宇部伊佐専用道路

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私道
ロゴ
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宇部・美祢高速道路
宇部興産専用道路
路線延長 31.94km
開通年 1972年(部分供用)
起点 山口県宇部市
終点 山口県美祢市
接続する
主な道路
記法
記事参照
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
宇部市東須恵付近(美祢方面)(2011年)。2013年以降は右側の2車線が宇部湾岸道路 東須恵ICのランプに転用されている。
宇部市船木付近(宇部方面)(2011年)。
美祢市伊佐町付近(2013年)。

宇部興産専用道路(うべこうさんせんようどうろ)は、山口県宇部市から同県美祢市に至るUBE(旧:宇部興産)の専用道路。正式名称は、宇部・美祢高速道路(うべ・みねこうそくどうろ)[1][2]。全長31.94 kmに及ぶ、日本一長い私道である[2]

1967年昭和42年)着工、1972年(昭和47年)から部分供用され、1975年(昭和50年)に興産大橋を除く区間が全通。1982年(昭和57年)の興産大橋開通により現在のルートが完成した。

概要

美祢市伊佐町伊佐のUBE三菱セメント(2022年3月末までは、旧:宇部興産・建設資材カンパニー)伊佐セメント工場から、宇部市大字小串の同社宇部セメント工場までを結び、伊佐石灰石鉱山で採掘した石灰石と、伊佐セメント工場でつくったセメントの半製品クリンカーを、専用トレーラーで運搬している[2]。同社が所有する敷地(工場構内)にある道路(私道)という位置づけのため、道路交通法道路運送法道路運送車両法など法令の適用は受けない[2]

後述のように、かつてこれらの輸送には日本国有鉄道(現在のJR西日本美祢線貨物列車を利用していたが、昭和中期から後期にかけての国鉄の度重なる貨物運賃値上げや、労働組合運動激化によるストライキスト権ストなど)の頻発により、拠点間輸送の効率化と安定化の必要に迫られた結果として、道路が建設された経緯がある。

完全に一般の交通とは隔離された私有地のため、公道に適用される道路交通法などの制限は受けないが、専用道路内を運転するには、私有地の所有者である同社の許可が必要である。作業者は社内審査と講習を受けて、運転資格を取得する事が義務付けられており、制限速度70 km/hを始めとする社内ルールが細部まで厳格に設定され、そのルールを破った場合は運転許可を取り消される場合がある[3]

経路の途中では中国自動車道と並行して走り、涼木峠(美祢市伊佐町堀越 - 伊佐間)の下を唯一のトンネルである伊佐隧道で貫き、国道2号山陽新幹線と立体交差し、宇部港の宇部セメント工場まで続いている[2]。宇部港では、橋長1,020 mの興産大橋で海を渡る[2]。大半の区間が片側2車線で、トンネル内など一部片側1車線の区間が混在するが、宇部市東須恵では宇部湾岸道路 東須恵ICランプに転用するため、一部区間が片側2車線から同1車線に削減されている。

宇部市大字小串の沖の山地区(沖の山コールセンターと宇部興産機械本社前のそば、北緯33度56分32.6秒 東経131度13分47.7秒)で一般車両が通行可能な構内道路と平面交差しており、交通遮断と一般車両の誤進入防止のために、鉄道用の踏切警報機と遮断機が設けられている。この踏切は、過去に『ダウトをさがせR』(TBS系列)や『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日系列)などのテレビ番組で紹介されたこともある。

使用車両

現在は、1台のトラックトラクター)が44トン積みトレーラーを2両連結して牽引するダブルストレーラー[4]が運用されている[5][注釈 1][注釈 2]。 トラクターには、興産大橋に存在する6%の上り坂でのゼロ発進に対応可能なトルクと、120tのトレーラーを時速70kmで牽引可能なパワーが要求される[6]が、走行範囲には公道が含まれないため、道路運送車両法・同保安基準への適合は要求されず、国内で一般市販されている車両よりも高出力の輸出用エンジンを搭載した車両や、海外市場向け車両が充当される。 公道を走行しないことからナンバープレートは付かない[2]が、運行会社・メーカー区分用の番号票が取り付けられており、トラクターは約8年・走行150万kmサイクルで車両更新される。

使用車両一覧

興産大橋

興産大橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 山口県宇部市
交差物件 宇部港厚東川
建設 宇部興産宇部鉄工所富士車輌JV
座標 北緯33度56分31.7秒 東経131度12分48.8秒 / 北緯33.942139度 東経131.213556度 / 33.942139; 131.213556
構造諸元
形式 2+3径間連続鋼トラス橋
全長 1,020m
18m
高さ 36m
最大支間長 200m
地図
宇部伊佐専用道路の位置(山口県内)
宇部伊佐専用道路
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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興産大橋(こうさんおおはし)は、宇部市大字小串と同市大字西沖の山の間の宇部港内(厚東川河口)を跨ぐ橋として、1982年昭和57年)3月に開通。設計施工建材製造の全てを、当時の宇部興産とその子会社・関連会社が行なったものである。これが可能となった背景には、当時の宇部興産本体及び関連会社の富士車輌が鋼構造物工事の建設業許可を持ち、鋼橋の製作を手がけていたこと[注釈 3]や子会社に建設コンサルタント(宇部興産コンサルタント)が存在したことによるところが大きい。

運河の航路を確保するために36mの桁下高が必要であった一方、橋の起終点が人工島(海底炭田跡)で標高が低いことから、橋の中央部に向かって6%の急勾配となっている。

当時、上部工工事の宇部興産宇部鉄工所・富士車輌共同企業体の代表責任者を務めた元宇部興産専務の藤野清の回顧[7]によれば、宇部港沖の海苔漁場に影響を与えずに建設する必要があったため、基礎杭の鋼管重量6,400t、上部構造の重量10,000tという巨大な橋梁を一括架橋するという手法が採用された。

橋梁は4つの部分に分けて工場で製作し、本州四国連絡橋の架橋用に建造された世界最大級(3,000トン)のフローティングクレーン船「武蔵」で吊り上げて宇部港まで運搬。橋台に設置する作業は長岡技術科学大学教授(当時)の笹戸松二の監修の下で、横河工事(現・横河ブリッジ)と日本鋼管(現JFEエンジニアリング)の共同企業体の協力により行われた。これら一連の工事は、21ヶ月間で無事故のうちに完工したという[7]

興産大橋は、1982年(昭和57年)に日本鋼構造協会の業績賞を受賞、翌1983年(昭和58年)には民間企業発注の橋としては初めて土木学会田中賞を受賞している。

起終点等

宇部興産専用道路全体の空中写真。
2013年2月28日撮影の150枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
  • 陸上距離:31.94km
  • 起点:宇部市大字小串1978-2 宇部興産宇部セメント工場
  • 終点:美祢市伊佐町伊佐4768 宇部興産伊佐セメント工場

通過する自治体

交差・接続している道路

下記はすべて立体交差。ただし、※印の箇所にはランプゲート(通常は閉鎖)があり、一般道と接続している。

専用道路開通前の輸送状況

専用道路開通前までは、伊佐工場 - 美祢駅間に自ら建設した貨物専用線を介して、美祢駅(美祢線) - 宇部港駅宇部線)間で、当時の宇部興産の石炭・石灰石輸送が実施されていた。最盛期には宇部港駅と美祢駅の貨物取扱量が年間約770万t(1978年度)に上り、当時の日本一であったが、専用道路の供用とともに輸送量は減少し1998年、同区間での鉄道による石灰石輸送は終了した[注釈 4]

この輸送ルートにあたる宇部駅 - 厚狭駅山陽本線)間には、この区間での平面交差を避ける目的で単線の別線が設けられていたが、後に別線部分は廃線となっている。

輸送目的以外での使用

宇部・美祢・山陽小野田産業観光推進協議会が実施する「産業観光バスツアー」では、当道路をテーマとしたガイドツアーが随時実施されている。

1994年平成6年)に開催された広島アジア競技大会では、この道路を使用して自転車のロードレース競技が行われた。道路脇にある「宇部興産専用道路」の看板はこのとき設置されたものである。(撤去済み2022/11/18確認)

フィクション作品での使用

映画『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』では主人公たちが興産大橋を走行する場面がみられた。

内田康夫推理小説『汚れちまった道』(浅見光彦シリーズ)では、主人公・浅見光彦が宇部から美祢までの短絡ルートとして、山口県警から特別許可を得て興産道路を利用する描写があった。

脚注

注釈

  1. ^ 日本の道路交通法・道路運送車両法では、公道におけるフルトレーラーの連結全長は18m(保安基準緩和と特殊車両通行許可によって25m)、被牽引車は1台までと規定されているが、私道である宇部興産専用道路には適用されないため、18m以上の複数連結トレーラが通行している。
  2. ^ 日本に於いては宇部興産専用道路でのみ見られる形態である。かつてはトリプルストレーラーの運行も行われていた。
  3. ^ 宇部興産本体の鋼構造物をはじめとする機械・エンジニアリング部門は、後に事業分割により子会社の宇部興産機械に承継されている。富士車輌は2001年民事再生手続開始申立により宇部興産傘下を離脱し、再建過程で鋼橋事業からも撤退した。
  4. ^ 同時に中国電力三隅発電所との間で炭酸カルシウム・フライアッシュの双方向輸送を開始している。なおこれは2014年に廃止された。

出典

  1. ^ 2007年版CSRレポート (PDF) p. 55
  2. ^ a b c d e f g 浅井建爾 2015, p. 30.
  3. ^ 宇部興産. “宇部興産専用道路”. 2020年8月18日閲覧。
  4. ^ トラクタの第五輪でセミトレーラを牽引し、セミトレーラに取り付けられた連結器でドリー付きセミトレーラを牽引する。日本国内に於いては、ダブルストレーラーの公道走行は認められていない。
  5. ^ 宇部興産. “地域コミュミケーション誌「翼」 No.4”. 2016年2月24日閲覧。
  6. ^ a b SCANIAに託された、宇部興産ダブルストレーラーの未来”. スカニアジャパン (2016年4月8日). 2020年8月18日閲覧。
  7. ^ a b “ポスコの発展の原点”. 日経BP. (2009年5月28日). https://xtech.nikkei.com/dm/article/COLUMN/20090528/170909/ 

参考文献

  • 浅井建爾『日本の道路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2015年10月10日。ISBN 978-4-534-05318-3 

関連項目

外部リンク