遠藤敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。WCCbot (会話 | 投稿記録) による 2016年3月25日 (金) 16:28個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (WP:BOTREQ#民主党 (日本 1998-2016)の改名に基づくリンク変更依頼 (oldid=59086345)による)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

日本の旗衆議院議員 遠藤 敬
生年月日 (1968-06-06) 1968年6月6日(55歳)
出身地 日本の旗 大阪府高石市
出身校 大阪産業大学附属高等学校
前職 社団法人高石青年会議所理事長
所属委員会 議院運営委員会(理事)
世襲
選出選挙区 大阪18区
当選回数 2回
所属党派自由民主党→)
日本維新の会→)
維新の党→)
おおさか維新の会
党役職 国会対策委員長
会館部屋番号 衆議院第1議員会館415号室
ウェブサイト 泉州から、日本の夜明け!
テンプレートを表示

遠藤 敬(えんどう たかし、1968年6月6日 - )は、日本政治家おおさか維新の会所属の衆議院議員(2期)、おおさか維新の会国会議員団国会対策委員長

来歴

大阪府高石市生まれ[1]高石市立高石小学校高石市立高石中学校大阪産業大学附属高等学校卒業。高校卒業後の1989年、株式会社源泉を設立。2003年社団法人高石青年会議所理事長に就任。2004年より堺高石青年会議所の第50代理事長。その後、日本青年会議所大阪ブロック協議会長を務めた[2]。また、高石市が含まれる大阪18区選出の代議士だった中山太郎の陣営の青年局長や中川昭一衆議院議員の大阪後援会会長等を務めていた[2]

2010年5月25日、前年の第45回衆議院議員総選挙で落選した中山太郎が、自由民主党に離党届を提出[3]。中山の離党を受け、自民党が実施した候補者公募に合格。中山の離党後は空席であった大阪府第18区支部長に就任し、次期衆議院議員総選挙における自民党の公認を受ける。しかし、一部の自民党員が遠藤の公認に反対し続けたため、2012年9月28日付の自身のブログで、橋下徹大阪市長が代表を務める大阪維新の会が提唱する競争原理主義への賛意を表明した[4]上で、同日自民党に離党届を提出。その後日本維新の会に入党し、11月17日に同党大阪府第18区選挙区支部長に就任[5]第46回衆議院議員総選挙では日本維新の会公認、みんなの党推薦で大阪18区から出馬し、自由民主党新人で前泉大津市長の神谷昇や、民主党から日本未来の党へ鞍替えした前職の中川治らを破り、初当選した。

2013年11月24日投開票の岸和田市長選挙では、自身の公設秘書を務めていた原田栄夫(無所属)への支持をブログで表明[6]したが、原田は元岸和田市議会議員の信貴芳則に敗れ、落選した[7][8]

2014年の日本維新の会分党に際しては、橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加。分党後の日本維新の会を経て、結いの党の合流による維新の党の結党に参加した。同年の第47回衆議院議員総選挙では、維新の党公認で大阪18区から出馬。大阪府内でも維新の党の公認候補が苦戦する中、自民党新人の神谷昇に約6千票差まで詰め寄られるも振り切り、大阪18区で再選。同年12月24日、維新の党国会対策委員長代理に起用された[要出典]

2015年おおさか維新の会に参加。同党の国会対策委員長に就任した。

政策・主張

所属団体・議員連盟

脚注

外部リンク

党職
先代
(結成)
おおさか維新の会国会議員団国会対策委員長
初代:2015年 -
次代
(現職)