加藤巳一郎
かとう みいちろう 加藤巳一郎 | |
---|---|
生誕 |
1917年1月23日 日本 愛知県名古屋市 |
死没 | 1995年6月2日(78歳没) |
出身校 | 早稲田大学専門部政治経済科 |
職業 | 実業家 |
栄誉 | 勲一等瑞宝章(1988年) |
加藤 巳一郎(かとう みいちろう、1917年1月23日[1] - 1995年6月2日)は、日本の実業家。中日新聞社会長、及び中日ドラゴンズオーナー。愛知県名古屋市出身。
経歴・人物
旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)を経て[2]、1938年に早稲田大学専門部政治経済科卒業。同年に新愛知新聞社(のちに戦時下による新聞社の統合により、中部日本新聞社となり、1971年には中日新聞社となる)に入社し、太平洋戦争時には、取材記者を3年間した上で、販売部門を中心に同社の販売網の整備と育成に心血を注いだ[3]。
1959年には取締役に就任し、常務、専務、東京代表での歴任を経て、1973年から社長に就任し[3]、1987年からは会長に就任した[3]。生涯現役をモットーに、積極的かつ現実な経営姿勢で中日新聞を全国有数の日刊紙に育て上げ、販売の神様として「東の務台、西の加藤」と業界では評されていた[4]。
その一方で、1981年から中日ドラゴンズのオーナーを務めてプロ野球の発展に尽力し、1977年から日本新聞協会理事、1988年から横綱審議委員会を歴任した[5]。
また、1979年から中部日本放送の取締役に就任し、1989年からは同社の取締役相談役に就任した[4]
1995年6月2日に急性心不全のために名古屋市内の病院で死去[3]。享年78歳。
数十回に及んで中国へ訪問しており、そのために要人との交流も多かったので、中国通として知られていた[3]。