ミレニアム打線

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ミレニアム打線(みれにあむだせん)とは、2000年シーズンの読売ジャイアンツ打線の名称である。命名者は当時の巨人軍監督で現在は同球団 の終身名誉監督である長嶋茂雄。その年がミレニアム(新千年紀)と呼ばれていたことにちなんで命名された。

概要[編集]

2000年の巨人は、前年まで当時のワーストタイ記録である3年連続V逸中で、ファンなどから優勝が課題とされていた。そんな中、主力バッターの松井秀喜は前年まで主に三番打者で活躍していたため、シーズンを通して四番打者を務めたことが無かった。しかし、前年オフの契約更改後の記者会見にて「2000年からは自分が四番を打ちたい」と決意表明。球団も自らの故障で出場機会を失っていた広澤克実、守備・走塁に難があり故障が多かった石井浩郎を放出する一方、西武ライオンズからドミンゴ・マルティネスを、守備に難があるものの長打力に加え走力もある江藤智FA広島東洋カープから獲得し、松井、高橋由伸清原和博を擁する打線をさらに強化した。V逸戦犯扱いされていた清原は心身共に肉体改造を行い、マルティネスとのレギュラー争いに備えた。

なお、この年は福岡ダイエーホークスからFAで工藤公康阪神タイガースを自由契約になったダレル・メイ、石井とのトレードで千葉ロッテマリーンズ河本育之を獲得するなど投手陣の補強も積極的に行っている。

シーズンに入ると打線は期待通りの破壊力を見せ、チーム本塁打は球団初の200本を超え、9月24日に本拠地東京ドーム最終戦であった対中日ドラゴンズ27回戦、9回裏4-0のビハインドから江藤の満塁ホームラン(チーム200号)と二岡智宏サヨナラホームランで一気に5点を奪い逆転勝ちするという劇的な勝利で4年ぶりの優勝を飾った(このリーグ優勝はミレニアムVと呼ばれている)なお、チーム本塁打記録は最終的に203本まで伸ばした。

その後、最初で最後となったダイエー・王貞治監督と長嶋監督の対決である「日本シリーズON対決」も制し、6年ぶりの日本一を達成した。松井は全試合四番打者で出場を果たし本塁打、打点の二冠を達成すると共に、シーズンMVPと日本シリーズMVPも獲得するという活躍ぶりだった。巨人は20世紀最後の覇者となり、文字通り千年紀を飾るシーズンとなった。

布陣[編集]

2000年[編集]

太字はリーグトップ

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 仁志敏久 .298 20 58 11 ゴールデングラブ賞(二)
2 清水隆行 .271 11 46 11
3 江藤智 .256 32 91 7 最多勝利打点ベストナイン(三)、シーズン終盤は主に6番
4 松井秀喜 .316 42 108 5 シーズンMVP本塁打王打点王最高出塁率ベストナイン(外)、ゴールデングラブ賞(外)、日本シリーズMVP
5 ドミンゴ・マルティネス .288 17 64 0 主にシーズン前半
清原和博 .296 16 54 0 主にシーズン後半
6 高橋由伸 .289 27 74 5 ゴールデングラブ賞(外)、シーズン終盤は主に3番
7 二岡智宏 .265 10 32 9
8 村田真一 .204 7 34 0
村田善則 .268 3 13 0 主に工藤公康高橋尚成先発時にスタメン
9
控え選手
守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁
三/遊/左 元木大介 .274 5 29 0
一/左 後藤孝志 .269 6 17 0
川相昌弘 .190 0 4 0
  • 開幕当初は江藤が3番、高橋由が5番、マルティネスが6番を打っていたが、5月から高橋由とマルティネスの打順が入れ替わった。その後、7月からはマルティネスに代わって清原が5番一塁に入り、8月終わりからは江藤と高橋由が入れ替わったオーダーが主体となる。
  • 元木は相手先発が左投手のときの2番左翼や、二岡不調時の7番遊撃に入ることが多かったが、江藤の欠場に伴い3番三塁で出場した試合もあった。

2001年[編集]

太字はリーグトップ

打順 守備 選手 打席 打率 本塁打 打点 盗塁 備考
1 仁志敏久 .273 20 59 20 ゴールデングラブ賞(二)
2 清水隆行 .324 7 29 8
3 高橋由伸 .302 27 85 3 ゴールデングラブ賞(外)
4 松井秀喜 .333 36 104 3 首位打者ベストナイン(外)、ゴールデングラブ賞(外)
5 清原和博 .298 29 121 0
6 江藤智 .285 30 87 9 ベストナイン(三)
7 元木大介 .292 9 39 3
二岡智宏 .233 5 23 10
8 阿部慎之助 .225 13 44 3
9
  • 捕手の打力向上も目指し、トレードで吉永幸一郎を獲得し、ドラフトでは阿部慎之助を逆指名で獲得した。結局正捕手の座についたのは阿部慎之助である。
  • 連覇が期待されたこのシーズンは投手陣が振るわず2位で終わった。
  • 長嶋監督が勇退、後任に原辰徳が就任。2002年の打線をレインボー打線と名付けた。

関連項目[編集]