ブライアン・レーン

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ブライアン・レーン (Brian Lane) は、イギリスの音楽業界の関係者。マネージメント業を主に行っており、かつてイエスエイジアなどのバンドのマネージメントを行っていたことで知られている。マネージメント事務所 SunArts 社長。

概要

イエスリック・ウェイクマンエマーソン・レイク・アンド・パウエルバグルスエイジアGTRイット・バイツなど、数多くのバンド/グループのマネージャーを務めた事で知られている。また、ABWH(アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ)のライブ・アルバム「イエス・ミュージックの夜」ではプロデューサーも務めている。

1970年半ば、イエスの初代マネージャーであるロイ・フリン(Roy Flynn)に代って2代目のマネージャーに就任。1971年1月からのイギリスとヨーロッパ・ツアーを初め、数々のステージの手配/レコーディングの手配/その他各種マネージメントをこなし、イエスの人気と知名度の拡大に貢献した。ちなみに、この交代には契約上のトラブルが絡んでいると伝えられているが、詳細は不明。

スティーヴ・ハウスティーヴ・ハケットと引き合わせてGTR結成に寄与するなど、いわゆる「仕掛け人」、「企画屋」としての側面も有している。 1979年、イエスからジョン・アンダーソンリック・ウェイクマンが脱退した際に、バグルズの2人を後任として参加させたのも、ブライアン・レーンの采配(どちらのバンドも彼がマネージャーをしていた為)であり、エイジアの結成、アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウの結成、1989年の8人組のイエスの編成にも彼がまとめ役を担っていた。1983年にエイジアからジョン・ウェットンを解雇した際に、後任としてグレッグ・レイクを招集したのも彼の采配である。2016年に始動したアンダーソン・ラビン・ウェイクマンの結成にも寄与し、同バンドのマネージメントをしている。

なお、エマーソン・レイク・アンド・パウエルに引き続いて、3のマネージメントも担当している。各バンドのアルバムのライナーノーツによれば、当初はエイジアにいたカール・パーマーのマネージャーだった縁で、キース・エマーソンロバート・ベリーのマネージメントも手がけるようになったとされている。

ブライアン・レーンは1976年にはリック・ウェイクマン、ジョン・ウェットンビル・ブルーフォードの3人によるスーパー・トリオの結成を企画したが、レコード会社との契約の問題などがあって、リハーサルだけで終わってしまう。この時にジョン・ウェットンはブライアン・レーンの女性秘書と知り合い、後に結婚している。(その後に離婚)

GTRの市販ビデオ「Making of GTR」(日本未発売)ではインタビューに答えている彼の姿を見ることができ、ABWHの市販ビデオ「イン・ザ・ビッグ・ドリーム」でも彼の姿を確認できる。