愛子内親王

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敬宮愛子内親王
続柄 皇太子徳仁親王第一女子(今上天皇皇孫)

全名 愛子
称号 敬宮(としのみや)
身位 内親王
敬称 殿下
お印 ゴヨウツツジ
出生 (2001-12-01) 2001年12月1日(22歳)
日本の旗 日本 東京都千代田区宮内庁病院
父親 皇太子徳仁親王
母親 皇太子妃雅子
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皇室






敬宮 愛子内親王(としのみや あいこないしんのう、2001年平成13年)12月1日 - )は、日本皇族皇太子徳仁親王同妃雅子の第一女子。今上天皇の皇孫。御称号敬宮身位内親王皇室典範に定める敬称は殿下お印ゴヨウツツジ(五葉つつじ)。

住居は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある東宮御所

略歴

お印に選ばれたゴヨウツツジ

2001年(平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王同妃雅子の間に、東京都千代田区宮内庁病院で出生。同日、祖父である天皇から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)とが贈られる「賜剣の儀」が行われた[1][2]。刀身は約25センチで全長約40センチ。同年12月7日、「浴湯の儀」「命名の儀」「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から愛子と命名され、敬宮の称号を受けた。名と称号の由来は

孟子』「仁者は人をし、礼ある者は人をふ。人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬ふ者は人恒に之を敬ふ」[3]

に拠る。皇太子同妃、そして学者[4]が相談して内定し、天皇も皇太子・同妃の意向を尊重して命名した[5][6]。浴湯の儀に伴って行われる「読書鳴弦」の儀式では、元学習院大学児玉幸多により、『日本書紀』から推古天皇に関する部分が読まれている[7]。お印のゴヨウツツジ那須御用邸でも5月に咲く花で、、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた[8]

幼時には、両親(皇太子同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた[9]

国民の祝賀も盛り上がり、お祝いの記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。誕生翌日の2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子西田ひかるなどの芸能人、毛利衛長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳三唱、日の丸小旗を振るなどして祝意を表した[10][11]

2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区こどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ[12]

2006年(平成18年)4月11日学習院幼稚園に入園。同年8月、皇太子徳仁親王・同妃雅子のオランダ旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した[13]

同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに天皇から贈られたものである。この頃には自転車の練習なども始めている[14]

2008年(平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報道された[15]

2010年(平成22年)2月下旬から風邪のため欠席しがちだった[16]が、同年3月5日になって野村一成(当時の東宮大夫)が、3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席したと発表し、大きな波紋を呼んだ(詳細は愛子内親王不登校騒動[17][18][19][20]

2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った[21][22]

2012年(平成24年)には5年生となり、管弦楽部、バスケットボール部などで練習に励み、学習院女子大学で開かれる英会話セミナーにも通い出したと報道された[23]。恒例の那須御用邸での夏休みには、出迎えた400人の観衆に笑顔で手を振り晴れやかな印象を与えた[24]

2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、同年4月に学習院女子中等科に入学[25][26]。同年7月15日に昭和天皇香淳皇后武蔵野陵を初めて参拝し[27]、また、7月30日に伊勢神宮を初めて参拝した[28]。この時、皇太子一家を宇治山田駅前や沿道で約5千人が出迎え歓声を送った。同年8月3日、全国高等学校総合体育大会を一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した[29]

同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、御所の天皇皇后両陛下を初めて一人であいさつのため訪問した。春からはテニスを始めている。授業の科目数も増え、勉強にスポーツに忙しい日々を過ごす[30]

2015年(平成27年)戦後70年の節目の夏には、初めて戦争の企画展示(昭和館 東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた[31][32][33]

内親王をめぐって

待望久しかった皇太子の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。出産翌日には皇居前広場で祝賀の「国民の集い」が行われ、約2万5000人もの人々が集まった。皇居に記帳所がもうけられ、また赤坂では提灯行列が行われた。出産翌日に対面した今上天皇は「非常に元気そうですね」という感想をのべられた[34]

しかし、その後メディアに露出することを控えたため、発達の遅れがあるのではないか等といった噂・憶測が、2004年(平成16年)頃に海外メディアを中心に流れ[35]、一部の国内週刊誌にもとりあげられた[36][37]。この状況を受け、同年6月の定例会見にて林田英樹東宮大夫は、ただちに「事実無根で不本意」と否定[38]宮内庁は同年9月にスナップ写真や徳仁親王が東宮御所内で撮影したビデオを公開し、事態の収束につとめた。ビデオの中には皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた[39]

学習院幼稚園に入園してからは、運動会の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビに公開されている[40]。その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、敬宮愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。2013年(平成25年)においては、学習院初等科での成績は学年でのトップクラスと伝えられている[41]

1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王誕生以降、長く皇室に男子が誕生しなかったため皇室典範見直しの機運が高まり、皇太子に女子が誕生したこともまたこれを後押しした。そのため、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、「皇室典範に関する有識者会議」において敬宮愛子内親王の即位を念頭においた女性女系天皇の可能性が検討された(皇位継承問題[42]。その後、2006年(平成18年)9月6日、秋篠宮妃紀子が皇室で41年ぶりの男子・悠仁親王を出産したことで、典範見直しの動きは止まった[43][44]

愛子内親王にちなむ花

プリンセスアイコ

誕生後、3種類のバラが愛子内親王にちなんで名づけられた。京成バラ園芸のピンク色のフロリバンダ「プリンセスアイコ」、岐阜県園芸特産振興会のクリーム色の花「ハイネス愛」、フランスのメイアン作成の純白のハイブリッド・ティー「ロイヤル・プリンセス」である[45]。また、河野メリクロンのシンビジウム「シンビジウム愛子さま」も同様に名付けられた花である。[46]

逸話

  • 幼少期の趣味の一つは大相撲の観戦。力士四股名だけでなく下の名前や出身地も暗記して覚えており、父である皇太子徳仁親王が「とてもかなわない」と述べている[47]2006年(平成18年)の初場所でテレビ観戦中に徳仁親王が敬宮愛子内親王に旭天鵬玉乃島戦について話を向けると、地位について何も話していないのに愛子内親王は「小結同士」と答えたという。力士の出身地にも詳しく、愛知万博を訪問する父の徳仁親王が「愛知県に行く」と話すと「琴光喜関の出身地の愛知県」と答えた。2006年(平成18年)9月10日、両国国技館にて両親と共に初めて秋場所を観戦し[48]、「夢じゃなかったのかしら」と述べたという。2007年(平成19年)9月22日の大相撲秋場所14日目にも皇太子夫妻と共に観戦に訪れ、星取表に白星・黒星を書きこむなど熱心に観戦した。
  • また2009年(平成21年)の2009 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を契機に、野球にも興味を持つようになり[49][50]、選手では内川聖一がお気に入りという[50]2009年(平成21年)7月12日にはプロ野球公式戦のデーゲーム、ヤクルト - 横浜戦(神宮球場)を皇太子夫妻と共に観戦した。
  • 幼児の時より東宮御所で飼われている犬や猫を可愛がっている[51][40]。誕生日会見などでも一緒に写ることがある[52][53]
  • 運動神経が良く、運動会では度々リレーの選手に選ばれている[54]2013年(平成25年)の6年生の時には校内の遠泳行事に参加、運動会では組体操に参加した[55][56]
  • 書道をたしなんでおり、宮内庁職員文化祭に力強い書を出品した[57][58]
  • 学習院初等科の4年生の時にクラブ活動として管弦楽部に入部[59]チェロを担当し熱心に練習している[60][61][62][63]
  • 2012年(平成24年)4月、5年生時に運動のクラブ活動として、バスケットボール部に入部を決めた。はじめは野球部入りも考えたが、女子が少なかったため、女子の団体競技としてバスケットを選択したという[64]
  • 2013年(平成25年)1月、冬休みに学習院初等科の同級生と3泊4日で、皇太子夫妻と離れて長野県奥志賀高原スキー場スキー合宿に出かけ、仲間と共にレッスンを受けた[65]。3月下旬にも同県に一家でスキーに訪れ、練習の成果もあり上級者向けコースに挑戦した。同年4月5日、宮内庁は敬宮愛子内親王の春休みのスキー映像と写真を公開した[66][67]
  • 2014年(平成26年)、中学生になってからはテニスに関心を持ち、赤坂御用地で皇太子夫妻や宮内庁職員とプレーを楽しむこともある[68]
  • 2015年(平成27年)2月に学校で行われた百人一首大会では、40枚ほどの札を取って圧勝するなど、日本の伝統文化にも親しんでいる[69]

呼称

父・徳仁親王は誕生後の会見以来「愛子」と呼んでおり[9][70]。平成15年時点では、徳仁親王は「愛子」、記者は「敬宮さま」としている。今上天皇・皇后美智子は「敬宮」としていた[71]が、2006年(平成18年)以降は同様に「愛子」と呼んでいる[72]

マスコミ報道においても当初は御称号が用いられていた[70]が、のちに「愛子さま」へ転じ[73]、「愛子さま」という呼称が国民の間にも広く定着している[74]

敬宮愛子内親王自身の学校生活においては「敬宮愛子」の名が用いられているという[74]

宮内庁のウェブサイトでは「敬宮殿下」か「愛子内親王殿下」となっている[75]

系譜

敬宮愛子内親王 父:
徳仁親王(皇太子)
祖父:
今上天皇
曾祖父:
昭和天皇
曾祖母:
香淳皇后
祖母:
美智子(皇后)
曾祖父:
正田英三郎
曾祖母:
正田富美子
母:
雅子(皇太子妃)
祖父:
小和田恆
曾祖父:
小和田毅夫
曾祖母:
小和田静
祖母:
小和田優美子
曾祖父:
江頭豊
曾祖母:
江頭寿々子

脚注

  1. ^ “天皇陛下から赤ちゃんに守り刀と袴 賜剣の儀式”. asahi.com (朝日新聞社). (2001年12月1日). http://www.asahi.com/national/birth/K2001120101387.html 2013年4月15日閲覧。 
  2. ^ (椎谷 2002, pp. 140–143)
  3. ^ 原文:仁者人、有禮者人、愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之
  4. ^ 秋山虔鎌田正米山寅太郎の三名
  5. ^ “お名前は「敬宮愛子さま」・命名の儀”. NIKKEI NET (日本経済新聞社). (2001年12月7日). オリジナルの2009年6月3日時点におけるアーカイブ。. http://wayback.archive.org/web/20090603003225/http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt30/20011207DCCI017707030001.html 2013年4月15日閲覧。 
  6. ^ (椎谷 2002, pp. 143–166)
  7. ^ (椎谷 2002, pp. 143–166)
  8. ^ (椎谷 2002, pp. 166–168)
  9. ^ a b 愛子内親王殿下御誕生につき(平成14年)”. 宮内庁 (2002年4月2日). 2013年4月15日閲覧。
  10. ^ 皇太子殿下お誕生日に際し(平成14年)”. 宮内庁 (2002年2月20日). 2013年4月15日閲覧。
  11. ^ (椎谷 2002, pp. 248–264)
  12. ^ “愛子さま4歳”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2005年12月1日). http://www.yomiuri.co.jp/features/impr/birth/ 2013年4月15日閲覧。 
  13. ^ 2006年8月19日 日テレNEWS24オランダ王室の馬車見学で愛子さまが笑顔に
  14. ^ “愛子さま着袴の儀 最近は自転車の練習も”. 日テレNEWS24 (Nippon News Network). (2006年11月11日). http://www.news24.jp/articles/2006/11/11/0770965.html 2013年4月15日閲覧。 
  15. ^ “愛子さま8歳に 文字に興味、習字も”. 日テレNEWS24 (Nippon News Network). (2009年12月1日). http://www.news24.jp/articles/2009/12/01/07148852.html 2013年4月15日閲覧。 
  16. ^ 2010年3月6日 東京新聞「愛子さま登校できず「乱暴な子」見て不安訴え」。記事では、“2月22日から26日の間、25日以外を欠席した”としている。なお、2月27-28日は土日
  17. ^ “愛子さま学校お休みに 同級生の「乱暴なふるまい」で”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年3月5日). オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。. http://wayback.archive.org/web/20101204163714/http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100305/imp1003051541001-n1.htm 2013年4月15日閲覧。 
  18. ^ 2010年3月5日 日テレ24 愛子さま、登校できず 一部の児童が乱暴で
  19. ^ 2010年3月11日 日テレNEWS24 両陛下「十分に配慮を」愛子さま通学問題
  20. ^ 2010年12月1日 日テレNEWS24 愛子さま 9歳に 学校で過ごす時間増える
  21. ^ “【皇室ウイークリー】(206)ブータン国王「明治神宮で陛下の長寿をお祈りした」 20歳眞子さまも宮中晩餐会へ”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). http://sankei.jp.msn.com/life/news/111119/imp11111907010002-n3.htm 2013年4月15日閲覧。 
  22. ^ 2011年12月1日 日テレNEWS24 愛子さま、10歳に 1人での通学増える
  23. ^ 英語教室では「トッシー」校外学習で愛子さま完全復活”. 朝日新聞出版 (2012年6月29日). 2012年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月15日閲覧。
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  26. ^ 2014年4月6日 日テレNEWS24 愛子さま 学習院女子中等科に入学
  27. ^ “愛子さま 昭和天皇の御陵などを初参拝”. 日テレNEWS24 (読売新聞社). (2014年7月15日). http://www.news24.jp/articles/2014/07/15/07255214.html 2014年9月29日閲覧。 
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  29. ^ 2014年8月3日 日テレNEWS24 愛子さま、高校総体の男子バレーを観戦
  30. ^ 2014年12月1日 日テレNEWS24 愛子さま13歳に 初めて一人で皇居訪問
  31. ^ 産経ニュース 愛子さま、14歳のお誕生日
  32. ^ 2015年7月26日 日テレNEWS24 愛子さま、「戦後70年」の特別展へ
  33. ^ 2015年8月23日 日テレNEWS24 皇太子ご夫妻と愛子さま 戦時中の生活展へ
  34. ^ 『おめでとう皇太子さま雅子さま愛子さま』朝日新聞社、2001年(平成13年)発行
  35. ^ 2004年(平成16年)6月9日 Times online Japanese Crown Prince demands palace reform
  36. ^ 『週刊現代』2004年6月26日号「宮内庁が激怒、抗議へ『タイムズ』が報じた愛子内親王に関する心配事」
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  42. ^ 2005年(平成17年)内閣官邸HP 皇室典範に関する有識者会議報告書
  43. ^ 2006年9月6日 日テレNEWS24 典範改正“凍結”女系天皇の必要性も〜首相
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  46. ^ この段落の出典。松崎敏彌(監修) 著、天才工房 編『愛子さま「モノ」語り リトルプリンセスのお気に入り』(初版第1刷)東邦出版、2004年2月、114-115頁。ISBN 4-8094-0353-X 
  47. ^ 皇太子殿下お誕生日に際し(平成18年)”. 宮内庁 (2006年2月21日). 2013年4月15日閲覧。
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  71. ^ 2002年(平成14年)、天皇誕生日記者会見
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  75. ^ 宮内庁ウェブサイト

参考文献

  • 椎谷, 哲夫『敬宮愛子さまご誕生 宮中見聞記』(初版第二刷)明成社、2002年。ISBN 4-944219-10-5 

外部リンク