青野毅
千葉ロッテマリーンズ #58 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県川辺郡坊津町(現:南さつま市) |
生年月日 | 1983年1月12日(41歳) |
身長 体重 |
178 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、二塁手、一塁手、外野手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト5位 |
初出場 | 2002年5月12日 |
年俸 | 1,350万円(2011年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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青野 毅(あおの たけし、1983年1月12日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。鹿児島県川辺郡坊津町(現:南さつま市)出身。
来歴・人物
樟南高校ではエースで4番打者として夏の甲子園大会でも活躍、高校日本選抜にも選出された。当時は外野手を兼ねていて、野手としても評価は高かった。2年生時は1学年上の上野弘文-鶴岡慎也のバッテリーとともに自身は外野手として出場。樟南高校3年時はエースで主将で4番。
2000年オフ、千葉ロッテマリーンズにドラフト5位で投手として指名を受け入団した。2001年、入団と同時に野手に転向。
2005年までの5年間は完全に二軍暮らしで、一軍では2年目の1打席のみ。パンチ力のある打撃は期待されていたが、確実性がなく一軍から声がかからなかった。
しかし徐々に二軍の中心選手として地位を上げ、2005年には2軍でチーム最多の92試合に出場し、打率.286、7本塁打、10盗塁の活躍でファーム日本一に貢献した。
4月15日に堀幸一の代役で1軍への昇格を果たすと、その日の西武ライオンズ戦で「2番・三塁手」で即スターティングメンバー出場。9回にプロ初安打を放った。
6月14日の横浜ベイスターズ戦の4回裏に那須野巧からプロ初HRとなる満塁本塁打を左翼席に放った。 7月1日にも福岡ソフトバンクホークス戦で2回裏に田之上慶三郎から満塁弾を放った。プロ入り1号・2号がともに満塁本塁打なのは史上初である。
この活躍もあり中盤から二塁手・三塁手として一軍に定着を果たし、64試合に出場、打率.275を記録した。守備では一塁手2試合、二塁手43試合、三塁手12試合、外野手3試合を守った。二軍でも少ない出場試合数ながら打率.321、8本塁打を記録した。
4月30日の対西武戦(グッドウィル)では、ホームランを打った際にチームメイトのフリオ・ズレータのパフォーマンス「幕張ファイヤー!」を捩り「桜島ファイヤー!」なるパフォーマンスを披露した。更にこれを図案化したTシャツも製作された。シーズン序盤に打率4割を超え、一時は首位打者に立つなど驚異的な活躍を見せた。守備でも一塁手6試合、二塁手21試合、三塁手41試合、遊撃手1試合、外野手17試合と、あらゆるポジションを守った。しかし後半戦は手首・肩の故障に泣かされ二軍落ちし、レギュラーは確保できなかった。7月末に鹿児島県出身の女性と結婚。公式発表はクライマックスシリーズ第1ステージ突破後の10月11日に行なわれた。
前年に痛めた肩を手術し、リハビリテーションに専念した。結局一軍出場はなかった。
この年も一軍での出場機会はなかったが、二軍では33試合に出場した。
3年ぶりの一軍初出場を果たし、本塁打も放つものの、シーズンわずか2安打に終わってしまった。
プレースタイル
本職は三塁手だが、一軍では二塁、さらには一塁・遊撃・左翼・右翼も守った経験がある。本職でない守備位置を守るのは、三塁のレギュラーに今江敏晃がいるため。
守備では多数のポジションをこなす器用さを見せる一方、荒削りながら長打力と、初球から積極的に振って行く思い切りのいい打撃が持ち味である。[要出典]
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2002 | ロッテ | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2006 | 64 | 199 | 182 | 18 | 50 | 12 | 3 | 6 | 86 | 22 | 1 | 1 | 4 | 2 | 10 | 0 | 1 | 44 | 6 | .275 | .313 | .473 | .786 | |
2007 | 76 | 278 | 255 | 34 | 63 | 8 | 2 | 10 | 105 | 35 | 2 | 1 | 7 | 2 | 9 | 0 | 5 | 62 | 5 | .247 | .284 | .412 | .696 | |
2010 | 14 | 20 | 18 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | .111 | .200 | .278 | .478 | |
2011 | 5 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .333 | .000 | .333 | |
通算:5年 | 160 | 501 | 458 | 57 | 115 | 20 | 5 | 17 | 196 | 58 | 3 | 2 | 11 | 4 | 22 | 0 | 6 | 113 | 12 | .251 | .292 | .428 | .720 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初出場・初先発出場:2002年5月12日、対福岡ダイエーホークス8回戦(福岡ドーム)、9番・遊撃手として先発出場
- 初安打:2006年4月15日、対西武ライオンズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)、9回表に田崎昌弘から右前安打
- 初打点:2006年4月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(フルキャストスタジアム宮城)、3回表に山村宏樹から左前適時打
- 初本塁打:2006年6月14日、対横浜ベイスターズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、4回裏に那須野巧から左越満塁本塁打
- 初盗塁:2006年10月1日、対東北楽天ゴールデンイーグルス20回戦(フルキャストスタジアム宮城)、6回表に二盗(投手:青山浩二、捕手:カツノリ)
背番号
- 58 (2001年 - )