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堀之内 聖(ほりのうち さとし、1979年10月26日 -)は、プロサッカー選手。ポジションはDF、MF。主にセンターバックとボランチをこなす。妻は元シェキドルの荒井沙紀。
人物・来歴
- 元々のポジションはボランチだが、プロに入ってDFにコンバートされ、その才能を開花させた。
- 高校のサッカー部2年後輩にTBSアナウンサーの蓮見孝之(GKだった)、大学の同期に優木まおみ、大学のサッカー部2年後輩に岩政大樹がいる。
- 2002年加入、同期の坪井慶介や平川忠亮が新人ながらも主力選手として活躍していく中、自身はサテライト暮らしが続いていたが、当時のサテライトコーチの柱谷哲二の下で地道にトレーニングを続けた。これが実を結び、2004年、田中マルクス闘莉王がアテネ五輪出場で不在だった際にリベロを任され、2ndステージのスタートダッシュに大きく貢献、徐々に出場機会を伸ばしていった。
- 2005年も闘莉王が故障、出場停止時の代役が主だったが、シーズン終盤にネネ、内舘秀樹が相次いで故障したため、3バックのレギュラーポジションを獲得した。そして天皇杯では準々決勝でダメ押しゴール、決勝で先制点を挙げるなど大活躍し、Jリーグ開幕後初の天皇杯優勝に大きく貢献した。
- 2006年は開幕から坪井慶介、闘莉王と共に3バックを構築した。終盤に負傷で離脱してしまったが、初のリーグ優勝に貢献した。その後、2007年、2008年もレギュラーDFとして活躍。
- 2009年からは出場試合数は減ったもののリード時に途中出場し、元来のポジションであるボランチでプレーする機会が多くなった。また、チーム事情からJ1第29節、対新潟戦で本人曰く、「大学選抜以来」という右サイドバックで先発出場した。
- 2010年も前年と同様に主に途中出場でボランチでプレーしているが、チーム事情によってセンターバックでプレーすることもあり、負傷者が多発した終盤戦はスタメン出場することも多かった。また、J1第7節、対川崎戦でリーグ戦では2007年以来となるゴールも記録した。
- 2011年は前年の12月25日に行われた天皇杯準々決勝、対ガンバ大阪戦で右膝を痛めたことが影響し始動から出遅れ、またシーズン中も腰を痛めるなど故障に苛まれ、リーグ戦5試合、ナビスコカップ1試合にベンチ入りしたのみに留まり、公式戦に1試合も出場すること無くシーズンを終え、12月7日、クラブから来季の契約を更新しない事が発表された[1]。
- 2012年、横浜FCへ完全移籍[2]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
ナビスコ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2002 |
浦和 |
29 |
J1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2003 |
20 |
6 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
8 |
0
|
2004 |
9 |
0 |
3 |
0 |
3 |
0 |
15 |
0
|
2005 |
23 |
3 |
9 |
0 |
5 |
2 |
37 |
5
|
2006 |
28 |
1 |
8 |
1 |
3 |
0 |
39 |
2
|
2007 |
19 |
2 |
2 |
0 |
0 |
0 |
21 |
2
|
2008 |
28 |
0 |
6 |
0 |
2 |
1 |
36 |
1
|
2009 |
15 |
0 |
5 |
0 |
1 |
0 |
21 |
0
|
2010 |
20 |
1 |
4 |
0 |
3 |
0 |
27 |
1
|
2011 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2012 |
横浜FC |
24 |
J2 |
|
|
- |
|
|
|
|
通算 |
日本 |
J1
|
148 |
7 |
39 |
1 |
17 |
3 |
204 |
11
|
日本 |
J2
|
|
|
- |
|
|
|
|
総通算
|
148 |
7 |
39 |
1 |
17 |
3 |
204 |
11
|
その他の公式戦
その他の国際公式戦
経歴・タイトル
代表歴
脚注
外部リンク