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堀之内聖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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堀之内 聖
名前
愛称 ホリ
カタカナ ホリノウチ サトシ
ラテン文字 HORINOUCHI Satoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-10-26) 1979年10月26日(44歳)
出身地 埼玉県浦和市 (現:さいたま市)
身長 178cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム 横浜FC
ポジション DF
背番号 24
利き足 右足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

堀之内 聖(ほりのうち さとし、1979年10月26日 -)は、プロサッカー選手。ポジションはDFMF。主にセンターバックとボランチをこなす。妻は元シェキドル荒井沙紀

人物・来歴

  • 元々のポジションはボランチだが、プロに入ってDFにコンバートされ、その才能を開花させた。
  • 高校のサッカー部2年後輩にTBSアナウンサーの蓮見孝之(GKだった)、大学の同期に優木まおみ、大学のサッカー部2年後輩に岩政大樹がいる。
  • 2002年加入、同期の坪井慶介平川忠亮が新人ながらも主力選手として活躍していく中、自身はサテライト暮らしが続いていたが、当時のサテライトコーチの柱谷哲二の下で地道にトレーニングを続けた。これが実を結び、2004年田中マルクス闘莉王アテネ五輪出場で不在だった際にリベロを任され、2ndステージのスタートダッシュに大きく貢献、徐々に出場機会を伸ばしていった。
  • 2005年も闘莉王が故障、出場停止時の代役が主だったが、シーズン終盤にネネ内舘秀樹が相次いで故障したため、3バックのレギュラーポジションを獲得した。そして天皇杯では準々決勝でダメ押しゴール、決勝で先制点を挙げるなど大活躍し、Jリーグ開幕後初の天皇杯優勝に大きく貢献した。
  • 2006年は開幕から坪井慶介、闘莉王と共に3バックを構築した。終盤に負傷で離脱してしまったが、初のリーグ優勝に貢献した。その後、2007年2008年もレギュラーDFとして活躍。
  • 2009年からは出場試合数は減ったもののリード時に途中出場し、元来のポジションであるボランチでプレーする機会が多くなった。また、チーム事情からJ1第29節、対新潟戦で本人曰く、「大学選抜以来」という右サイドバックで先発出場した。
  • 2010年も前年と同様に主に途中出場でボランチでプレーしているが、チーム事情によってセンターバックでプレーすることもあり、負傷者が多発した終盤戦はスタメン出場することも多かった。また、J1第7節、対川崎戦でリーグ戦では2007年以来となるゴールも記録した。
  • 2011年は前年の12月25日に行われた天皇杯準々決勝、対ガンバ大阪戦で右膝を痛めたことが影響し始動から出遅れ、またシーズン中も腰を痛めるなど故障に苛まれ、リーグ戦5試合、ナビスコカップ1試合にベンチ入りしたのみに留まり、公式戦に1試合も出場すること無くシーズンを終え、12月7日、クラブから来季の契約を更新しない事が発表された[1]
  • 2012年横浜FCへ完全移籍[2]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2002 浦和 29 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 20 6 0 2 0 0 0 8 0
2004 9 0 3 0 3 0 15 0
2005 23 3 9 0 5 2 37 5
2006 28 1 8 1 3 0 39 2
2007 19 2 2 0 0 0 21 2
2008 28 0 6 0 2 1 36 1
2009 15 0 5 0 1 0 21 0
2010 20 1 4 0 3 0 27 1
2011 0 0 0 0 0 0 0 0
2012 横浜FC 24 J2 -
通算 日本 J1 148 7 39 1 17 3 204 11
日本 J2 -
総通算 148 7 39 1 17 3 204 11

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2007 浦和 20 7 0
2008 3 0
通算 AFC 10 0

その他の国際公式戦

経歴・タイトル

代表歴

脚注

外部リンク