おもちゃのまち

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おもちゃのまち
—  広域地名  —
おもちゃのまち交差点
おもちゃのまちの位置(栃木県内)
おもちゃのまち
おもちゃのまち
座標: 北緯36度27分43.74秒 東経139度49分32.40秒 / 北緯36.4621500度 東経139.8256667度 / 36.4621500; 139.8256667
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 栃木県の旗 栃木県
下都賀郡
市町村 壬生町
地区 南犬飼地区
※座標はおもちゃのまち交差点付近

おもちゃのまちは、栃木県下都賀郡壬生町の地名。東武宇都宮線おもちゃのまち駅周辺、同町の北東部一帯を指す。1960年代に玩具工場が相次いで誘致されたためこの名がつけられた。「玩具の町」「おもちゃの町」ではなく、すべて平仮名で表記する。

町丁名として、おもちゃのまち一丁目からおもちゃのまち五丁目が存在しており、この地域一帯に含まれている。

珍地名としてメディアでしばしば取り上げられる[1]

地理[編集]

地域としてのおもちゃのまちは関東平野の北部・壬生町の北東部一区域に相当する。東の下野市との境に姿川が流れる。宇都宮市栃木市から程近く、東武宇都宮線が南北を貫くように走り、栃木街道栃木県道71号が南西部で交差し、交通の便がよいことから両市のベッドタウンとして発展している。

歴史[編集]

玩具工場の誘致[編集]

1950年代末、東京都墨田区に林立していた輸出用玩具メーカーは地価の高騰による生産設備の拡大のための用地取得の困難、工場等制限法による、工場の拡張や改修の制限、さらに低海抜地域による台風なとの自然災害に見舞われた際の被害拡大等の問題を抱えていた。そこで1960年(昭和35年)、当時東京玩具組合長であった富山栄市郎トミー創業者)は、工場などの設備を他の場所に移転するという計画を立てた。当初は千葉県東葛飾郡流山町(現:流山市)が移転候補として上がっており、一部用地取得も行われたが、土地価格高騰や地主の反対などが原因で断念。代替地として当時第二次世界大戦中に使われた飛行場跡地のある壬生町大字安塚(当時)南部の一帯が選ばれる。

壬生町や沿線の土地を所有していた東武鉄道ではこの工場移設・建設を積極的に誘致し、1962年(昭和37年)、組合は壬生町への輸出玩具工場団地誘致を正式に決定。土地買収・宅地開発を進め、1965年(昭和40年)、第一期工事が完了し、おもちゃ団地として11企業が操業を開始した。同年、従業員の便のため東武宇都宮線国谷駅-安塚駅間におもちゃのまち駅が新設。すべて平仮名表記とされたのは、新団地および工場に相応しい夢のある駅になって欲しいという地元住民の思いから。1966年(昭和41年)には第二期工事に合わせて建売住宅販売が始まり、急速な発展を始める。

獨協医科大学の進出[編集]

1960年代末、日本国内での医師不足から、各地で医師教育のための医科大学を設立させようという動きの中、埼玉県学校法人獨協学園も新たに医科大学を設立することを決定。

候補地として獨協学園のある草加市から程近い越谷市春日部市も挙げられた。最有力だったのが栃木県上都賀郡西方村(現:栃木市)だったが、地主との折り合いが付かず東武鉄道の所有だったことから土地が入手しやすいなど大学を建設に適していると判断されたおもちゃ団地に程近い壬生町大字北小林に獨協医科大学を設立することが1970年(昭和45年)に決定、1973年(昭和48年)に開学される。翌年には獨協医科大学病院も開設された。現在、獨協医大病院はおもちゃのまち住民のみならず周辺自治体の重要な医療拠点となっている。

今日のおもちゃのまち[編集]

1977年(昭和52年)4月におもちゃのまち駅周辺地域に住居表示が実施され、駅の西側に緑町一丁目-四丁目、駅の東側に幸町一丁目-四丁目、幸町のさらに東側の工業団地地域におもちゃのまち駅の名に因んでおもちゃのまち一丁目-五丁目の地名が付される。また同一日に壬生町立東小学校から分離されおもちゃ地区を学区とする壬生町立睦小学校が新設された。

1990年以降は製造費軽減のため工場の新興国移転や輸出高減少などに見舞われている。存在していた工場は次第に撤退、もしくはプラスチック加工・部品製造など普通の工場に変化、さらには流通拠点のための倉庫が設置されるなど、当初の「おもちゃのまち」としての色は薄れてきている。前述の通り宇都宮・栃木両市のベッドタウンとなるなど性格が変化している。

1995年(平成7年)には、「おもちゃのまち」の歴史及び名にちなんだ壬生町おもちゃ博物館が建設され、周囲一帯が総合公園として整備された。ただし、壬生町おもちゃ博物館は「おもちゃのまち」にはなく、少し離れた壬生町国谷に位置する。

バンダイ2006年(平成18年)8月まで千葉県松戸市に開設していたバンダイミュージアムをおもちゃ団地内のバンダイコレクションセンター内に移転、「おもちゃのまちバンダイミュージアム」として2007年(平成19年)4月28日にオープンした。

2012年には大和リースがおもちゃのまち三丁目地内の地域を「フレスポおもちゃのまち」として整備し、店舗が7月から8月にかけて順次開業した[2]。また、おもちゃ団地協同組合や東武鉄道おもちゃのまち駅、周辺商店会などが新たに「おもちゃのまち活性化推進協議会」を発足、シンボルキャラクターとして、8月に小学生の「壬生ゆうゆ」(「遊ぶ」と「夢」から命名)、12月にはその姉でおもちゃのまち駅駅員の「壬生えみこ」(同駅に静態保存されているA3形58号蒸気機関車から命名)が発表された。デザインは同地に本社を置くトミーテックの「鉄道むすめ」を手がけたイラストレーターのみぶなつきが手がけており、このキャラクターを使ったオリジナルグッズなどを作って、町おこしに取り組んでいる[3]

町名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(それぞれ一部)
緑町一丁目 1977年(昭和52年)4月1日 大字北小林
緑町二丁目 大字安塚、大字北小林
緑町三丁目 大字安塚、大字北小林
緑町四丁目 大字安塚
幸町一丁目 大字安塚
幸町二丁目 大字安塚
幸町三丁目 大字安塚
幸町四丁目 大字安塚
おもちゃのまち一丁目 大字安塚、大字北小林
おもちゃのまち二丁目 大字安塚
おもちゃのまち三丁目 大字安塚
おもちゃのまち四丁目 大字安塚
おもちゃのまち五丁目 大字安塚
若草町 1987年(昭和62年)2月1日 大字安塚

出典:[4]

交通[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]