機関銃

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ブローニングM2重機関銃
第一次世界大戦ドイツ軍が使用したMG08 水冷式機関銃。マキシム機関銃の派生型である。

機関銃(きかんじゅう、: Machine gun)は、弾薬を自動的に装填しながら連続発射する銃である。略称は「機銃」、英語ドイツ語[注 1]では「MG」。

単に機関銃といった場合には厳密にはフルサイズ[注 2]小銃弾を断続的に発射することで戦場を広範囲に制圧できるものを指すことが一般的である。一方で、自動連射できる銃(短機関銃アサルトライフル自動小銃)をさして「機関銃」と呼ぶこともあり、その定義はかならずしも厳密ではない。

概要

射手と装填手の2人で操作するものや、射手1人で扱えるものがある。機関砲は、2人以上で運用する。弾薬の供給は、多数を帯状にしたベルトリンク方式で行われるものが多いが、数十発ほどを銃に装着するマガジン方式もある。

長所
  1. 弾幕を張れる
  2. 集弾効果[1]によって貫徹力が高まる
短所
  1. 弾薬の消費が激しい
  2. 銃や弾薬が重く、機動性に乏しい

定義

機関銃には、回転式多銃身機関銃重機関銃汎用機関銃軽機関銃分隊支援火器短機関銃アサルトライフルなど、全自動射撃が可能な銃器がすべて含まれる。しかし、狭義には持続的な制圧射撃が可能な回転式多銃身機関銃、重機関銃、軽機関銃、汎用機関銃、分隊支援火器のみを指し、短機関銃やアサルトライフルを機関銃に含めるか否かについては揺らぎがある。「小銃弾、またはそれ以上の威力の弾丸を連続して発射する銃器である」と云う定義もありうる[2]

機関砲と機関銃の違いの定義もまた曖昧であり、組織や時代により異なる。21世紀初頭の日本や米国では基本的には口径が20mm未満のものを機関銃と言い、20mm以上のものを機関砲と言う。日本陸軍では明治40年6月までは全て機関砲と言い、明治40年6月以降は従来の機関砲の内11mm以下のものは機関銃と改称、昭和11年1月以降はこの区分を廃止して銃か砲かは制式制定毎に決定[3]日本海軍では40mm以上を砲、ドイツ軍では30mm以上を砲と定義していた。

連射可能な銃器の分類

  • 機関銃
従来型の小銃弾と拳銃弾の間の威力の弾薬を使用する自動小銃
拳銃弾など弱力な弾薬を使用する小型の機関銃
フルオート発射が可能な拳銃

定義と同様に、この分類にも揺らぎがあり、分隊支援火器は汎用機関銃や軽機関銃との差異がそれほど明確ではない[2]

機構概要と運用法

機関銃は、引き金を引くだけで「装填→撃発→排莢」のサイクルの繰り返しが連続して行われ、多くの機関銃ではボルト(遊底)の往復運動によってこれが実現されている。

二脚(バイポッド)を用いて移動しながら射撃を行う軽機関銃などは直接照準(照星と照門、あるいはスコープ等の照準器を用いて標的を目視しながら射撃する)で射撃し、銃架を用いる重機関銃などは直接照準のほかに銃身の仰角を指定して遠距離にある一定区画を掃射する間接照準射撃が可能となる。

1人の射手が多数の敵兵士を殺傷し得る火器である。運用は基本的に2人以上で行い、射手が発砲し、弾薬手はベルトリンク(弾帯)の保持などを行う形態が多い。歩兵部隊にとって一般的な支援火器である。

連射し続けると銃身が過熱し、内部のライフリングが容易に磨耗してしまうため、銃身が素早く交換できるものが多い[注 3]。200-500発程度の連射で交換するのが目安とされている[2]

機関銃の登場、そして、機関銃を中核とした防御陣地による塹壕戦の普及によって、それまでの銃剣突撃による正面突破を主体とした歩兵戦術は無効となり、機関銃陣地の間隙に潜入してから突破することを主体とした浸透戦術や、装甲戦闘車両群を投入して穿貫突破する機甲戦へと変わっていき、更に後には空中機動作戦も行われるようになった。

機関銃班

歩兵が機関銃を扱う場合は、一般的に数名程度の小班によって行なわれる。班長(指揮官)、観測員、射撃手、給弾手の4名によって使用されていた時期があったが、21世紀の現在では2名程度での運用が多い[注 4]

構造

ブローバック系の各方式

ブローバック方式は反動を利用した作動方式で、銃身ボルトをロックする機構を持たないものを指す。

シンプル・ブローバック方式
シンプル・ブローバック方式は単純な構造で安価に製造できるが、構造上の限界(参照)があり、強力な弾薬の使用には適さないため、「ショート・リコイル方式」や「遅動ブローバック方式」、「APIブローバック」などの方式を派生させた。
遅動ブローバック方式
シンプル・ブローバック方式にボルトの後退を遅らせる機構を追加したもの。機関銃への採用例としては、ローラー遅延式HK21/HK23が知られている。
APIブローバック方式
API(Advanced Primer Impact)ブローバックは、エリコン社製機関砲に使用されたブローバック方式の一種であり、機関銃への採用例はない。
ボルトが銃身を前進途中に発火を行うものである。ボルトが銃身を前進途中に発火するため、しばらく慣性で発火後もボルトは前進し続け、弾頭銃口を飛び出す頃にボルトは反動によって後退しはじめ、抽筒、排莢、撃発機構の再セットなどを行う。薬莢は発火サイクル中薬室中で前後に移動するため、ボトルネックやテーパーのかかっていないストレートケースでなければならない。
機関部を軽量かつシンプルにできて、かつ銃自体の反動も少なくなる利点があるが、薬莢が発火サイクルで前後に移動するため構造的にシビアであることやストレートケースであるために薬莢に負担がかかりやすく、また、初速が低くなりやすい欠点もある。さらに、プロペラ同調装置との併用ができないという深刻な欠点もあった。

リコイル系の各方式

各種のリコイル方式は射撃時の反動を利用し、弾丸発射時のガス圧が射手に危害が及ばない程度に低下するまでに何らかの閉鎖結合を行う機構を持った方式である。

第一次世界大戦までに各国で使用された機関銃の多くは、リコイル方式のものだった。実用化されたガスト式機関砲には、リコイル方式が使用されている。狭義の機関銃には含まれないが、多くの(半)自動式リボルバーもリコイル方式を採用している。

ショート・リコイル方式
弾が発射された後に、ボルト(遊底)と結合された銃身が薬莢よりも短い距離だけ一緒に後座する事でロック機構が解除される。
ロック解除後に銃身は停止し、遊底のみが後退を続け、抽筒、排莢、撃発機構の再セットなどを行う。バネなどにより復座した遊底は次の弾薬を薬室に装填した後、後座したままの銃身に突き当たり、これを元の位置に押し戻して再結合する。
ロング・リコイル方式
弾が発射された後に、ボルト(遊底)と結合された銃身が、長い距離(概ね薬莢の全長程度)だけ一緒に後座する事でロック機構が解除される。
薬莢が薬室内に保持されている時間が長いため、大量の火薬をゆっくりと燃焼させるのに適している。このため、大口径機関砲などに使用されるが、機関銃にロング・リコイル方式を採用したFM mle1915軽機関銃は有名な失敗作として知られている。

ガス圧作動方式

銃身から発射ガスの一部をガスポートを通して取り出してガスシリンダーに導き、ガスピストンを動かすことによって銃身とボルトのロックを解く方式で、現代の機関銃で主に使用されている方式である。

火薬の燃焼ガスを利用するため腐食が生じやすく火器の寿命が短くなる欠点があったが、弾薬が改良された20世紀後半以降は機関銃や自動小銃に広く採用されるようになった。

チェーンガン

チェーンガンは、射撃時に発生するガスや反動を利用せず、チェーンを介して接続している外部動力でボルトを前後させ、給弾・発砲・排莢のサイクルを繰り返し連射する機関銃。不発弾が強制排出されるため、弾詰まりによる連続射撃不能になる可能性が少ない。

ガトリング砲

ガトリング砲は、銃軸の周囲に多数の銃身を配置し、外部動力でこれを回転させ、連続的に装填・発射・排莢を行う構造を持つ(ガス圧作動方式による自力駆動式も存在する)。この方式の最大の利点は、不発実包が混入していても動力で強制排除し、発砲を持続できる事である。また、銃身一本当たりの発射速度は低くて済むために火薬の燃焼と摩擦によって発生する熱で銃身が過熱しにくく、これによる部品の歪みも発生しにくいという特徴もある。ただし、必然的に使用パーツ数が単銃身タイプのものより多くなり、重量過多を招く要因となっている。

歴史

14世紀以降、の速射性の向上のため様々な人物により試行錯誤が重ねられてきた。レオナルド・ダ・ヴィンチも機関銃のアイディアを書き残している。

16世紀に技師、博学者でペルシア生まれのインド人であるファトフッラー・シラジが、砲身が17本ある黒色火薬を詰めたハンドキャノン(手銃)を発明している。イギリスではパルマーという人物が王立協会あての論文で、弾丸の発射の反動と漏れるガス圧を利用しての自動射撃の可能性について述べている。

パックルガンのレプリカ(バックラーズハード海事博物館)

詳しい資料が残っている最初のものは、ロンドンの法律家ジェームズ・パックルが発明したパックルガンで、1718年5月15日「ディフェンス」という名前で特許を取得。時代を先取りした口径25.4mmのフリントロック式リヴォルヴァーカノンで、薬室の構造など具体的な説明がされている。1722年に行われた公開実射試験では7分間に63発を発射している。しかしながら、キリスト教徒には丸い弾丸、トルコ人異教徒には四角い弾丸を使用するなど現実性に乏しい部分も見られ、実際に製造されることはなかった。

ミトラィユーズ

19世紀中ごろまでに数多くの連発火器や、半自動火器が登場する。ボレーガンミトラィユーズなど)やダブルバレルの拳銃は、銃の部品を何重にもすることに頼っていた。ペッパーボックスピストルは撃鉄を1つにしたが、銃身は複数必要であった。リボルバーはあらかじめ弾倉に弾を込めさえすれば1つの銃身で連発が可能であるが、パックルガンと同じく依然として半自動であった。

1834年デンマークの発明家N・J・レイプニッツが空気圧機関銃を発明する。1分間に80発の連射が可能であったが、2mのはずみ車を2つ必要とするなど、非常に大掛かりな装置であったため、実用化されることはなかった。1854年、イギリスのヘンリー・ベッセマー卿蒸気を利用した自動後装銃の特許を取得。完全な自動装填装置を備えていたが、後に画期的な製鋼法(転炉)を発明したことにより、そちらに関心を向けるようになってしまった。

この頃までは、欧州社会を中心に機関銃が開発されていたが、騎士道精神がまだ残っていた西洋社会の中で白人同士の戦争にそれらの使用が忌避され、主に植民地の住民に対して使用された(騎士道云々ではなく、植民地の戦場では人数で圧倒的に負けていたから使わざるを得なかったともいわれる)。白人同士で最初に大々的に使用されたのは、こういった倫理的制約の薄かった新興国であるアメリカ合衆国南北戦争からであった。機関銃の持つ軍事合理性が騎士道精神より優先された[4]

1861年の南北戦争の最中、セールスマンのJ・D・ミルズが、リンカーン大統領の前でユニオン・リピーティング・ガンと呼ぶ銃の実演を行った。この銃は、単一の銃身で自動連射が可能な手回し式機関銃で、1分間に最高で120発の連射が可能であった。リンカーンはコーヒーミルガンと呼び、ミルズの熱心な説得もあって、周囲の反対を押して1丁1,300ドルという高値でミルズの持っていた10丁すべてを買い取った。機関銃が販売された初めての記録である。この機関銃の開発者、起源ははっきりしたことは分かっていない。1860年-1861年にウィルソン・エージャーによって製造されたものであるとされるが、1855年には原型が製造されていた可能性がある。エージャーと共にウィリアムズ・パーマー、エドワード・ヌージェントの名前があり、銃の特許権をめぐって裁判沙汰になっていて、アメリカではこの銃の特許の記録は残っていない。イギリスではエージャーが特許を取っており、エージャーガンとして知られていた。この銃はアメリカ軍将校により少数購入され、橋などの防衛用として投入された。初めて機関銃が戦争で使われた記録であるが、信頼性、安全性に欠けていたため評判はすこぶる悪く、1865年までにはすべて軍から払い下げられた。

1862年11月-1863年5月の間、アメリカでの機関銃に関連する特許は80件以上に上っているが、実際に陸軍海軍で試験されたものは7件だけであった。

この時代最も、そして、初めて成功したものはガトリング砲で、1862年にリチャード・ジョーダン・ガトリングが発明した。束ねた銃身と薬室を手動で回転させる事により次弾を装填し連射を可能にする仕組みであり、他の機関銃と比べて最も信頼性が高かった。それでも、加工精度の低い弾薬が原因ですぐに弾詰まりを起こし、軍の評価は低かった。1865年に発表されたモデル1865は大幅に信頼性が向上しており、軍は評価を改め、1866年にはアメリカ陸軍で制式採用された。海外でもイギリスが採用した他、日本ロシアフランスなど各国が購入するなど広まった。アメリカでは自衛団などにも配備され、鉱山会社などでは労働者のストライキや暴動対策にも使用された。

ガトリング砲やそれに類似する物は南北戦争やインディアン戦争普仏戦争に投入されたが、機動性が悪く、少数しか投入されなかったため、有用性は認められたものの、課題も多く戦果も限定的であった。日本国内で使用された最初の機関銃はこのガトリング砲で、1868年戊辰戦争の一局面である北越戦争長岡藩の家老を務めていた河井継之助が初めて実戦投入した。

信頼性のある機関銃の登場

アメリカでは1871年にはガス圧を利用するフランスのオチキス機関銃が登場した。1884年(特許取得は1883年)には、アメリカ人のハイラム・マキシムがイギリスで、水冷・反動式のマキシム機関銃を発明し、1891年にはイギリス軍に採用された。マキシム機関銃はヴィッカース社により大量生産され、多くの国で類似品が生産された。1905年にはコルト社が空冷・ガス圧式のブローニング機関銃を生産した。これらにより、機構が複雑で、重量がかさむガトリング砲は急速に廃れていった。これには燃焼カスが大量に発生し銃身あたりの連射数の限界が低い黒色火薬褐色火薬実包から、清掃無しでも連射数の比較的多い無煙火薬実包への切り替えも大きく寄与している。

機関銃の大量使用

日露戦争では、日本軍はオチキス機関銃を「保(ホチキス)式機関砲」として採用、一方のロシア軍マキシムPM1905重機関銃を使用した。旅順攻囲戦でロシア軍の機関銃が攻撃側の日本軍に対し圧倒的な破壊力を示した。その一方、日本側も騎兵に機関銃を携帯させ、効果的な用法を展開した。この当時は攻撃時における機関銃の運用法が確立していなかった。また、初期の機関銃は大きくて重く、三脚などの銃架に載せ3人以上で運用するもので、陣地要塞などの防御兵器には向いていたが攻撃には不向きであった。その後、攻撃時に歩兵とともに前進し1-2人で運用できる軽機関銃が開発された。

機関銃の登場により、大量の人員が損耗するようになった。

第一次世界大戦の機関銃

第一次世界大戦においても機関銃は大いに威力を発揮し、突撃する歩兵鉄条網で足止めされたところを守備側が機関銃によって撃ち倒し、攻撃側は多数の犠牲者を出した。そのため、双方とも塹壕に篭り陣地を構築して戦線が膠着し、これが、戦車を誕生させる要因になった。また、航空機武装としても取り入れられ、当初は地上用の改良型だったが、高い発射速度とともにより軽量で加速度のかかった状態でも確実に作動するものが求められ、同調装置が発明されるなど航空機専用のものが開発された。

機関銃の登場によって、一人当たり発射出来る弾薬の量が飛躍的に増え、第一次世界大戦から世界的に戦場が一変した。 それまでの戦争では自動火器が普及しておらず、主力火力である小銃は、命中精度も低く、再装填に時間がかかった。 従って、お互いが密集形態により、銃剣突撃により決着をつけることが多かった。 これが信頼性のある機関銃の大量投入により、塹壕鉄条網により構成された陣地を、生身の人間が銃剣突破により突破することが出来なくなった。 これにより、お互いがお互いの塹壕陣地を突破できなくなり、武器戦術が機関銃で構成された陣地を突破する為のものに変わった [5]

セミ/フルオートの切り替えが可能で、1人の兵士によって運搬・装填・射撃が可能な銃器として、第一次世界大戦直前に開発、量産開始(配備開始は開戦後)され問題作とされたFM mle1915軽機関銃や(それでも25万丁程量産され、少なくとも11ヶ国の軍隊で採用された)、第一次世界大戦勃発とほぼ前後して開発量産開始され成功作とされたブローニングM1918自動小銃が量産使用され、後代の自動小銃分隊支援火器に発展する。

第一次世界大戦末期には短機関銃が実戦投入され、塹壕白兵戦などでの有用性を示した。

弱装小口径実包を多数装填し一般兵でも実用的精度の全自動射撃可能なカービン(当時)級全自動小銃、後代のアサルトライフルに相当しその祖になるフェドロフM1916が開発量産実戦投入された。

ガスト式ドイツで開発され、第二次世界大戦ソ連(後のロシア)で量産開始される。

第二次世界大戦の機関銃

第二次世界大戦ドイツ軍が使用したMG34は、通常は軽機関銃として、三脚をつければ重機関銃として使用できる多目的機関銃として開発された。GPMG(汎用機関銃)の先駆けである。

リヴォルヴァーカノンドイツで開発され、戦後(西)ドイツを含む西側で量産開始される。

戦間期にフルロード弾級(半)自動小銃の技術的目処が立ち、第二次世界大戦中に米国などで実戦投入され有用性を示した。又小口径はしていないものの弱装・短小・カービン用等特徴を持つ銃弾を使用する(半)自動小銃群が開発量産実戦投入され有用性を示した。

第二次世界大戦以降の機関銃

軽機関銃の中でも、分隊ごとに装備されたより軽量なタイプは、「SAW(分隊支援火器)」とも呼ばれ、戦後各国軍に普及した。通常、射手一人のみで運用される。小銃から発展した簡易機関銃といったものも多い。戦後実戦で高精度全自動射撃が困難なフルロード弾を使用するバトルライフルとの競争に、軽量小口径高初速低反動弾(中間弾)を実用的精度で全自動射撃が可能なアサルトライフルが打ち勝って取って代わった結果、分隊支援火器もアサルトライフル弾と共通弾を使用する物に切り替わる傾向にある。

広義には短機関銃もこの部類に含まれる。特にビラール・ペロサM1915は、拳銃弾を使用する軽量連装型機関銃として配備されている。但し各国軍で自動小銃(特にアサルトライフル)が広く普及した結果、短機関銃は歩兵の主兵装にならなかった。

航空機ジェット化されると、単銃身の機関銃、機関砲では発射速度が足りず、高速の航空機を相手にすることが難しくなってきた。そのため、銃身を複数本束ね、より連射が効く機関銃として「バルカン砲」などのガトリング砲がモーター給弾式の形で復活した。さらに、大型で発火し難いケロシン系燃料を使用するこの航空機に対応するため、大容量の炸薬を搭載する必要が生じた結果、他の方式と併せながら大口径化していった。

チェーンガンがアメリカで開発・量産開始された。

関連書籍

  • 『機関銃の社会史』平凡社ライブラリー 635 ジョン・エリス 越智道雄訳 平凡社 2008年 ISBN 978-4-582-76635-6

脚注

注釈

  1. ^ 機関銃はドイツ語では「Maschinengewehr」と言う
  2. ^ 当時の小銃で使用されていた7.62mmや7.92mmクラスの弾丸の事で、単射を前提としているので反動が強い。後に反動が弱く連射しやすい中間弾を使用するアサルトライフルが登場したため、それと区別するため以前の単射を前提とした小銃弾をフルサイズと呼ぶ
  3. ^ 第一次世界大戦後までは、水冷式の冷却方法が主流だったが、第二次世界大戦前に空冷が登場し、21世紀前には空冷式で銃身を交換する方式が主流となった
  4. ^ 重機関銃などの用途によって変化するが射撃手と弾薬手で構成。運搬に関してはその限りではない

出典

  1. ^ 集弾効果とは、近距離射撃で一点を集中して射撃すれば、堅固な防護も打ち抜ける可能性が高まることを言う
  2. ^ a b c 大波篤司著 『図解 ヘビーアームズ』 新紀元社 2008年9月3日初版発行 ISBN 9784775306512
  3. ^ 機関砲と機関銃の称呼区分廃止の件」 アジア歴史資料センター Ref.C01005020700 
  4. ^ 加藤朗著 『兵器の歴史』 芙蓉書房出版 2008年1月25日第一刷発行 ISBN 9784829504130  ジョン・エリス『機関銃の社会史』平凡社、1993年
  5. ^ 第一次世界大戦の日本陸軍に及ぼした影響-歩兵戦術への適応を中心として- - 防衛省 アクセス:2017年4月10日

関連項目

外部リンク