日光金谷ホテル

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日光金谷ホテル
Nikko Kanaya Hotel
ホテル概要
正式名称 日光金谷ホテル
ホテルチェーン 金谷ホテル
運営 金谷ホテル株式会社
所有者 金谷ホテル株式会社
部屋数 71[1]
開業 1873年6月[注 1]
最寄駅 東武日光駅日光駅
所在地 栃木県日光市上鉢石町1300
公式サイト 公式サイト
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日光金谷ホテル(にっこうかなやホテル、Nikko Kanaya Hotel)は、栃木県日光市上鉢石町にあるホテル1873年(明治6年)6月開業。現存する日本最古のリゾートクラシックホテル[広報 1]として、登録有形文化財[注 2]に登録、および近代化産業遺産[注 3]に認定されている。

運営会社は金谷ホテル株式会社。同社は日光市で「中禅寺金谷ホテル」の運営も行っている[4]。2016年に、東武鉄道が約60%の株式を取得し、東武グループとなった[5]

概要[編集]

過去にはイザベラ・バード(1878年)、フランク・ロイド・ライト(1905年)、アインシュタイン博士(1922年)、ヘレン・ケラー(1937年)らが滞在した[6][7][広報 2]

本館は、木造一部大谷石造。1936年(昭和11年)に地下を掘り下げて総2階から総3階に増築するなど、これまで数回の増改築を行っている[広報 3][広報 4]

新館は、1901年(明治34年)に新設された木造2階建て[広報 3]

別館は、1935年(昭和10年)に新設された木造一部RC造3階建て(設計は久米権九郎[広報 3][広報 4]

第二新館は、1961年(昭和36年)に新設された4階建て[広報 4]

歴史[編集]

1871年(明治4年)、日光東照宮の楽師(奏者)金谷善一郎は、泊まれる場所がなく困っていたヘボン博士を自分の屋敷に宿泊させた[8]。ヘボンの体験談を聞いた訪日外国人が金谷家を訪れるようになり、自宅だけでは部屋が不足したため、近隣の住宅にも協力を求め、報酬を分配するようになった[9]

1873年(明治6年)6月、金谷善一郎は、妻を伴って訪れたヘボン博士の勧めで自宅(四軒町:現・日光市本町)を改築し、外国人向けの民宿として「金谷カッテージ・イン」を開業した[8]。イザベラ・バードが1878年(明治11年)に宿泊し、著書『日本奥地紀行』で紹介して以降、外国人御用達となり、外国人の間ではサムライヤシキと呼ばれた[10]。善一郎の家族の意見で肉料理の調理は外で宿泊者自ら行うこととされた[8]

1900年代初頭の日光金谷ホテル

1893年(明治26年)、日光町上鉢石町にて建築途中に暴風雨で崩壊したまま放置されていた「三角(みかど)ホテル」の土地と建物を買収し、修理増築して「金谷ホテル」と名付けて開業(本館2階建てで、当初は1階と2階に1室ずつ。順次整備を続け最終的に30室に)[広報 2][11]1908年(明治41年)、ドイツのシーメンス社製の発電機を使用した自前の水力発電所を小倉山に設置[12]1966年(昭和41年)廃止)。

1943年(昭和18年)12月、古河電工での労働に従事する女子挺身隊のための宿舎となり、1944年(昭和19年)9月には疎開等宿舎に転用された[13]1945年(昭和20年)10月25日GHQに接収され、軍人の休暇用スペシャルサービスホテルに位置付けられた[14]。毎週ダンスパーティービンゴ大会が開かれ、従業員も参加した[15]1952年(昭和27年)2月29日に接収が解除された[16]。接収解除後は、アメリカ軍からの送客がなくなったため日本人客向けの営業活動を開始し、アメリカ式の1人1役に徹したスタッフを日本式の1人多役へ切り替えるなど、日本式経営へ移行していった[17]

中禅寺金谷ホテル

1965年(昭和40年)、中禅寺湖畔の日光観光ホテルを中禅寺金谷ホテルと改称[18]

金谷ホテルベーカリー神楽坂(2017年9月27日撮影)

1968年(昭和43年)、日光市御幸町に製パン工場を開設し、パンの外販を開始する(現・金谷ホテルベーカリー日光工場)[広報 2]

1992年(平成4年)、中禅寺金谷ホテルを建替え(設計はカナダ人建築家J・スタージェス)[18]。建設にともなう借入金が経営を圧迫し債務超過に陥る[19]2005年(平成17年)2月、創業家が経営から退き、メインバンクの足利銀行が約40億円の債権放棄を行うことで合意し、経営再建にとりかかる[19]

2005年(平成17年)11月、本館・新館・別館・竜宮が登録有形文化財に登録[2]2007年(平成19年)、第17回BELCA賞ロングライフ部門(平成19年度)に選ばれ[広報 3]、本館・新館・別館が近代化産業遺産に認定された[13]

2008年(平成20年)9月5日、ホテル・イン・ホテルというコンセプトの「オレンジ・スイート」(一室のみ)がオープン[広報 5][20]2011年(平成23年)、経営再建が進んだことにより創業者のひ孫にあたる井上槙子が社長に復帰[19]

旧金谷カッテージ・イン
(現・金谷ホテル歴史館)

2015年(平成27年)3月 - 旧金谷カッテージ・インを金谷ホテル歴史館として一般公開開始。

2016年(平成28年)9月30日東武鉄道が金谷ホテル株式会社の株式約63%を取得し、同社の連結子会社となる[2][21]

脚注[編集]

[編集]

  1. ^ 「金谷ホテル」としては1893年(明治26年)。
  2. ^ 2005年(平成17年)に本館・新館・別館・竜宮が登録[2]
  3. ^ 2007年(平成19年)、「外貨獲得と近代日本の国際化に貢献した観光産業草創期の歩みを物語る近代化産業遺産群」の一つとして認定[3]

出典[編集]

  1. ^ 「2019年日本のホテルチェーングループ一覧」『週刊ホテルレストラン』第54巻第9号、オータパブリケイションズ、2019年3月1日、78頁。 
  2. ^ a b c 梶山天 (2016年8月31日). “金谷ホテル、東武鉄道子会社に 誘客の相乗効果 関係者、期待の声”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 栃木全県版 
  3. ^ 「談論風発」”. 経済産業省 (2007年12月号). 2011年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月21日閲覧。
  4. ^ 金谷ホテルの魅力 | 【公式】金谷ホテル(ベストレート保証)|世界遺産・日光東照宮へのご旅行に”. www.kanayahotel.co.jp. 2023年7月23日閲覧。
  5. ^ 東武鉄道、名門「金谷ホテル」買収 訪日客に的”. 日本経済新聞 (2016年8月30日). 2023年7月23日閲覧。
  6. ^ “みちのものがたり 会津西街道 福島県下郷町 すさまじき「奥地」への旅路”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 週末be・e1-2. (2015年10月17日) 
  7. ^ 大成建設 - WEB.LIBRARY.TAISEI Vol.022
  8. ^ a b c 常磐, 1998 & P33-34.
  9. ^ 長田 2021, p. 158.
  10. ^ 長田 2021, pp. 158–159.
  11. ^ 常磐, 1998 & P58-59.
  12. ^ 常磐, 1998 & P119-120.
  13. ^ a b 長田 2021, p. 159.
  14. ^ 長田 2021, pp. 156–160.
  15. ^ 長田 2021, p. 160.
  16. ^ 長田 2021, p. 156.
  17. ^ 長田 2021, p. 162.
  18. ^ a b 常磐, 1998 & P260-261.
  19. ^ a b c “日光金谷ホテル社長に井上氏 創業家一族復帰で再出発”. 日本経済新聞. (2011年2月26日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFB2501S_V20C11A2L53000/ 2016年8月30日閲覧。 
  20. ^ トラベルビジョン - 日光金谷ホテルに1室のみの「ホテル・イン・ホテル」、一休など共同で改装
  21. ^ “東武鉄道、金谷ホテルを傘下に”. 日本経済新聞. (2016年8月30日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASFB30H8S_Q6A830C1000000/ 2016年8月30日閲覧。 

広報資料・プレスリリースなど一次資料[編集]

  • 常磐新平『森と湖の館 日光金谷ホテルの百二十年』潮出版社、1998年3月25日。 

参考文献[編集]

  • 長田城治 著「日光・観光都市の接収」、大場修 編 編『占領下日本の地方都市―接収された住宅・建築と都市空間―』思文閣出版、2021年5月26日、153-172頁。ISBN 978-4-7842-2009-0 

関連書籍[編集]

  • 申橋弘之『金谷カテッジイン物語 日光金谷ホテル誕生秘話』2017年、文藝春秋企画出版部 ISBN 9784160088931
  • 坂巻清美・申橋弘之『金谷ホテル物語 明治のホテルマンたちの遺訓』2022年、文藝春秋企画出版部 ISBN 9784160090385

関連項目[編集]

外部リンク[編集]