梅津智弘

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梅津 智弘
楽天時代(2015年 さいたま市営浦和球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山形県上山市
生年月日 (1983-03-03) 1983年3月3日(41歳)
身長
体重
191 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 ドラフト6巡目
初出場 2005年4月5日
最終出場 2015年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

梅津 智弘(うめつ ともひろ、1983年3月3日 - )は、山形県上山市出身の元プロ野球選手投手)。現役引退後、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)球団職員となる。妻は、タレント・リポーターの若林翔子

経歴

山形県立上山明新館高等学校から國學院大學へ入学後、硬式野球部に所属。大学の同期に伊藤義弘がいた。また、2015年東北楽天ゴールデンイーグルスでチームメイトになった嶋基宏は梅津の2年後輩、聖澤諒は3年後輩に当たる。

大学2年生だった2002年には、東都大学野球秋季リーグ2部の拓殖大戦で完全試合を達成。2、3年の秋季には、東都大学野球の2部で最優秀投手のタイトルを獲得した。2部通算24勝9敗[1]

2004年のドラフト会議で、広島東洋カープからの6巡目指名を受けて入団した。背番号は39。

広島時代

梅津の投球フォーム。

2005年には、開幕一軍入りを果たすと、プロ3試合目の登板になった4月5日の対阪神タイガース戦(広島市民球場)に3球で一軍初勝利を記録。その一方で、6月29日の同カード(米子市民球場)では、1球で一軍初の敗戦投手になった。シーズン通算では、中継ぎとして一軍公式戦33試合に登板。防御率2.53という成績を残した。

2006年には、投球フォームで試行錯誤を重ねた影響で、シーズンの前半を二軍で過ごした。8月以降は一軍に定着。奪三振率が前年から2倍近くに上昇した。シーズン通算では、一軍公式戦23試合の登板で防御率1.23を記録した。

2007年には、シーズン序盤からクローザー永川勝浩につなぐセットアッパーとして頻繁に登板。シーズン通算では、チームトップの21ホールドを挙げた。その一方で7月上旬には二軍へ降格となりその後すぐに一軍へと復帰したが、復帰後はビハインドの展開からの起用が多くなった。なお、シーズン終了後の12月21日にはモデルタレント若林翔子との入籍を発表している。

2008年はチームトップの64試合に登板して、チーム最多の21ホールド[2]、防御率2.62とセットアッパーとして安定した活躍を見せた。その活躍が評価され、契約更改では前年の倍以上となる3,800万円(推定)でサインした。

広島時代(2012年2月13日)

2009年はシーズン序盤は安定した投球を続けていたが、6月4日に右肩痛で一軍登録を抹消。三軍でリハビリを続けて8月2日の二軍の公式戦で実戦復帰登板となったが、その試合で右肩痛が再発した。登板1試合で再び三軍でリハビリを行うこととなり、そのままシーズン終了となった。秋季キャンプ期間でも広島に残ってリハビリを続けた。

2010年は敗戦処理やワンポイントでの登板が主となった。それでもなんとか防御率3点台を維持していたが、8月25日の阪神戦で1イニング10自責点と大炎上し(チームは22対8で阪神に大敗。)防御率は6点台にまで悪化し翌日二軍落ちした。一軍復帰後は成績を多少持ち直したが、結局自己最悪となる防御率5.80でシーズンを終えた。

2011年は中継ぎとして23試合に登板。防御率こそ2.70と良好だったが、左打者を苦手としたことからイニングを任されるほどの信頼は得られず、対右打者のワンポイントリリーフとしての起用が中心となった[3]

2012年以降は一軍公式戦への登板機会が大幅に減少し、同年には9試合、2013年には8試合の登板にとどまった。

2014年には一軍公式戦で自身3年ぶりの2桁(11試合)登板を記録した。しかし、10月28日に球団から戦力外通告を受けた[4]ため、11月9日には現役続行を視野に第1回合同トライアウトを受験した[5]

楽天時代

2014年11月14日に、東北楽天ゴールデンイーグルス育成選手契約で合意したことが発表された[6]。背番号は139。

移籍した2015年には、7月31日に支配下登録選手へ復帰するとともに背番号を92に変更した[7]。8月4日に移籍後初の出場選手登録。翌5日の対埼玉西武ライオンズ戦(楽天koboスタジアム宮城)で移籍後初の一軍公式戦登板を果たした。この試合では、球団側の手違いで自身のユニフォームの手配が間に合わなかったため同僚投手のケニー・レイ(背番号12)のユニフォームを借りて登板した[8]。だが、秋山翔吾に本塁打を打たれるなど1回を投げて3失点という内容で交代した。結局、梅津の一軍での登板機会はこの試合のみで8月9日に出場選手登録を抹消された。梅津はそのままシーズンを終えると、10月2日に自身2度目の戦力外通告を受けた[9]ため、同月31日に自身のブログで現役引退を表明した[10]

現役引退後

楽天球団では、2015年11月23日に楽天koboスタジアム宮城で開催したファン感謝祭で森山周西村弥との合同引退セレモニーを実施。2016年以降も、同球団の職員を務めている。同年から2017年までは、一軍のサブマネジャーを担当[8]。2017年には打撃投手も兼務しているが、他の打撃投手と違って背番号を付けなかった。2018年から二軍マネジャーへ異動。

選手としての特徴

長身のサイドスロー右腕[11]。タイミングが取りづらい投球フォームから直球、変化球ともコースに投げ分ける制球力を誇る[12]。変化球はキレのあるスライダー[13]シュート[14]シンカー[15]を投げる。プロ入り後は中継ぎ投手として活躍。広島時代は一時セットアッパーを担った[11]。右打者に強く、2006年から2009年まで4年連続で被打率は1割台だった[2]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2005 広島 33 0 0 0 0 1 1 0 5 .500 136 32.0 30 3 12 2 2 18 0 0 12 9 2.53 1.31
2006 23 0 0 0 0 0 1 1 9 .000 84 22.0 14 0 7 1 0 23 1 0 3 3 1.23 0.95
2007 47 0 0 0 0 2 3 0 21 .400 193 44.1 39 5 20 1 1 36 1 0 27 26 5.28 1.33
2008 64 0 0 0 0 0 3 1 21 .000 236 58.1 44 6 18 3 2 49 0 0 18 17 2.62 1.06
2009 26 0 0 0 0 2 1 0 9 .667 94 24.2 17 1 4 1 0 16 0 0 6 5 1.82 0.85
2010 46 0 0 0 0 0 1 0 6 .000 186 40.1 47 9 17 2 3 24 0 0 33 26 5.80 1.59
2011 23 0 0 0 0 3 1 0 4 .750 82 20.0 21 1 3 1 3 11 1 0 6 6 2.70 1.20
2012 9 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 38 6.2 11 0 4 0 3 5 1 0 5 3 4.05 2.25
2013 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 42 10.1 9 0 4 0 1 6 0 0 6 6 5.23 1.26
2014 11 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 80 18.1 22 1 6 0 1 9 0 0 12 12 5.89 1.53
2015 楽天 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.0 4 1 0 0 0 1 0 0 3 3 27.00 4.00
通算:11年 291 0 0 0 0 8 11 2 76 .421 1178 278.0 258 27 95 11 16 198 4 0 131 116 3.76 1.27

記録

その他

背番号

  • 39(2005年 - 2014年)
  • 139(2015年 - 同年7月30日)
  • 92(2015年7月31日 - 同年終了)

参考文献

  1. ^ 2005プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ a b 12球団合同トライアウト目前。注目選手特集! タイムリーdata vol.6”. Baseball LAB[ベースボールラボ]プロ野球×データ. 2022年2月24日閲覧。
  3. ^ “【広島】梅津300万円ダウンも納得”. 日刊スポーツ. (2011年11月11日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp1-20111111-862149.html 2011年11月17日閲覧。 
  4. ^ 来季の選手契約について”. 広島球団公式サイト (2014年10月28日). 2014年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月4日閲覧。
  5. ^ “59人が参加/合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2014年11月9日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20141109-1393544.html 2015年10月31日閲覧。 
  6. ^ 梅津智弘選手との契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス球団公式サイト (2014年11月14日). 2021年9月4日閲覧。
  7. ^ 【梅津智弘選手】支配下選手登録に関して”. 楽天ゴールデンイーグルス (2015年7月31日). 2021年9月4日閲覧。
  8. ^ a b “楽天 3選手が引退セレモニー 梅津「ユニホームを借りて投げたのが思い出」”. スポーツニッポン. (2015年11月23日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/11/23/kiji/K20151123011562590.html 2015年11月23日閲覧。 
  9. ^ “楽天上園、梅津、藤江、高堀4選手に戦力外通告”. 日刊スポーツ. (2015年10月2日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1547195.html 2015年10月31日閲覧。 
  10. ^ “現役引退”. 梅津智弘オフィシャルブログ「雲外蒼天」. (2015年10月31日). https://ameblo.jp/tomohiro-umetsu/entry-12090028845.html 2015年10月31日閲覧。 
  11. ^ a b file#012 梅津智弘(投手・広島)の場合”. 週刊野球太郎 (2012年12月17日). 2021年8月21日閲覧。
  12. ^ 59人が参加/合同トライアウト詳細 - プロ野球ニュース”. 日刊スポーツ (2014年11月9日). 2021年8月21日閲覧。
  13. ^ 【広島】セットアッパー梅津が2回無失点 - プロ野球 オープン戦情報”. 日刊スポーツ (2009年3月18日). 2021年8月21日閲覧。
  14. ^ 「梅津、新球・落ちるシュートで復活だ」”. デイリースポーツ (2012年11月15日). 2021年8月22日閲覧。
  15. ^ 【広島】梅津、紅白戦へ新球シンカー試投 - プロ野球ニュース”. 日刊スポーツ (2013年2月18日). 2021年8月21日閲覧。

関連項目

外部リンク