山田啓二

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山田 啓二
やまだ けいじ
生年月日 (1954-04-05) 1954年4月5日(70歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県洲本市
出身校 東京大学法学部
前職 国家公務員自治省
京都府副知事
所属政党 無所属
公式サイト 山田啓二オフィシャルウェブサイト

京都府の旗 公選第15・16・17・18代 京都府知事
当選回数 4回
在任期間 2002年4月16日 - 現職
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時代祭の行進に参加する山田知事(右)。2009年10月22日撮影。

山田 啓二(やまだ けいじ、1954年4月5日 - )は、日本自治官僚政治家京都府知事(公選第15・16・17・18代)、全国知事会会長(第11代)、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表・「知事・市町村長連合会議」座長、京都舞鶴港振興会会長。

来歴

兵庫県洲本市で生まれ、後に伊丹市東京都杉並区に転居。桐朋高等学校東京大学法学部卒業。1977年4月、自治省(現:総務省)に入省した。本省勤務の他、和歌山県高知県内閣法制局国土庁への出向も経験し、1999年より京都府総務部長。2001年副知事に起用され、京都府副知事を最後に退官した[1]

2002年京都府知事選挙に自民民主公明自由社民保守6党の推薦を受けて無所属で出馬し、日本共産党が推薦し新社会党が支持する弁護士の森川明、前八木町長中川泰宏ら3候補を破って当選。当時48歳で、47都道府県で2番目に若い知事だった。選挙戦では勇退する荒巻禎一前知事の路線を継承しながら地方分権時代にふさわしい京都府政の改革を標榜。また「職員の意識改革」を掲げ、当選後は副知事に麻生純前商工部長、出納長に竹内賢樹前企画環境部長を起用、また佐村知子前総務省大臣官房参事官を副知事に起用し、京都府政史上初の女性副知事を誕生させた。

2004年2月、京都府船井郡丹波町(現京丹波町)で発生した高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)の感染に際し、京都府庁に高病原性鳥インフルエンザ京都府対策本部を設置し、本部長に就任。発生農場から30km以内の養鶏農家等に対する鶏、鶏卵等の移動制限を発動する。約5km離れた別の養鶏場でも感染が確認され、世界で初めてカラスへの感染も判明したが、陸上自衛隊福知山駐屯地)にも出動を要請し防疫措置を講じた。2006年、京都府知事再選。2007年4月より全国知事会地方分権推進特別委員長。2008年3月、前三重県知事北川正恭の提唱により設立された地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合では発起人に名を連ねる。2010年、京都府知事3選。

2011年4月、当時既に次の知事選に出馬しない意向を表明していた麻生渡福岡県知事の後任の全国知事会会長に名乗りを上げ、同じく立候補していた埼玉県上田清司知事を破り、全国知事会会長に選出された。2014年の京都府知事選挙では、自民、民主両党の京都府連から推薦を受け(両党はいずれも党本部による推薦を3期目の候補者までに限っている)、公明党や日本維新の会からも支援を受けて4選。

人物

  • 家族は妻との間に2女。
  • 2004年政治家の年金未納問題が発覚した際、高知県財政課長を務めていた1989年1991年までの2年間の年金保険料の未納を社会保険庁から通告されたが、後に自身の給与記録を提出し、社会保険庁側の記録を訂正させた。
  • 京都府知事就任後、自由民主党京都府連が主宰する「きょうと青年政治大学校」で数回にわたり講師を務めた。
  • 2010年の京都府知事選挙において、自身のマニフェストで「日本で一番厳しい「児童ポルノ規制条例」の制定」を掲げた。同時期に東京都青少年健全育成条例の改正が石原都政下で議論されていたため、表現規制や単純所持規制を懸念する声が寄せられた[2]

年譜

脚注

外部リンク

公職
先代
荒巻禎一
京都府の旗 京都府知事
公選第15・16・17・18代:2002年 -
次代
(現職)