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ボイス・オブ・アメリカ

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ボイス・オブ・アメリカ
形態 国際公共放送局
アメリカ合衆国
所有者 アメリカ合衆国連邦政府
系列 ワールド・レディオ・ネットワーク
公式サイト www.voanews.com
ボイス・オブ・アメリカ
The Voice of America(VOA)
運営 アメリカ合衆国連邦政府
設立 1942年2月24日
在籍国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
外部リンク voanews.com (英語)
デレノ英語版にある中継所(2007年10月閉鎖)
ワシントンにある本部

ボイス・オブ・アメリカThe Voice of America 略称:VOA)は、アメリカ合衆国政府(USIA:合衆国情報庁。CIAではない。1998年の省庁統合により国務省に吸収された)が公式に運営する国営放送である。

国際的な放送でよく知られている放送局の1つである。Voice of America を略して「VOA」と呼び、日本語などでの呼称は「アメリカの声」である。本項では、原則として「ボイス・オブ・アメリカ」という呼称を用いる。

歴史

初期(1942年 - 1947年)

ヨーロッパ及び西アフリカ占領した当時のドイツ日本軍南太平洋を占領した当時の日本に向けたニュースプログラムを放送するため戦争情報室(en:Office of War Information)の下で1942年に設立された。

1942年2月24日に放送を開始。送信機CBS及びNBCによって使用された短波送信機からVOAラジオを送信した。このラジオ局は1947年2月17日に当時のソビエト連邦(現:ロシア)へラジオ放送の送信を始めた。

冷戦時代(1948年 - 1992年)

冷戦の間、VOAは合衆国情報庁(U.S. Information Agency)の下で運営された。1980年代に、VOAはテレビジョンサービス、同じくキューバラジオ・マルティ(Radio Martí)及びテレビ・マルティ(TV Martí)へ特別な地域プログラムも加わった。 

インターネット時代(1992年 - 現在)

VOAは英語2000年よりインターネット上で放送を行っている。

IBB放送活動、VOA以外

VOAは専門的な聴取者に向けた幾つかのプログラムを放送している:

各言語版及びプログラム

ボイス・オブ・アメリカは、英語母語としない人々に向け、平易な語彙と文法を用いた上で、通常の3分の2の速さでアナウンサーが語るスペシャル・イングリッシュという英語放送がある。これを含め、現在50前後の言語で放送されている。短波放送で受信可能であり、インターネットでは、ボイス・オブ・アメリカの公式サイトでのインターネットラジオをはじめ、ポッドキャストYouTubeなどでビデオ放送などがいずれも無料でダウンロードすることができる。また、日本では有線放送でも放送されている。

2010年1月現在、放送されている主な言語は以下の通りである。

ニュースにおいては、アメリカ国内のみならず、国外の話題を含め、24時間体制で最新のニュースを提供している。アメリカの歴史文化音楽などの特集番組も定期的に放送される。

日本語放送

沖縄にあったVOA奥間送信所

日本語放送は、1970年2月28日をもって廃止された。

元来、ボイス・オブ・アメリカの日本語放送は当時の日本へのプロパガンダの要素を有していた。1941年太平洋戦争が勃発し、翌1942年2月24日に日本語放送はドイツ語放送とともに開始された。日系アメリカ人二世であるフランク・正三・馬場の指揮により、戦争の動きなどを詳細に伝えたり、空襲予告などの放送も行った。1944年12月25日からは、サイパン島のKSAIからの中波放送も開始された。日本はジャミングに苦慮した。その後、太平洋戦争の終了によってその目的が達成されたため、直後に日本語放送は一旦廃止された。

戦後、1951年に日本語放送が再開され(これと同時に全国統一のテレビ放送も行われようとしていた。正力マイクロ波事件。)、アメリカの国内情勢や話題などを放送した。短波放送や当時アメリカ統治下にあった沖縄からの中波中継や、在京民放局への番組提供も行ったが、アメリカ東部時間の夜、すなわち日本時間早朝に1日1回しか放送されなかったことでリスナーが非常に少なかったため、前述した通り1970年2月28日をもってボイス・オブ・アメリカの日本語放送は幕を閉じた。

また、日本にはもう十分に世界から情報が行き渡っており、わざわざアメリカから情報発信の必要性はないとVOAが判断したことも日本語放送廃止の理由の一つであった[1]

1972年沖縄返還に伴い沖縄の中継局も日本から移転したが、その際の費用も沖縄返還密約により日本側が負担している。

アル・フッラ

  • アルジャジーラに対抗した衛星放送(「フッラ」は「自由なるもの」の意)であった。ただし、アラブ諸国の民衆からは全く支持されず、失敗に終わっている。

脚注

  1. ^ 石井清司『日本の放送をつくった男 フランク馬場物語』毎日新聞社(原著1998年10月30日)、204頁頁。ISBN 4-620-31247-9 

関連項目

外部リンク