (2011). Trois romans chinois. Allia. ISBN 9782844853875 - フランス語、わが西遊記(Wagasaiyûki)、弟子(Deshi)、李陵(Riryô)を収録(NCID BB05488198)。
  • Nakajima Atsushi ; traduit du japonais par Véronique Perrin (2010). La mort de Tusitala. Anacharsis. ISBN 9782914777667 - フランス語、光と風と夢(Hikari to kaze to yume)を収録(NCID BB06704153)。
  • Nakajima Atsushi ; traduit du japonais par Véronique Perrin (2012). Le mal du loup. Éditions Allia. ISBN 9782844854452 - フランス語、狼疾記(Rôshitsuki)を収録(NCID BB10770876)。
  • Atsushi Nakajima ; aus dem Japanischen übersetzt von Stefan Wundt und Nobuhiro Kawauchi (2000). Der Tiger im Mondlicht und andere Erzählungen. Kokusaigogakusha. ISBN 4877311203 - ドイツ語、山月記(Der Tiger im Mondlicht)、弟子(Der Meisterschüler)、李陵(Ri Ryo)、名人伝(Der Meister)を収録(NCID BA51841275)。
  • Nakajima Atsushi ; a cura di Giorgio Amitrano (1989). Cronaca della luna sul monte, e altri racconti. Marsilio editori. (Letteratura universale Marsilio . Mille gru : collana di letteratura giapponese). ISBN 8831751735 - イタリア語、山月記・狐憑・文字禍・幸福・牛人、夫婦、木乃伊、李陵を収録(NCID BA18869641)。
  • Atsushi Nakajima, Ryūnosuke Akutagawa ; przekład z języka japońskiego i opracowanie przypisów, Krzysztof Szpilman (2014). Niesamowite opowieści z Chin : czyli, O uczuciach Konfucjusza, o poecie, który został tygrysem, o czarnoksiężniku z Luoyangu i wielu innych niezwykłych postaciach. Siedmioróg. ISBN 9788377911532 - ポーランド語、日本語題名『中国幻想的短編集』、芥川龍之介の作品とともに、中島作品は名人伝・山月記・牛人・弟子を収録(NCID BB19920173)。
  • Япон : өгүүллэг, тууж. Монсудар. (2016). ISBN 9789997313881 - モンゴル語、太宰治や樋口一葉など複数の日本人作家の作品を収録、どの中島作品が掲載されているかは不明(NCID BB23850854)。
  • 나카지마 아츠시 지음 ; 명진숙(明 眞淑)옮김 ; 신영복(申 榮福)監譯 (1993). 역사속에서 걸어나온 사람들. 다섯수레. ISBN 8974780003 - 韓国語、李陵・山月記を収録(역사 속 에서 걸어 나온 사람 들)(NCID BA63961412)。
  • 아쿠타가와 류노스케, 나카지마 아쓰시, 유아사 가쓰에 ; 최관, 유재진 옮김 (2007). 식민지 조선의 풍경 : 조서을 그린 일본 근대소설. 고려대학교출판부 (일본명작총서, 3) - 韓国語、芥川龍之介や湯浅克衛の作品と共に中島作品は「虎狩」を収録(NCID BA89535792)。
  • 中岛敦著 ; 韩冰, 孙志勇译 (2013). 山月记. 中华书局 (OPEN : 风度阅读, . 书传递灵魂). ISBN 9787101090338 - 中国語中華人民共和国出版(NCID BB14285191)。
  • Nakajima Atsushi ; traduit du japonais par Véronique Perrin (2010). Histoire du poète qui fut changé en tigre ; et autres contes. Éditions Allia.ISBN 9782844853455 - フランス語、古譚(Kotan)、牛人(Gyûjin)、名人伝(Meijinden)、南島譚(Nantôtan)を収録(NCID BB10833397)。
  • nhiều tác giả ; Nguyễn Nam Trân chủ biên (2007). Vườn cúc mùa thu : tản bộ trong văn học Nhật bản. Nhà xuất bản Trẻ. - ベトナム語芥川龍之介太宰治ら複数の日本人作家の作品集で、中島作品は山月記(Gào trăng trong núi)を収録(NCID BB2114605X)。
  • និពន្ធដោយ ណាកាជីម៉ា អាតស៊ឹស៊ី ; បកប្រែសំរួលពីភាសាជប៉ុនដោយ ប៉ែន សេដ្ឋារិន (2002). ឱ! ដួងច័ន្ទនៃព្រៃភ្នំអើយ ; លី លៀង ; ពិស្ណុការ. ប៉ែន សេដ្ឋារិន. - クメール語、Penn, Setharin 訳、山月記・李陵・名人伝を収録(NCID BA68576350)。
  • Nakajima Atusi ; tradukis, Miyamoto Masao(宮本正男)(1963). La Obstino : rakontoj de Nakazima Atusi. Pirato. - エスペラント語NCID BA26151898)。

のように外国語でも出版されているようです。

ひとまず、かめれおん日記狼疾記山月記文字禍わが西遊記(悟浄出世、悟浄歎異―沙門悟浄の手記―)、環礁―ミクロネシヤ巡島記抄―(環礁)、牛人名人伝弟子 (小説)李陵 (小説)といった個別の作品記事に書誌情報を追記しようと思っていますが、本人物記事にはどのように反映させるべきか思案しています。方針としては

  1. 有名作家の作品が翻訳されることは当たり前なので、特に何も書かない。
  2. 作品集的なものだけ、「作品集」の小節に【作品集(外国語)】と小見出しを付けて掲載する。
  3. 「著作一覧」節か「評価・影響・受容」節のどこかに、文章として海外での出版状況を記述し、その出典として上記文献を反映させる。

などが考えられますが、いかがでしょうか?--Assemblykinematics会話2019年11月30日 (土) 01:41 (UTC)[返信]

  • コメント  Assemblykinematicsさん、調査どうもありがとうございます。翻訳の情報は、個別の作品記事の書誌情報に各国の翻訳書を詳しく追記すれば、作家記事内には入れなくてもいいのではないかなと思います。『李陵』の中国版は早い時期なので特記性はありましたが、他は英語版などをもし載せる場合、上2つを記載するくらいが分量的に適切な感じがします。--みしまるもも会話2019年11月30日 (土) 03:26 (UTC)[返信]
    • コメント ご助言ありがとうございます。基本的には各作品記事に加筆し、本記事には特に記さないか、せいぜい英語版を反映させるといった程度でしょうか。なお、各作品記事には英語名も記載することになると思いますが、「Waxing and waning」については対応する作品名が分かりませんでした。ご存じの方がいらっしゃいましたら、情報をお寄せいただけると助かります……。--Assemblykinematics会話2019年11月30日 (土) 08:04 (UTC)[返信]
「Waxing and waning」は、たぶん「盈虚」のことかもしれませんね。--みしまるもも会話2019年11月30日 (土) 08:21 (UTC)[返信]

良質記事選考を受けての整理について[編集]

伊佐坂安物さん、「生涯」節にエピソード的なものを移行してくださり、どうもありがとうございました。ただ、作家記事では簡略化した「略年譜」の節も設けておく方が分かりやすく、評伝本などでも必ずあるものなので、重複する点があってもやはり付けておいた方がいいと思います(簡素化して)。なので簡素に整理した「略年譜」をあとで編集しておきます。

また、良質記事選考コメントのIso10970さんのご提案の「中島敦の著作一覧」の分割については、中島敦はさほど著作がない作家でもありますし、「著作」といういわばその作家にとって一番大事な情報は、なるべく別ページ化せず、他の節と並行しながらスクロール閲覧可能な同じページに本来あるべきものなので、分割には反対いたします。私的には今の状態でも特に問題ないと思いますが、もしも表形式がモバイルで見づらいということであれば、普通の書き方にし、個別記事のあるものについては説明を少し整理してみます。--みしまるもも会話2019年11月19日 (火) 01:05 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。著作一覧は表形式のほうがPCから見る分には圧倒的にわかりやすいので、私も表形式のままで行きたいのですが、表形式を維持したままモバイル版での見え方(横幅が大きく見切れてしまい、スクロールして読むのが難しい)を改善できればと思っています。技術的にどうすればいいのかまだ考えていないので、どなたか良案があればご提示いただければありがたいです。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月19日 (火) 14:59 (UTC)[返信]
モバイル版で大半が横にはみでてしまうのは、「脱稿・初出年月」の列の内容が「1939年1月15日に原形を脱稿(原稿33枚中32枚目までの時点。のちに赤の抹消線あり)」のように1行が長すぎることも一因のようです。「説明・備考」の長さもさることながら、この部分をもっと短くすれば多少改善にはなるのではないでしょうか。表内に入れるのは「○年×月脱稿」「○年×月○○誌掲載」程度とし、それ以上はカットするか脚注に回すこともできると思います。個別作品の情報をまとめたページを分割することについても、分割に際して全情報を追い出す必要はなく、重要部分はここにも別ページにも書くと考えれば対応しやすいのではないかと思います(ちょうど「略年譜」と「生涯」の関係のように)。 --2001:240:2413:1A8D:7055:F03:6D17:A9EB 2019年11月20日 (水) 09:00 (UTC)[返信]
尚、表の表示に関して、モバイルのChromeの場合「。」「、」「)」等で改行される、Firefoxでは文末の「。」のみで改行される、という表示に見えます。(このため、対処療法的ですが、長い文を書かず「。」までの文字数を減らす書き方にすると見易くなると思います。) --2001:240:2413:1A8D:7055:F03:6D17:A9EB 2019年11月20日 (水) 09:10 (UTC)[返信]
コメント 2001:240:2413:1A8D:7055:F03:6D17:A9EBさん、いろいろ教えていただき、どうもありがとうございます。それらを参考に「脱稿・初出年月」のところの幅が狭くなるよう少し整理してみます。伊佐坂安物さん、先ほど「家族・親族」節に各々の生没年などを加筆しておきました。旧暦の月日を西暦の月日で調べる時間がなかったので、どなたかそこを補填していただければありがたく存じます。。。--みしまるもも会話) 2019年11月20日 (水) 11:31 (UTC) 補記--みしまるもも会話2019年11月20日 (水) 11:38 (UTC)[返信]
返信 家族の節について、旧暦新暦の変換を行いましたのでご確認ください。--Araisyohei (talk) 2019年11月20日 (水) 17:49 (UTC)[返信]
Araisyoheiさん、どうもありがとうございました。--みしまるもも会話2019年11月21日 (木) 00:44 (UTC)[返信]
コメント みなさま、記事の加筆お疲れ様です。「生涯」節の文章量がかなり増えていたため、サブセクション(小節)を増やしてみました(「東京、横浜時代」を「東京での学生時代」と「横浜での教員時代」に分割、「パラオ時代、帰京後」を「パラオ南洋庁時代」と「帰京後、没後」に分割)。小節のタイトル名はとりあえず付けてみた状態ですので、他によいものがあれば修正してくださって構いません。また、小節の追加設置にあたり文章のつながりを修正しましたが、それに合わせて主語も統一してみました。これまでは「敦」「中島敦」「中島」が混在していたため、ひとまず「敦」に統一しています。ただ、「生い立ち」節では中島姓の家族親族名が登場するため「敦」が好ましいと考えられますが、他のセクションではそうではないため、迷いが残っているのが正直なところです(他の人物記事では名字を主語にすることが多かったので……)。「やはりここはこれでよい」という点がございましたら、適宜修正していただけると幸いです。取り急ぎ、以上ご報告申し上げます……。--Assemblykinematics会話2019年11月22日 (金) 11:48 (UTC)[返信]
  • コメント 皆様ありがとうございます。GA選考で指摘されている点ともかぶりますが、昨日時点の版をもとに、個人的にこうしたほうがより良いのではと思う点をあげます。細かい点もありますが、番地等については差し戻されているので、ひとまずノートに書きます。
    • (全体)
    • 分量 - 結構な分量になってきていますので、なるべく重複する部分や必要でない部分は減らして、また細かい点は注釈に飛ばしたほうが、可読性の面で良いと思います。
    • 文中での記事主題を示す語 - 上でご指摘のある「敦」「中島敦」「中島」が混在していた点については、「中島敦」で統一するのが良いと考えます。勝又浩『中島敦の遍歴』や『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』所収の文章を見ても、本文中でも都度、「中島敦」とフルネームで記載していることが標準的で、「敦」とファーストネームだけで本文中で記載する文献は多くないためです。「中島」とする文献もありますが、優勢ではなく、Assemblykinematicsさんのご指摘のように、中島姓の家族親族名が出てくることを考慮するとフルネームのほうが望ましいでしょう。
    • §生い立ち
      • 「東京府東京市四谷区箪笥町59番地(現・東京都新宿区四谷三栄町)[10])で、父・中島田人(たびと)と、母・チヨの長男として生まれた」 - 細かい住所(番地)まで本文に書く必要性は乏しく、可読性を下げるように思います。単に「東京府東京市四谷区で(中略)生まれた」とし「箪笥町59番地(現・東京都新宿区四谷三栄町)」の部分は注釈に飛ばしたほうが良いと思います。「埼玉県南埼玉郡久喜町大字久喜新469番地1」なども同様です。
    • §帰京後、没後
      • 「「李陵」という題は、深田久弥が遺稿に最も無難な題名を選び命名したものである[55]。中島自身が書き残したメモには「漠北悲歌」の語があるが、その字を消してある部分も同時に見えるため断定しにくく、無難な「李陵」となったのではないかとされている[55]。また、山下真史や村田秀明によって、敦自身が書籍化した場合の本文が検討され、註釈付きで書籍化され注目を集めた」 - 中島敦の生涯の説明というよりも、『李陵』の作品についての説明で、生涯節にあるのは少し違和感があります。著作節においたままにするか、あるいは『李陵』の記事に転記するのが適切だと思います。
      • 「1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)にかけて筑摩書房から全3巻の『中島敦全集』が刊行され[58]、毎日出版文化賞を受賞した[4][3]。」 - 評価節以降で二度触れられているので、生涯のところでは省いてしまって良いような気がします。生涯節なので、あくまで生前のことを中心に述べ、没後については、李陵等の遺構が発表された趣旨の一文があれば十分かと。
    • §略年譜 - 全体的にもう少し簡潔にしたほうが良い気がします。例えばこのぐらいか、もっと短くてもいいと思います。「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#本文」を参考に考えると、「簡単な年表」で「年譜のほうが記事の主体とならない」ことが必要ですから、中島敦の経歴にとって重要な出来事のみを掲載する方向にしぼり、かつ略年譜のみに出ている事柄は載せず、略年譜のみ記載の事柄は「人物」節などに組み込んだほうが良いと思います。
      • 例えば中島敦が最初に担任したのが「1年4組(66人)」だったという情報は細かいので必ずしも書かなくて良い気がします。「下旬、初担任した横浜高等女学校の4組卒業生らのクラス会に出席」のような出来事も、重要性を鑑みれば百科事典の年譜に書かなくて良いと思います。
      • 小笠原旅行が「歌稿「小笠原紀行」の原形になる」といった情報は意味のあるものだと思いますが、簡潔・明瞭さが重要な年譜に書くより、例えば、人物節の下に「旅行」などの小見出しを設けて、他の旅行も含めて、中島敦にとって旅行がどのような意味をもったのか、その作品や人柄に影響したのかを記載することができれば、そのほうが適切だと考えます。また、どんな本を呼んだかは時期よりも作品への影響が重要なので作風節へ組み込むことができると思います。古代史の本を読んでいたとかは「文字禍」への影響などがあることを出典から言えそうですし。
    • §家族・親族
      • 前半の文章部分と列記している部分が重複しているので、列記するのであれば、そちらにまとめたほうが良いと思います。
      • 伯父の一人が「結婚し二男五女を儲ける」という情報は記事主題である中島敦の人物・作品に影響を与えたとも思われませんし、省いてもよいのではないでしょうか。生年月日も注釈で良いのではないかと思います。
      • 伯母・志津については幼少期や中学時代に中島敦の面倒を見たりしているわけですし、中島敦との関わり・影響の面などを加筆できるかもしれません。逆に例えば叔母・うらについては(ちゃんと調べていませんが)中島敦との関わりが薄く、影響が乏しいということであれば掲載自体を省いて良いと思います。
  • まだ全部は検討できていないですが、いったんここまでで投稿します。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月23日 (土) 03:59 (UTC)[返信]
  • コメント  作家の記事として特に長大になっていませんから、あまり細かく「注釈」に飛ばすのは却って見にくく違和感を感じます。「生い立ち」や「略年譜」での出生地はやはり長めでも正式なものをきちんと書くのが事典として適切に思います。何か他に説明文があるのなら「注釈」というラベル付けにしてもいいですが、単なる住所の短縮に「注釈」を使うと却って入り組んでしまい、正式な出生地を知りたい人にとっては確認しづらいです。
呼称については、いまの「敦」のままの統一で構わないと思いますが(若くして亡くなっていることもあり)、家族との関わりが語られる幼少期から学生時代までを「敦」にし、教員時代からは、冒頭に一回「中島敦」としてから、あとは「中島」に統一するのがいいようにも思います(ちなみに、私が編集した三島由紀夫川端康成などはその方式にしてあります)。ずっとフルネームにしなくてもいいのではないでしょうか。
読書歴などは、「どの時期に読んだか」ということが割と重複なことなので、やはり「略年譜」にも記すべきものです。時期が分かれば、後発の作品への影響が解りやすく「略年譜」の機能が生きてきますから、それを他のいろんな節にバラけさせて、明確な時期が不明になってしまうことは賛成できません。担任クラスがどうのとかは「生涯」に移行しても構わないので、整理しておきます。
旅行については、作品に直接繋がっているものは、やはり略年譜の中で時期と共に入れておくの分かりやすく、それらはほんの2、3つなので特に問題ないと思うのですが。。。なのでそれが「人物」節の他の旅行や趣味のことと一緒に書かれ多少重複していても構わないと思います。なお、教師時代のまだ書かれていない旅行(山登り)は結構沢山あります。
「家族・親族」は、伯母たちに幼い頃に養育されており、当然のことながら彼女たちもちゃんと家系図にも記載されているので、一応全員書いておくべきことと思います(今の段階では一見特筆性のない人物と判断されてしまっていますが、一応存在は書いておくのが総合的に分かりやすいです)。あと伯父や伯母の子供が「二男五女」とかいう情報についても、「斗南先生」などを読むと、自分より「年上の従姉」とか、いとこ達のことも触れられており、それがどの伯父の娘・息子なのかを判断する材料として必要なものです。あと、親族の生年月日は、「注釈」にするとリンクを踏む手間が余計に二度手間で面倒になり、「注釈」のラベルが増える方が何か見づらいです。三島由紀夫や川端康成でも、それらを「注釈」にしていないので、今の状態でも大きな問題はないと思います。--みしまるもも会話) 2019年11月23日 (土) 07:10 (UTC) 補記--みしまるもも会話2019年11月23日 (土) 07:39 (UTC)[返信]
    • コメントありがとうございます。注釈については部分によると思いますが、とりあえずたしかにかえって読みにくくなる面もあると思いますので、細かく飛ばさないということで承知しました。出生地は生涯最初の重要な場所ということで番地まで書いておいても良いとは思いますが、その後の「埼玉県南埼玉郡久喜町大字久喜新469番地1」や「本郷区西片町10番地」は(注釈に移さず)「埼玉県久喜町」のみの記載にして番地は削ってしまっても良いのではないでしょうか。例えば京城時代や「岡本邸」の住所が番地までは書かれていないので、それと平仄をあわせる趣旨です。
    • 呼称については「敦」というふうに書いている文献は少ないですし、やや違和感があるような気がします。出典のスタンダードに合わせるという意味で都度フルネームにするという提案ですが、この点には強くこだわりません。
    • 読んだ本については時期が重要で、後発の作品への影響があるということであれば、そのこと自体を別の節に書くということではいかがでしょうか。担任クラスについては生涯節に移すことなく、削ってしまって良いのではないかと思います。
    • 存在していることのみに触れる親族は、家系図を掲載して、そこで記載しておくのが手かと思いました。もちろん関わりの深い伯母(志津など)についてはより詳しく書く中島敦との関わりを書く方向で良いと思います。また、「斗南先生」などの作品に出てくる従姉がどの人物の娘なのかということは、伯父たちの息子・娘が何人いたかを列挙しても必ずしもわからない気がします(「三造」≒「中島敦」とはいえ、現実そのままというわけでもないでしょうし)。それよりも、特記すべきことが明らかないとこを名前を挙げて記載するのが良いのではないでしょうか。例えば、すでに加筆していただいているとおり、「褧子」は、中島敦と親しかったということですし、こういうような感じで中島敦に影響があるという側面から触れていくのがベターだと思います。--伊佐坂安物会話/履歴) 2019年11月23日 (土) 07:57 (UTC)下線部追記--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月23日 (土) 08:00 (UTC)[返信]
  • コメント  その「斗南先生」の、年上の従姉が、開蔵の娘だということが分かるように(同じく娘を持つ比多吉の長女は敦よりも2歳年下の褧子なので)、子供がいない人と、子供の男女を書いたという経緯があります。住所の細かい番地については、出生地など大事なもの以外はいらないかと思い直したので直しておきます。ただ父親の故郷の埼玉県久喜町はやはり必要ではないかなと思います(祖父が塾を開いた地ですし)。他の転居したアパートなどは省いても大丈夫ですが。--みしまるもも会話2019年11月23日 (土) 08:48 (UTC)[返信]
  • コメント ご教示ありがとうございます。消去法でわかるということですね。中島綽軒にも6人の子がいるのでそちらの可能性もあるのではと思いましたが、出典があるのでしたら、「年上の従姉」が開蔵=「洗足の伯父」の娘だということを直接書いてしまうのが良いと思います(あるいは「斗南先生」の単独記事が作られればそちらで触れても良いと思います)。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月24日 (日) 02:48 (UTC)[返信]
コメント 議論の流れが途切れるかもしれませんが、ひとまずコメント申し上げます。
  • 記事「夏目漱石」では主語が「漱石」だったこともあって「生涯」節における主語を「敦」にしていましたが、「中島敦」で統一でも構いません。ただ、記事「三島由紀夫」でも採用されているというのであれば、最初は「敦」で途中で一度「中島敦」にし、以下「中島」というスタイルでもよさそうに思えました。迷いがある中で修正してしまって恐れ入りますが、もうお一方ぐらいにご意見いただけると幸いです(編集は自分ではない方にしていただいて構いません)。
  • 良質な記事の選考ページのコメントも拝見しましたが、略年譜に対する位置付けが人によって異なるように見受けられます。履歴をざっと把握するための「略歴+α」という考え方ですと、現状は内容過剰で読みにくいと感じられると思います(自分もそう感じたので、略歴が把握できるように「生涯」節のサブセクション構成を再編させていただきました)。ただ、時系列を追うための年譜(の簡易版)として捉えるなら、現状のような充実した内容が良いことになるのかもしれません。また、前者の位置付けであれば読者は「生涯」節と「略年譜」の両方に目を通しますが、後者であれば読者は「生涯」節と「略年譜」のどちらかを参照するか、「略年譜」は必要な時に必要な個所を参照することになりそうです。
  • 自分個人としては、当初は略年譜ではなく略歴レベルで良いと考えていたため、略年譜は大幅削減してはと考えていました。ですが、今は前述のような考えからある程度の整理でよいのかな?と感じていますが、「もっと知りたい」と思った読者が関連する文献を参照する機会を奪ってしまわないかという危惧も持っています。また、「家族・親族」節は中身が過剰ではないかと感じています(漢学に親しんだ重要な親族の情報が埋もれてしまわないそうなので……)。とりあえず「略年譜」や「家族・親族」節は後方(記念館・保存活動の前後?)に移動させてみると良いように感じています。また、「家族・親族」は小節を設置するなど構成を工夫することも手かもしれません。
  • 「生涯」節にあった『李陵』に関する細かな記述は「作品」節の表中に移動させました。記事「李陵 (小説)」にも転記して加筆しているため、本記事での記述は削減して説明を作品記事に任せる形にしても良いかもしれません。ただ、中島に協力した人物関係を示すことにもなりますので、ひとまず残しています。また、小節「帰京後、没後」の末尾における「李陵」や全集に関する記述は、最低限に留めながらも残しています。全集が受賞したことは評価節で記載すればよいという考えもありますが、生涯についての記述を結ぶにあたり、(生存中はあまり認められなかったものの)没後に全集が発刊されて受賞をしたという記述はふさわしいものではないかと考えています(ただ、簡潔な記述で良いとも思っています)。
いろいろと逡巡があって恐れ入りますが、以上コメント申し上げます……。--Assemblykinematics会話) 2019年11月23日 (土) 12:00 (UTC) 誤字の修正。--Assemblykinematics会話) 2019年11月24日 (日) 04:11 (UTC)、書きかけの追記を補填(下線部)--Assemblykinematics会話2019年11月24日 (日) 20:51 (UTC)[返信]
Assemblykinematicsさん、ありがとうございます。私も「家族・親族」の節はもっと下降の方がいいと思っておりますので(川端康成や三島由紀夫、梶井基次郎でも比較的下方にまとめましたので)、そのようにしていく方向です。そして斗南や玉振のところを敦との関わりでもう少し加筆し、重要度のバランスを考えながら整理していくつもりです。
そして冒頭部のところをもう少し加筆し、「ざっくり知りたい」だけの方がそこだけ読んでも、ほぼ要約的に全貌を知ることができるような形にし、作風的なものも加味しつつ編集整理します。その意味で冒頭部と「略年譜」だけしか読まないという読者もいますので、年譜は他の節と多少の重複はあっても時期とセットで見るべき重要トピックは取りこぼさないよう、なおかつ簡潔性を考えて、クラス会がどうのとかは「人物」節などに移行してみようと思っています(生徒に慕われたことと関連するので)。--みしまるもも会話2019年11月24日 (日) 00:16 (UTC)[返信]
コメント 返信ありがとうございます。編集よろしくお願いいたします……。なお、冒頭(導入部)については、現状でも代表作、学歴、職歴、評価がうまくまとまっていますし、Infoboxや目次と合わせて読めば概略は伝わるように思いますので、現状のままでも良いような気がしています。また、これ以上多くすると導入部後半を切り離して概要節に移す方が出て来る可能性がありますし、かえって要約をつかみづらくなる恐れがあるかもしれません。修正するにしても現状と同程度の文章量か、「夏目漱石」と同程度でお願いできれば……と思う次第です。なお、良質の記事の選考2019年12月23日 (月) 00:04 (UTC) までに延長されているようです。--Assemblykinematics会話2019年11月24日 (日) 04:11 (UTC)[返信]
コメント 冒頭に関しては、従前の導入部をそのまま残して、より詳しい概要節を設けるのありかもしれません(「ビザンティン建築」の記事のような形)。また、良質な記事の選考で提案されているように、「作風」を最初の節に持ってくるのも手かもしれません。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月24日 (日) 08:17 (UTC)[返信]
  • コメント  その「作風」のことなのですが、今現在の「作風」の節で気になる点があり、「植民地への視線」の節で、「中島敦は朝鮮・満州・南洋と多くの日本の外地を訪れており、その経験から日本の植民地支配を意識した作品を書いていることも特徴」としていますが、「特徴」とするには、主要作品でそうした政治的なテーマをメインにしたものはなく、習作などで朝鮮人巡査を主人公にした作品で少しそうした目線のものは一つありますが、「虎狩」でも親しかった朝鮮人の友達のことを書いてはいても植民地支配批判がテーマでもないので、作風節で「植民地への視線」節として掲げるには弱いというか、プロレタリア的な作品があったかのような誤解を生むので、何か政治的に結びつけて作風を矮小化する感じは適当ではない気がしています(基本的には、中島敦はイデオロギーの人ではないと、川村の出典でも書かれてありますし)。川村も、もし未完の「北方行」が発展していけば、当時の中国をめぐる各国の植民地支配問題を絡めた大作ができたのではないか、という解説なので、この節の後段のまとめ方自体が少し、湯浅克衛を擁護したエピソードや他のことを一緒に繋げられていてやや独自研究的な面があるので、そうした個別の作品と関係のないエピソードや反戦的な優しい人柄や思いやりに関しては「人物」節に書き、「作風」はもう少し文学的なことをちゃんとまとめた上で、「虎狩」などに垣間見られる被差別者へ寄り添った目線(政治的なものでなく人間存在的な観点の目線でもあり)について書いた方がいいと感じています。
あと、「概要」節を設けるというのはあまり推奨されず、概要的なことは冒頭部でまとめるというのが基本となります。昨日加筆したものも、作風の要約を少し加味しましたが分割の必要があるほど長くしていませんし、WP:LSでも「導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。」となっており、人物記事などは特に、冒頭部だけで大体のことが把握できる感じにするのが推奨されて、英語版なども大体そんな感じに冒頭部が長めになっています(カフカのGA英語版Franz Kafkaなど)。そして構成的に、冒頭部の次は「生涯」になるのがやはり自然だと思います。--みしまるもも会話) 2019年11月25日 (月) 02:24 (UTC) 補記--みしまるもも会話2019年11月25日 (月) 02:32 (UTC)[返信]
もちろん植民地支配をストレートに批判した政治的な作品が特徴というと事実と異なりますが、あくまで意識したということが川村の出典で言われていることだと考えます。別の参考文献にはなりますが、例えば小谷(2019)では、『虎狩り』や『北方行』も含めて、様々な朝鮮人の群像を描くことにより「朝鮮社会にこのような屈曲を生み出した日本の植民地支配を透視しようとしていた」作品であるとしていますし(p.26)。細かいことですが、湯浅克衛を擁護したエピソードは、出典にしている小谷(2019)で朝鮮植民地を扱った章で触れられていまして、関連して扱うことが独自研究ということはないと思います。ただ、作品と関係ないといえばそうなので移動は適切だと思いますし、可能であれば今後の編集で生涯節以外のどこかにまとまった文脈のなかで入れたいですね。とはいえ、「植民地支配を意識した」という言葉にはちょっと誤解を招くところがあるのかもしれませんし、「植民地体験を反映した」というふうに変えるということでも良いと思います。南洋ものの作品を含めれば、植民地体験を反映している点「も」作風の特徴と述べるのは問題ない気がします、なお、[16]の冒頭でも、中島敦研究の大きな二つの流れの一つとしても、植民地体験の影響の観点が挙げられていますし、李陵などの主要作品と植民地体験を結びつける文献もあるようです(西原 大輔「中島敦「李陵」「弟子」と南洋植民地」『比較文学研究』86号、2005年。)。
概要節については現状ではもちろん分割する必要はないと思っていまして、今後そういうふうに整理していく可能性もあるということで触れました。「WP:LS#「概要」節を作る場合」でも導入部が5段落を超える場合には概要節を造ることは否定されていません。現状の導入部をなくすということではなく、導入部が「完結したひとつの記事であるべき」というのはそのとおりなので、そこはそのままでいいと思います。簡潔な要約である導入部を設け、それとは別により詳しく記事全体を概観した「概要節」を作ることも、ガイドラインやいくつかの秀逸な記事を見る限り、ありうるのではないかということです。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月25日 (月) 12:01 (UTC)[返信]
  • コメント 伊佐坂安物さん、どうもありがとうございます。少年時代に各地を転々とした植民地体験が、中島の実存的懐疑や、現地人への親和や中島の理性的・客観的観察に繋がっているということを書くのはいいのですが、やはり「植民地支配への批判」と読めるものは、サモアを舞台にした『光と風と夢』の中にイギリス・ドイツの植民地支配に触れている面と、一高時代の習作「巡査のいる風景」がある以外は、そうだと断定するのはちょっと責任が持てず、小谷の論及の『北方行』『虎狩』を含めてというのは、ややそこに小谷があえて集中させようとしているものがあると思います(全集の解題とか一般的な解説でそういう括り方はしてないですし)。『虎狩』などは、虎の前で気絶しただけで死なずに助かった人を朝鮮人の友達が「ちぇ、怪我もしていない」と蹴り飛ばすという残忍な面を見て彼をいろんな側面から観察して描いていますし(中島はその残忍さを「此の地の豪族の血」と表現してます)、そんなに小谷のような単純なテーマを透視させようとしているものでもないです。なので昨日、植民地体験の文学的影響として少し加筆しましたが、節名は変えずに、『北方行』についても、新たな節と合わせて補記しておきました。南島物のことは、植民地的なこととは別の側面もあるので、別節で南洋への中島の志向(憧れ的な)として加筆しようと思っています。--みしまるもも会話) 2019年11月26日 (火) 02:49 (UTC)誤字修正、補記--みしまるもも会話2019年11月26日 (火) 02:58 (UTC)[返信]
    • コメント みしまるもも様、編集お疲れさまでした。テンプレート「工事中」が貼られたままでしたが、期限が過ぎて概ね編集が終わったようでしたので、撤去させていただいています。導入部は文章量が多過ぎることなく十分な情報が盛り込まれており、節の順序も他の人物記事に照らして差し支えないものと思います。自分は良質な記事を執筆したことがないので自信がありませんが、個人的には良質な記事として遜色ない状態だと感じています。また、緻密な分析に感服した次第です……。ただ、導入部第一段落が気になりましたので、みしまるもも様の第1段落と第2段落を合併させ、3段落構成になるように修正させていただきました。以前に上の議論で書かせていただいたように、第一段落が定義文だけですとポップアッププレビューやモバイルビューで定義文だけしか目に入らない状態になってしまいますし(Wikipedia:井戸端/subj/内部リンクにカーソルを合わせた際の概要表示やモバイルビューについて)、スタイルマニュアル(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#導入部(第1段落)の例)にも合わせたかった次第です。僭越ながら、以上コメント申し上げます……。--Assemblykinematics会話2019年11月26日 (火) 21:01 (UTC)[返信]
  • コメント  Assemblykinematicsさん、レビュー対応の整理どうもありがとうございます。冒頭で示す4作品についてはやはり、いろんな解説や論を見ても大体その4作の評価が高く代表作として問題のないものなので、出典付きで「代表的な作品」といたしました。「中島」の呼称は、「敦」で統一している解説論もあるので、「生涯」「人物」節など人物的なことを書く節は「敦」で大体統一してもいいのではないかなと思いました(中年・老人期のない作家なので、梶井基次郎の基次郎と同様にしておきました)。ただ、「作風」など「中島文学」について記述するところでは「敦」だと変なので「中島」としてあります。あと、親族の関係性の薄そうな人はコメントアウトしておきました(幼い頃の養育で影響があった伯母の出典が出てくるかもしれないので)。--みしまるもも会話2019年11月27日 (水) 04:57 (UTC)[返信]
(追記)パラオで親しくしていたのは、土方以外に海洋研究の人がいたと補記したのですが、読んだのがどれだったか分からなくなってしまったので今確認しています。--みしまるもも会話) 2019年11月27日 (水) 07:18 (UTC)  解決しました。--みしまるもも会話2019年11月27日 (水) 07:42 (UTC)[返信]
返信 こちらでの返信が遅くなり、恐れ入ります……。「代表的な作品」を問題とした訳ではなく、単純に以前の記述に戻したこと、および簡潔な表現にしたかった(ポップアッププレビューの表示を確認すると、「33歳で」の辺りで文章が途切れるようでしたので)というだけでした。今は出典もついていますし、「代表作」と簡潔な表現にさせいていただきましたので、特に異論はございません。--Assemblykinematics会話2019年11月29日 (金) 19:31 (UTC)[返信]
  • コメント 皆様ありがとうございます。作風などを加筆していただいて非常に良くなったと思います。たびたび恐縮ですが、さしあたり次の点が気になります。
    • 一次資料の使用 - 随所随所に「プウルの傍で」のような私小説や本人の書いた書簡などが出典として使われていますが、「WP:PSTS」の観点からなるべく二次資料を用いたほうが良いと思われます。特に「プウルの傍で」は「三造」=「敦」の私小説であるとはいえ小説ですし、それをもとに「敦の多感な頃に2人目の継母を連れてきたことなどで親子の折り合いは良くなかった」という解釈をふくむ記述を書くのは難しいように思います。
    • 「敦は多くの親戚からこの斗南伯父の気質に似ていると言われ、特に年上の従姉妹(開蔵の娘)から斗南伯父のようにならなければいいいが、と会う度に言われていた」という記述 - これも出典が「斗南先生」なので上と同じ問題があるため二次資料ベースに差し替得たほうが良さそうです(あくまでそう言われていたのは「斗南先生」のなかの「三造」のため。なお全集を確認しましたが巻とページ数が違うような気がします)。加えて(開蔵の娘)というのも「斗南先生」の本文中には(従姉が「洗足の伯父」の娘と)明示されていないです。可能性としては綽軒の娘の可能性もありえますし、仮にそうでないとしても年齢の順から従姉が誰の娘かを特定するのは独自研究的なのではないでしょうか。もちろんこの点は「斗南先生」に出てくる従姉が開蔵の娘だと明記している二次資料の出典があれば問題はないと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2019年11月28日 (木) 15:11 (UTC)[返信]
コメント  伊佐坂安物さん、どうもありがとうございます。できればGAが取れればいいなという思いで、いろいろ文献を読み、その過程で小谷の気になったところなどが出てきたので、昨日補記などしながら加筆しました。今日は久々に晴れたので私用であれこれ回って忙しく、やっと今落ちついたところです。
「斗南先生」は自分のことを「三造」としていますが、小説というよりもそのまま描いた記録作品で「フィクション」ではないことは解説でも書かれていて、年譜や評伝もそうしたほぼ事実を書いている作品や書簡から引いているものが多いので特に問題ないと思いますが(小説家の評伝とかは大体そういう傾向があります)、ご指摘のように念のため「二次資料」も付けておきます。「プウルの傍で」もほぼ事実の草稿作品なので、「斗南先生」と同様にその作品の一節を引用しながら父子の折り合いが良くなかったということが評伝でも書かれていたので、その二次資料を併記しておきます。
「年上の従姉」についても、おっしゃる通り「綽軒の娘」の可能性もないとは言えず(綽軒家とのいとこ交流はあまりなさそうですが)、危ういので現段階では消しておきます。--みしまるもも会話2019年11月29日 (金) 08:18 (UTC)[返信]
コメント 「家族・親族」節の異母弟異母妹・澄子の箇所には「兄・敦の死後に回想文を書いている。」とあり、妻・タカでも「夫・敦の死後に手記を書いている。」となっていましたが、両方とも出典が付いていませんでした。一応それらの上に「基本情報や生年没年月日の出典は[115][7][121]。 」とありましたが、これらは基本情報とは異なると思い、前者については『中島敦と私 : 中島敦生誕100年記念』に掲載されているようでしたので、出典を補填させていただきました。ただ、後者は何に書かれた手記か分からなかったため、ひとまずTemplate:要出典を付けさせていただきました。お時間がある時に出典を補ってくださると幸いです……。--Assemblykinematics会話) 2019年11月29日 (金) 19:31 (UTC) 誤字を訂正。--Assemblykinematics会話2019年11月30日 (土) 08:04 (UTC)[返信]
ありがとうございます みしまるもも様、早速ご対応いただき、ありがとうございました。異母妹・澄子の回想文については、こちらで調べた分も加筆させていただきました(差分:中島敦)。取り急ぎ、御礼まで……。--Assemblykinematics会話2019年11月30日 (土) 08:04 (UTC)[返信]
報告 「人物」節にあった「結婚のいきさつ」が「家族・親族」節の妻・タカの記述と統合されたため、「人物」節に小節「人柄・趣味」が一つだけ残る状態になっていました。中身が3段落あり、ちょうど人柄で2段落、趣味で1段落という構成に見受けられたので、「人柄」と「趣味」の小節に分離させていただきました。また、「家族・親族」節については、前半の中島家全体の説明文を「中島家・漢学の系譜」とし、後半の各人物の紹介を「主な家族・親族」としてみました。ただ、人柄や趣味はまとめて一つの節でも良いような気がしますし、家族・親族の小節のタイトルも最善とは限らないため、より良い構成やタイトルがあれば修正いただければと思っています。
なお、全体の節構成を、「生涯」「作風」「人物」「評価・影響・受容」「家族・親族」……という順から、「生涯」「人物」「作風」「評価・影響・受容」「家族・親族」……という順番に変えてみました。これにより、当該人物の人となりを知りたい人は「生涯」「人物」節を続けて読め、作家としての特徴や評価を知りたい人は「作風」「評価・影響・受容」「中島家・漢学の系譜」と続けて読めることになると考えた次第です。ひとまず以上、ご報告申し上げます……。--Assemblykinematics会話) 2019年11月29日 (金) 19:31 (UTC) 抜けていた部分を補填。--Assemblykinematics会話2019年11月30日 (土) 08:04 (UTC)[返信]
  • 質問 改稿作業に携わっている皆様方、お疲れ様です。良質な記事の選考ページにて、11月30日にAssemblykinematicsさんから「大まかな改稿は終わりましたよ」との主旨のご報告がなされていますが、その後も編集は続けられており、どの断面で再読すれば良いのか迷っています。皆様の総意として、まぁ良質な記事的にはクリアしているかな、と思われているようでしたら、念のためゴーサインをこのノートページ上で出して頂けると助かります。選考締め切りが今月23日なので、ズボラな私はまぁ急がなくてもいいやと先延ばし感が出てきてしまい (苦笑)、そのうち新規の月間賞が選考に挙がってきて埋没してしまいそうなので。。。--ProfessorPine会話2019年12月6日 (金) 11:40 (UTC)[返信]
コメント  各節で細かな補足などがあるかもしれませんが、構成などは大体は大丈夫かなと思います。来週に時間が取れれば「関連人物」という節を作ろうかと思っていましたが、氷上、釘本、田中、土方の数人くらいなので特になくてもいいのかなという気もしています。--みしまるもも会話2019年12月7日 (土) 03:48 (UTC)[返信]
みしまるももさん、ご返信ありがとうございます。念のため確認しますが、@伊佐坂安物さんはいかがでしょうか? --ProfessorPine会話2019年12月8日 (日) 02:59 (UTC)[返信]
返信 選考期間を延長しておきながら申し訳ないのですが、私は当面ほとんど編集する時間がとれないので、選考については現状で進めていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--伊佐坂安物会話/履歴) 2019年12月9日 (月) 13:48 (UTC) 補足ですが、細かな点でいろいろコメントしたいことはあるのですが、良質な記事としては十分な内容だと考えています。--伊佐坂安物会話/履歴2019年12月10日 (火) 22:23 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。数日内に再読して選考ページにコメントする予定です。--ProfessorPine会話2019年12月12日 (木) 02:01 (UTC)[返信]
  • 情報 皆様へ: (決して義務とかではなく) あくまで「告知」としてお受け取り下さい。私自身が執筆した記事を他ユーザさんに選考して頂くことも多いので、恩返し (恩送り) の精神で私は第三者の記事にも投票しています。最近、良質な記事の選考は参加者が少ないようなので、良ければ皆さんもたまには投票者のお立場で選考に顔を出してみて下さい。また、新規投票者を増やす方策についても、現在ノートページ上で議論中ですので、こちらも宜しければ。賛否投票だけでなく、もう少しゆるーい査読コメント的な参加方法を促せないか検討中です。--ProfessorPine会話2019年12月12日 (木) 02:01 (UTC)[返信]

作風のところなど[編集]

細かな点ではありますが、「植民地への視線」の節の一行目に、(おもに朝鮮・満州)という文言を復帰させていただきました。これはやはり習作『巡査の居る風景』『D市七月叙景(一)』『北方行』のような当時の朝鮮・満州の政治的背景が作品テーマに濃厚に重なっているようなものが、いわゆる南島物の作品には具体名を挙げて論じられていないので付記しました。というのも、あえて自身の政治歴史的研究の見解をクローズアップさせているような小谷汪之でさえも、こと南島物に関しては、中島の書簡や日記の中の引用ばかりで、肝心の作品では、朝鮮・満州が背景の作品群『巡査の居る風景』『D市七月叙景(一)』『北方行』のような問題性の見受けられるテーマ性を持ったものとして具体的に解説しているものは特にないので、やはり(おもに朝鮮・満州)と入れておくべきかと感じました(南島物がそういう作品群だと勘違いする人もいると思いますので)。

また、川村湊にしても、南島物作品の具体名は挙げているわけではなく、滞在中の日記や書簡の一部に言及しているだけでした。最後の方で触れている、パラオの5年前の「小笠原紀行」にしても、和歌の中にただ単に白人の少年の名があっただけで、ご自身の政治的見解のようなものを中島も持っていたのではないかみたいな、あくまで憶測の域を出ない推量でしたので、やはり変に自分の歴史観のフィルターで、文学作品の中の一部分を取り上げて自分の研究テーマの方向に繋げていこうとする論及者の見解は、きちんと精査しなければいけないと思います。そうした発展的な研究や推量ものは、個別作品記事の中の評価や論考の中で本来やるべきことで、作家記事本体の作風は、武田泰淳などのちゃんとした文学的な見解をベースにし、生涯なども事実関係を固めるのが基本だと思います。なので、今後、歴史学者や政治・社会学者などの様々な見方や広がりが可能な研究者独自の見解を加える場合は、それとは違う複数の見解も調べてから慎重にしないと、中島敦本体の純粋な文学作品からどんどんかけ離れていく気もして、心配な面もあります。そんなことをちょっと思いました。--みしまるもも会話2019年12月25日 (水) 01:48 (UTC)[返信]

中島敦文学における「他者」 : 「実存的懐疑」と「植民地体験」の統一的な理解のために」(アジア地域文化研究 (12), 118-134, 2015、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部アジア地域文化研究会)という文章の冒頭に書かれていることですが、「これまで中島敦の作品研究には、大きく二つの流れがあ」り、その大きな流れの一つが「中島敦を植民地体験から理解」しようとする流れであるとされています。そこには川村湊のみならず、中島敦の主要な研究者の一人である木村一信やその他に西原大輔(南洋植民地と李陵・弟子を扱った論考)といった文学研究者の論考が複数挙げられていますし、南洋の植民地もここでいう植民地体験に含まれています。文学研究にかぎっても、南洋含む植民地体験が中島の作品に広く影響を与えているというのは、研究者個々の独自の見解ではなく、広く支持されている見解と言って良いのではないでしょうか。--伊佐坂安物会話/履歴) 2019年12月25日 (水) 23:14 (UTC)追記・誤字修正ーー伊佐坂安物会話/履歴2019年12月25日 (水) 23:43 (UTC)[返信]
私が(おもに朝鮮・満州)と付記したのは、「植民地体験を反映した作品が見受けられる」という一つの大きな「作風」の括り方をするときに、いわゆる「南島物」(『環礁』『南島譚』)は、小谷や川村が朝鮮の人が登場する作品群で解説しているような政治性を帯びた作品ではないので、そうしたカテゴライズに、あたかも南島物が入るかのような誤解を生んではいけないなと思って一応入れておいたということです。また、以前修正したところに関しても、中島が12月の真珠湾攻撃の戦果を喜んでいた事実と、10月にトラック諸島夏島で現地民が過酷な労働を強いられているのを見て批判した時期の時系列が逆になっていて、あたかもそれを見たために戦争に否定的になったみたいなデタラメな内容になっていたので、なんでそんなふうに事実を捻じ曲げてまで政治的な方向に持っていこうとするのかな、という素朴な疑問もありました。
そして、小谷や川村のような狭義の意味ではなく、さまざまな植民地で暮らした体験や旅先での見聞が中島の作品に何らかのヒントなりを与えたということは当然のことながらありますが、だからといって何でもかんでも小谷や川村らのようなフィルターの観点で皆が論じているのではないです。伊佐坂安物さんが上で挙げてくださったその板垣も、植民地を舞台にした作品における「他者」や「実存的懐疑」という、もっと本質的なものを論考していますし、中島文学に広く通底する「自己と何か」「世界の究極的意味は何か」といったことへの拘りと、そこからの脱却の模索がパラオ後に完成した『悟浄出世』にどう結果として表れているかをちゃんと文学的に解説しています。西原の『弟子』『李陵』と南洋植民地との関わり研究についても「表現のなかの異国」という特集の中の論のようですから、たぶん小谷や川村のような系統とは違うものかなと想像します。
そうした南洋での見聞とその後の作品の変遷を文学的に見る研究があることと、このウィキペディアの記事の節の「植民地への視線」で川村や小谷の出典を主体とする「植民地体験を反映した作品」という政治性を帯びた位置づけ(いわゆる大日本帝国と植民地の関係といった感じのモードでの作品位置づけ)の中で南島物が同列視されるのは少し意味合いが違いますし、その作風に南島物が加わっているような誤解を誘う流れにはちょっと違和感があったので、南島物が朝鮮物と同一のカテゴリーかのような文脈を回避するために、上述の時系列の問題を含めて以前少し補足し、「反映した作品」の補注として(おもに朝鮮・満州)と入れた経緯がありました。
なので、板垣のようにパラオの人物マルクープ(2人の実在人物の合成)の影響を文学的に論じている流れや、「南洋もの」として一つ論じる場合は、伊佐坂安物さんのおっしゃるような意味は分かりますが、政治的問題性や被差別者への目線に焦点を当てている「植民地への視線」の流れの中では、南島物そのものがそうした類の「植民地体験を反映した作品」に入るかのような誤解が生じるので、やはり(おもに朝鮮・満州)と補記した方が適切に思い付記した次第です。
時間があれば、もう少し総合的な意味での植民地体験と作品との関係をどこかに補填できればと思いますが、習作『巡査のいる風景』『北方行』などには、川村や小谷の論も的を射ていますから、これはこれで一つの作風として否定をしているわけではないです。ただ、何でもかんでもが社会や政治との関わりで、他の作品もどんどんと結びつけていくような研究資料を参考にする場合は、中島作品の本質からかけ離れていく感もするので少しそんなことをコメントしました。--みしまるもも会話) 2019年12月26日 (木) 12:05 (UTC) 補正--みしまるもも会話2019年12月27日 (金) 00:51 (UTC)[返信]
「植民地支配を意識した」という言葉が政治的だということで、ニュートラルな「植民地体験を反映した」という言葉に変更したということだと理解していましたが、みしまるももさんのご認識では「反映」という言葉にも政治的な意味合いが付与されているということですね。トラック諸島夏島の体験の記述については、意図して時系列をねじまげたということではなくて、小谷がトラック諸島夏島での体験が戦争に懐疑的な姿勢につながっていっていると述べているのを、私が誤読したものです。時系列において謝った記述をした点は申し訳なく思いますが、「トラック諸島夏島で現地民が過酷な労働を強いらているのを見たことと」と「戦争に否定的」であったことに関連性があるというのは、まったくのデタラメではないということを申し添えておきます。--伊佐坂安物会話/履歴2020年1月1日 (水) 04:44 (UTC)[返信]
そもそも、「戦争に否定的」であったかどうかは、中島敦本人の具体的な記述がない以上、本当のところは分からないことであり、10月に、トラック諸島夏島で現地民が過酷な労働を強いられているのを見て「為政者の方針」を批判し「(教科書編纂の)仕事への熱意」が失せたと言っていても、12月の真珠湾攻撃の戦果は喜んでいるわけで、その2点(トラック諸島体験と反戦)をはっきりと関連性があることとするのは、気をつけなければいけないのではないでしょうか。小谷の論自体もいろんなパラオの歴史と繋ぎ合わせて紛らわしい本ですが、結局のところは、「中島は先の戦争に真正面から反対するということはもちろんしなかったけれども、戦争に入れ込むこともなかった」と書いており、中島の異母妹による、兄が戦争に疑問を持っていたという証言を根拠にした上で推論を重ねていますので、異母妹の証言を補填した経緯がありました。そして、上でも申したように、南島物は、朝鮮作品のような「植民地体験を反映した」というような直接的な政治性のテーマの作風でくくるべき作品はなく(書簡や日記ではなく)、被差別者の視点に寄り添った『巡査のいる風景』などと同じカテゴリーではないので、いろいろと補記した経緯がありました。
ちなみに、川村や小谷的な観点そのものに関しても、ドナルド・キーンなどは、中島の「光と風と夢」をスティーヴンソンに仮託し大東亜共栄圏の理想を語らせたものだとして批判していたり、川村的な見方とは異なる論考もいくつかあったりするので、はたして川村が考えているようなものを中島が持っていたかについても見解が真逆に分かれている類のものです。実際、南洋物の作品「風物抄」の中には、現地の子供たちが日本の愛国行進曲を元気に歌って日の丸を掲げているのを見て「微笑ましい眺めであった」と綴られていたり、クサイの島の山々を「東洋の絵」「純然たる水墨的風景」と表現したりしていますし、「光と風と夢」では、ニュージーランドの現地民に愛を注いだ植民地総督に感銘したスティーヴンソンが「彼の斯うした努力のお蔭で、ニュージーランドは今最も理想的な植民地になっているのだ」と言う場面があり、植民地自体は否定してないことも指摘されています。そして、なんといっても、「白人を東亜より駆逐せん」としてアジアを救う使命が日本にあると説いていた伯父・斗南の論旨を「正鵠を得ている」と中島は述べて共鳴している点が明確にあるので、川村にしてもその点を考慮し、「必ずしも日本の帝国主義的なものに批判的ではないわけです」と但し書きしています。
なので、そういった2つの違う見方や側面を含めて植民地との関わりを加筆するのが本来的には親切かと思いますが、ここの節ではあくまで作品の「作風」を解説する節なので、やはり南島物自体の「作風」は、朝鮮の作品群と同じ「作風」ではないという意味合いで、誤解のないよう冒頭に(おもに朝鮮・満州)と補記したということです。言い方がきつくなっていたかもしれませんが、今後政治・社会との関わりで加筆されていく場合、ウィキペディアでも総合的な観点で見ていかないといけないと感じたので、そうした気になったことをコメントしました。--みしまるもも会話) 2020年1月1日 (水) 08:07 補記--みしまるもも会話2020年1月2日 (木) 02:13 (UTC)(UTC)[返信]
コメントと加筆ありがとうございます。私も特に中島が左翼的な思想を持っていたということを強調したいわけではありませんので、ドナルド・キーンの言うような点や、「さまざまな植民地で暮らした体験や旅先での見聞が中島の作品に何らかのヒント」を与えたという点も含めて、総合的に植民地体験と作品の関わりを書いていくという方向で異議なく賛成です。--伊佐坂安物会話/履歴2020年1月11日 (土) 00:01 (UTC)[返信]