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長谷部康平

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長谷部 康平
東北楽天ゴールデンイーグルス #20
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県関市
生年月日 (1985-05-21) 1985年5月21日(39歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目
初出場 2008年5月15日
年俸 1,700万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

長谷部 康平(はせべ こうへい、1985年5月21日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手投手)。

来歴

プロ入り前

小学2年で野球を始め、中学時代は岐阜中濃シニアでプレー。杜若高等学校時代は山内壮馬とエースの座を争い、背番号1番と10番を交互に付け合う[注釈 1]。チーム最高記録は3年夏の県大会ベスト4。

愛知工業大学に進学し、1年春のリーグ戦で初登板。3年時からエースとなり、3年生としては唯一人第35回日米大学野球、第3回世界大学野球選手権の代表に選出される。4年秋の名古屋商大とのリーグ開幕戦にて17奪三振を記録。同年8月、北京五輪プレ大会に選出され優勝に貢献。同年11月、第37回IBAFワールドカップに選出され、抑えとして5試合に登板、無失点の好投を見せる。同年12月、プロ野球選手で構成された北京五輪アジア予選メンバーに唯一アマチュアから選出され優勝を果たす。リーグ戦通算21勝21敗、防御率2.44。北京五輪アジア予選メンバーは、楽天を除く11球団からの選手で構成されていたが、大会準備期間中に楽天が長谷部をドラフトで引き当てたため、全球団が揃うこととなった[注釈 2]

2007年の大学・社会人ドラフト大場翔太加藤幹典と共に「大学BIG3」と呼ばれ注目を浴び[1]中日広島ロッテ西武、楽天の5球団から1位指名を受けた。抽選の結果、楽天が交渉権を獲得。契約金1億円、年俸1500万円+出来高5000万円で仮契約した[2]背番号20

プロ時代

2008年
プロ入り初の対外試合となった2月25日のヤクルトとの練習試合と、続く3月2日のロッテとのオープン戦の計2試合で合計9イニング投げ無失点、被安打はわずか1という好成績を残し、田中将大と左右の二本柱として期待を受ける。しかし、3月2日の試合中に左ひざをひねり、後日の検査で左ひざの半月板を損傷していたことが判明したため開幕は絶望となった。
5月14日、オリックス戦でプロ初登板初先発するも、試合開始直前に雨脚が強くなり、僅か2分、4球を投げたところで中断ノーゲームとなる。翌5月15日の同カードで中継ぎとして初登板。以降は先発として起用されるも、3回も持たずに降板に追い込まれる試合が相次ぐ。8月19日のオリックス戦で二番手で登板し、7回1/3を2失点に抑えるロングリリーフでプロ初勝利を挙げたが、結局1年目は1勝4敗、防御率9.93という成績に終わった。オフに手術を受ける。
2009年
手術の影響で春季キャンプは二軍スタートも野村克也監督からの期待は高く、テレビのインタビューでは「先発は岩隈(久志)、田中(将大)は確定、あとは長谷部に出てきてほしい」と言われる。オープン戦での登板は1試合のみだったが、開幕一軍のメンバーに選ばれる。4月30日の日本ハム戦で5回1/3を自責点2で先発としての初勝利を果たし、初めて本拠地でヒーローインタビューを受けた。しかしシーズンを通して不安定な内容が多く、終盤には中継ぎに降格。5勝8敗、防御率は5.19といまひとつという成績に終わった。
2010年
春季キャンプは一軍スタートが決定していたが、キャンプ直前に左ひざを負傷し、二軍スタートとなった。開幕は一軍となり、初登板は先発の青山浩二がプレイボール直後の2球で負傷したことによる緊急登板だったが、打線の大量援護もありシーズン初勝利を挙げた。しかし不安定な内容は相変わらずで、結局3勝に終わった。
2011年
開幕前の1月に結婚を発表[3][4]、7月には第一子となる長男が誕生した[5]
シーズン終盤までは左肩痛もあり出番は無かったものの、8月末に一軍に昇格すると今までと違ったコントロールを重視した投球スタイルを披露。先発ローテーションに加わり、7試合で1勝0敗と勝ち星には恵まれなかったものの、防御率は2.55と安定した成績を残した[6]

プレースタイル

140km/h台中盤のストレートと大小のスライダーチェンジアップなどの変化球を投げ分ける左腕。

基本的に器用な投手で、他にも多くの変化球を投げることができるが、特段大きな変化をする球種はあまりない。独特のテークバックを持ったフォームを強みにして打ち取る投球が得意。

ストレートはアマチュア時代に152km/hを記録しているが、プロ入りして手術後はMAX148km/hほどになっている。それでもサイドスロー気味の左腕としては十二分に速く、フォームは特異だが、スタイルは本格派に近い。2008年度は半月板の怪我でかなり窮屈な投球になっていたが、現在はアマ時代を髣髴とさせるピッチングに戻りつつある。

課題は制球力。四球で自滅することが多かったが、2011年はフォームの修正により改善された[7]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008 楽天 13 6 0 0 0 1 4 0 0 .200 181 35.1 56 6 22 0 2 23 2 1 41 39 9.93 2.21
2009 25 20 0 0 0 5 8 0 1 .385 499 109.1 132 12 49 1 6 65 8 0 69 63 5.19 1.66
2010 10 8 0 0 0 3 5 0 0 .375 200 43.2 49 10 23 2 2 30 3 0 42 38 7.83 1.65
2011 7 7 0 0 0 1 0 0 0 1.000 140 35.1 26 0 13 0 0 20 1 0 11 10 2.55 1.10
通算:4年 55 41 0 0 0 10 17 0 1 .370 1020 223.2 263 28 107 3 10 138 14 1 163 150 6.04 1.65
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

投手記録
打撃記録

背番号

  • 20 (2008年 - )

登場曲

  • 「言えないよ」 JAMOSA(2008年)
  • 「One Love feat.般若, dNessa」 Equal(2009年)
  • 「Better Days feat.Def Tech」 BENNIE K(2010年)

脚注

注釈

  1. ^ 山内とは現在でもプライベートで仲がいいという。
  2. ^ その後、オリックス加藤大輔が外れたため、最終代表メンバーは再び11球団からの構成となった。

出典

  1. ^ 過去にはこんなBIG3が “最強”は法政三羽烏」 Sponichi Annex(2011年10月27日)、2011年11月16日閲覧。
  2. ^ 楽天・長谷部 1億円仮契約」 読売新聞(2007年12月6日)、2011年11月16日閲覧。
  3. ^ 長谷部康平選手、入籍のお知らせ」 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年1月9日)、2011年11月16日閲覧。
  4. ^ 長谷部が結婚「今年こそチームの力に」」 Sponichi Annex(2011年1月10日)、2011年11月16日閲覧。
  5. ^ 長谷部康平選手 第一子誕生のお知らせ」 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年8月2日)、2011年11月16日閲覧。
  6. ^ 「AURORA VISION」『週刊ベースボール』2011年11月14日号、ベースボール・マガジン社、雑誌20442-11/14、47頁。
  7. ^ 東北楽天の長谷部、球威向上目指す 体鍛え「強い球投げる」」 河北新報(2011年11月15日)、2011年11月16日閲覧。

関連項目

外部リンク