グランドタマコシ

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グランドタマコシは、愛知県岐阜県に出店していた総合スーパーである。

歴史・概要[編集]

玉腰一男が1920年大正9年)に八百屋を開業し[1]1965年(昭和40年)7月岐阜市の中心市街地柳ヶ瀬商店街の一角に総合スーパーの岐阜店を開設[2]1966年(昭和41年)9月8日に「株式会社グランドタマコシ」(店舗としては「タマコシ」の名称が多かった)を設立し法人化し[3]1967年(昭和42年)11月には本社を兼ねて一宮市中心市街地真清田神社の表参道に当たる本町商店街の入り口に百貨店スタイルの地上7階地下2階の総合スーパーをオープンして一宮を代表する大型店となり[4]1980年(昭和55年)7月には大垣市の鶴見に郊外型ショッピングセンターの鶴見店を開設し[5]平和堂創業者の夏原平治郎と創業者玉腰一男の間で岐阜県はタマコシ、滋賀県平和堂のエリアとして商圏が重複して競合しないように取り決める[6][7]など、愛知県一宮市を中心とする尾張地区と岐阜県の岐阜市や大垣市を含む西濃地区で地域密着型の営業活動を展開し[8][1]1993年平成5年)には30店舗で年商574億円[8]を上げるまでに成長した。

そして共に流通業の研究をしていたその平和堂を含む中堅スーパー7社で1974年(昭和49年)に日本流通産業株式会社(ニチリウ)を設立して共同仕入を行って流通コスト削減に取り組み[7]、地元を中心とする取引先約300社で「グランドタマコシ会」を構成して商品情報の交換や商品の共同開発を行う[1]など仕入面でも様々な手を打つなど積極的な営業活動を展開した。

また、1983年(昭和58年)には岐阜店をファッションビル「センサ」に業態転換し、1986年(昭和61年)には北館をオープンさせるなど10-20代向けの品揃えで人気を集め[9]1990年(平成2年)扶桑町にエブリホームセンター扶桑店を開設[10]するなど多角化を進めた。

しかし、エブリホームセンター扶桑店は開設から8年の1998年(平成10年)には食品スーパーに転換することになり[10]、ファッションビル「センサ」は北館が開業から14年の2000年(平成12年)秋からは上層階を閉鎖して縮小し、破綻時には南館・北館共に1階のみの営業となる[9]など多角化路線は成功せず、その投資が重い負担となった[8]

さらに、大規模小売店舗法の規制を避けて出店した1980年代に出店した500㎡未満の小型店もその規制が緩和された影響で不採算となり[10]1998年(平成10年)には人員の削減[8]とそれら10店舗の閉鎖を行い[10]、代わりに同年度により規模も大きな食品スーパーを3店開設して[10]1999年(平成11年)には社長も交代して食品を強化するなど路線転換を進めたが[11]、過去の成功体験が変化をたくむ側面があって[12]業績は回復せず、2003年(平成15年)2月期には13店舗で年商302億円、純利益が4500万円まで落ち込み、翌年度末前日の2004年(平成16年)2月19日には関連会社との合わせて負債総額約240億円で名古屋地方裁判所民事再生法の適用を申請して事実上破綻に追い込まれた[8]

民事再生法の適用を申請した翌日の2004年(平成16年)2月20日には日本流通産業グループとして創業者自体から懇意としていた平和堂の夏原平和社長が大阪市で記者会見を開いてグランドタマコシから依頼を受けたとして債権のスポンサーとして名乗りをあげたが、ほぼ同時刻に岐阜県を地盤とし、従来から店舗譲渡などで取引があったバローが支援要請は受けていないがスポンサーとして支援する用意があるとの発表を名古屋証券取引所で行って、破綻後の店舗網の取得を巡って2社が競い合う状況が生じた[13]

そして、2004年(平成16年)2月23日名古屋市で開かれた債権者集会にスポンサーに名乗りを上げた2社のうち、平和堂の夏原平和社長が出席して「仕入先やテナントとの取引は継続する」と表明し、グランドタマコシが「納入業者に安心してもらうため」と説明したが、正式にスポンサーに決まっているわけでもないのに債権者集会に出席することは「通常では考えられない」と同業他社から批判される異例の展開を辿ったが[14]、結局2004年(平成16年)3月22日平和堂が正式にスポンサーとなる基本合意書を締結したと発表して、子会社平和堂東海が10の店舗とその従業員全員等を引継ぎ[3]、各店舗は平和堂へ名称変更して営業することとなった。

また、平和堂が引継がなかった店舗は従来通り営業を続けたが、ファッションビル「センサ」は2004年(平成16年)夏に[9]、一宮店(本社・本店)は2004年(平成16年)9月30日に閉店し[15]、グランドタマコシの営業は終了することとなった。

経営破綻から3年後、同じニチリウグループであるオークワが2007年愛知県愛西市などに進出し、パレマルシェを吸収合併し、愛知県、岐阜県にも進出し、現在に至る。

平和堂に転換した旧タマコシ店舗[編集]

下記10店舗以外の愛知・岐阜県内にある平和堂は、新設および旧ヤナゲンストアー等の他店からの転換である。

  • 高富店(山県市) - 旧SAMタカトミ。
  • 大野店(揖斐郡大野町)-旧オオノSAM。
  • 稲沢店(稲沢市
  • 祖父江店(稲沢市)
  • 牛野店(一宮市
  • 木曽川店(一宮市)
  • 尾西店(一宮市) ‐ 旧店舗はエレベーターなしの4階建であったが、改築で平屋に。
  • 江南店(江南市) - 旧SAMコウナン(通称SAMタマ)。タマコシ江南店(初代)の店舗は市中央部の古知野町にあり、すぐ近隣にあったユニー江南店及びアピタ江南店(現・ピアゴ江南店)というユニー2店との競合が激しかったが、ユニー江南店が1998年にアピタ大口店として丹羽郡大口町に移転したのち、翌年(1999年)に現在地(同市上奈良町)にSAMコウナンとして新築移転した。江南店(初代)の跡地は、現在は葬祭場の愛昇殿となっている。
  • 扶桑店(丹羽郡扶桑町
  • 鶴見店(大垣市) ‐ 旧鶴見ショッピングセンター(通称ツルタマ)。2006年1月まで営業し、改装を経て11月25日より新店舗「アル・プラザ鶴見」として再開店している。

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c “ニチリウ創立20周年記念特集 グランドタマコシ・玉腰隆造代表取締役社長に聞く”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1998年5月29日) [要ページ番号]
  2. ^ 構造改革特別区域計画 第3回認定特区(新規)岐阜市中心商店街再生特区 (Report). 内閣府構造改革特区担当室. (2003-11). [要ページ番号]
  3. ^ a b 株式会社グランドタマコシの民事再生への支援に関する基本合意書締結について (Report). 平和堂. (2004-03-22). [要ページ番号]
  4. ^ 一宮市中心市街地活性化基本計画 (案) (Report). 一宮市. (2008-10). [要ページ番号]
  5. ^ 商 店 街 実 態 調 査― 岐阜県内の商店街振興組合・商工会・発展会の現状 (Report). 財団法人岐阜県産業経済振興センター. (2001-03). [要ページ番号]
  6. ^ 夏原平治郎 『おかげさまで八十年』 サンライズ印刷1999年[要ページ番号]
  7. ^ a b 北山幸子. “滋賀県における大規模小売業の展開―― 株式会社平和堂の事例を中心に ――”. 立命館経営学 第44巻第6号 (立命館大学) (2006-3). [要ページ番号]
  8. ^ a b c d e “中部夏期特集:上半期10大ニュース=グランドタマコシ、民事再生法申請し破綻”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2004年8月21日) [要ページ番号]
  9. ^ a b c “柳ケ瀬の顔、また消える/「センサ」今夏閉店へ/不況に勝てず”. 中部経済新聞 (中部経済新聞社). (2004年6月23日) [要ページ番号]
  10. ^ a b c d e “グランドタマコシ、今期不採算店10店閉店し食品スーパー3店開店へ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1998年6月6日) [要ページ番号]
  11. ^ “ニチリウ新社長就任記念特集:加盟社インタビュー=グランドタマコシ・玉腰社長”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年7月15日) [要ページ番号]
  12. ^ “経営危険信号 過去の成功体験が変化を阻むグランドタマコシ,キンカ堂 (ワイド 特集 流通業界瀬戸際の攻防)”. 激流 1998年10月号 (国際商業出版) (1998-10). [要ページ番号]
  13. ^ “グランドタマコシ民事再生法申請で、東海の流通業界は弱肉強食へ”. 中部経済新聞 (中部経済新聞社). (2004年2月21日) [要ページ番号]
  14. ^ “異例づくめのグランドタマコシの倒産劇”. 中部経済新聞 (中部経済新聞社). (2004年2月25日) [要ページ番号]
  15. ^ “グランドタマコシが閉店 37年の歴史に「蛍の光」”. 中日新聞 (中日新聞社). (2004年10月1日) [要ページ番号]
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関連項目[編集]