シモーヌ・ヴェイユ (政治家)

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シモーヌ・ヴェイユ
Simone Veil
Simone Veil, gymnase Japy 2008 02 27 n5.jpg
生年月日 (1927-07-13) 1927年7月13日
出生地 フランスの旗 フランス共和国ニース
没年月日 (2017-06-30) 2017年6月30日(89歳没)
死没地 フランスの旗 フランスパリ
所属政党 フランス民主連合
欧州自由民主改革党
称号
レジオンドヌール勲章グランクロワ
大英帝国勲章デイム
配偶者 アントワーヌ・ヴェイユ

在任期間 1979年7月17日 - 1982年1月18日

フランスの旗 保健相
在任期間 1974年5月27日 - 1979年7月4日

フランスの旗 保健相
在任期間 1993年3月29日 - 1995年5月18日
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シモーヌ・ヴェイユ(Simone Veil, 1927年7月13日 - 2017年6月30日)は、フランス弁護士政治家フランス憲法評議会評議員。大英帝国勲章 (DBE) 受章者(デイム)。

略歴[編集]

シモーヌ・アニー・ジャコブ(Simone Annie Jacob)として、フランスのアルプ=マリティーム県ニースユダヤ系建築家の娘として生まれる。1944年3月、一家はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所1945年1月27日の解放まで収容されていた。ヴェイユはのちに、「一家で生き残ったのは彼女自身と妹だけであった」と2005年の解放60周年追悼式典において述べている。

収容される前年の1943年バカロレアを取得した後、1945年に収容所から解放された。解放後、パリ大学法学を専攻し、さらにパリ政治学院で学んでいた。そこで、将来の夫となるアントワーヌ・ヴェイユフランス語版(後に高級官僚の財政監察総局監察官)と出会う。2人は1946年10月26日に結婚し、3人の息子をもうけている。

1974年から1979年までジャック・シラクレイモン・バール両内閣で保健相を務めている。

2008年11月20日、アカデミー・フランセーズ会員に選出された[1]

2017年6月30日にパリの自宅で死去、89歳没[2]。7月5日、アンヴァリッド国葬が催され、マクロン大統領パンテオンに合祀すると発表した[3][4][5]

活動[編集]

批判[編集]

  • 2005年には一時期、フランス憲法評議会を離れて欧州憲法条約発効推進に奔走する。しかし欧州憲法に関する活動については、政党活動から一定の距離を保つべきとする評議員の規定に反し、評議員が欧州憲法推進に携わるために評議員の職責を放棄すれば、評議会の独立性と公平性を損なうものであるとして批判を受けた。

著書[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]


前任:
ピエール・メスメル
アカデミー・フランセーズ
席次13

第21代:2008年 -
後任:
-
先代:
エミリオ・コロンボ
欧州議会議長
1979年7月17日 - 1982年1月18日
次代:
ピート・ダンケルト