伊藤光
オリックス・バファローズ #22 | |
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2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県岡崎市 |
生年月日 | 1989年4月23日(35歳) |
身長 体重 |
180 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2007年 高校生ドラフト3巡目 |
初出場 | 2008年9月13日 |
年俸 | 1,800万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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伊藤 光(いとう ひかる、1989年4月23日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(捕手)。
来歴・人物
プロ入り前
愛知県岡崎市出身。小学生時代に「岡崎リトルリーグ」で投手兼内野手として野球を始め、中学ではボーイズリーグ「東名古屋スターズ」で捕手を務めた。
明徳義塾高校に進学後は2年春からベンチ入りし、春季打点王で高知県選抜に選ばれ、日米親善試合、台湾遠征試合を経験した。3年夏は高知大会決勝で高知高校に敗れ準優勝。高校通算13本塁打[1]。
2007年の高校生ドラフトでオリックス・バファローズから3巡目指名を受け入団。
プロ入り後
2008年はウエスタン・リーグで打率.192、打席数の4分の1以上の三振を喫し、守備でもチームワーストの捕逸数を記録するなどプロの洗礼を受けたが捕手登録の選手ではチーム最多の43試合、捕手として40試合に出場。9月11日に一軍へ昇格し、同13日の北海道日本ハムファイターズ戦で初出場を果たすなど、高卒新人捕手としては多くのチャンスを与えられた。なお、ウエスタン・リーグ公式戦では本塁打はなかったが交流戦では2本塁打を放った。
2009年はキャンプ、オープン戦と一軍に帯同していたが開幕前に二軍降格。4月14日に神戸市内の病院で椎間板ヘルニアの除去手術を受けた。2週間は安静にし、約3カ月後の実戦復帰を目指したが、結局この年は一、二軍での出場はなかった。これについて大石大二郎監督は「半々くらいは(一軍に)置いておこうかと思っていたが、故障は仕方ない」とコメントした。またこの後遺症として左足のふくらはぎの筋力が落ち、バッティングで踏ん張れないなどの不具合に苦しむこととなる[2]。
2010年は前年の怪我から実戦復帰し、2軍で復帰後初ヒットを打った際には号泣したという[3]。シーズン終盤には2年ぶりに1軍昇格し、2試合先発マスクを被った。オフには朴賛浩の入団により、背番号61を譲ったため54に変更となった。
2011年は将来の正捕手候補として岡田彰布監督からキャンプから積極的に起用され[4]、自身初の開幕スタメンマスクを被った。途中、成績不振やリード面での懲罰的な理由で2度の二軍降格があったものの、夏場に再昇格を果たすと金子千尋とのバッテリーを任されるなど先発捕手として出場する機会が増えていった[5]。しかし、9月11日の西武戦で中村剛也との本塁クロスプレーで右手人差し指を骨折して全治1か月半と診断され残りシーズンを棒に振った。結果、打撃では打率.156 三振57と課題を残したものの最終的には自己最多の66試合出場を果たし、規定打席不足ながら盗塁阻止率はチームトップの.318と、随所で強肩を発揮した。また、開幕第2戦で寺原隼人の3年半ぶりの完封勝利や西勇輝のプロ入り初勝利に貢献したことから、一軍での試合では、全て彼らとバッテリーを組んでいた。
プレースタイル
遠投120メートルの強肩に加え、50メートル6秒フラットの俊足[6]を兼ね備えた捕手。打撃では強打[7]を持っていると期待されながらも、三振数の多さと低打率などで課題を残す。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | オリックス | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
2010 | 2 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2011 | 66 | 188 | 160 | 15 | 25 | 7 | 0 | 2 | 38 | 11 | 3 | 2 | 14 | 1 | 11 | 0 | 2 | 57 | 0 | .156 | .218 | .238 | .456 | |
通算:3年 | 69 | 192 | 164 | 15 | 25 | 7 | 0 | 2 | 38 | 11 | 3 | 2 | 14 | 1 | 11 | 0 | 2 | 58 | 0 | .152 | .213 | .232 | .445 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2008年9月13日、対北海道日本ハムファイターズ20回戦(札幌ドーム)、7回裏に日高剛に代わり捕手として出場
- 初先発出場:2010年9月28日、対北海道日本ハムファイターズ24回戦(京セラドーム大阪)、8番・捕手として先発出場
- 初打席:同上、3回裏に武田勝から三ゴロ
- 初安打:2011年4月13日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(京セラドーム大阪)、3回裏にD.J.ホールトンから右前安打
- 初盗塁:2011年4月17日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(阪神甲子園球場)、5回表1死に二盗(投手:戸村健次、捕手:井野卓)
- 初打点:2011年4月20日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(ほっともっとフィールド神戸)、2回裏にブライアン・ウルフから三塁ゴロ失策で記録
- 初本塁打:2011年5月25日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、9回表に松井光介から左越ソロ
背番号
- 61 (2008年 - 2010年)
- 54 (2011年)
- 22 (2012年 - )
登場曲
- 三代目J Soul Brothers「Go my way」(2012年‐)
脚注
- ^ 1年時は対外試合禁止で記録なし。
- ^ 読売新聞夕刊紙2011年1月27~29日 光さす方へ Bs伊藤の闘い
- ^ 涙|TRAINING ROOM 84
- ^ オリ3年目伊藤が正妻候補!岡田監督期待日刊スポーツ2010年11月17日
- ^ オリックス・伊藤、1軍昇格で再起!
- ^ オリックス 伊藤光が大手術でなめた辛酸
- ^ 『プロ野球選手データ名鑑2011』宝島社、雑誌66086-81、84ページ
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 【伊藤光 (オリックス・バファローズ)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト