トム・シボドー
無所属 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1958年1月17日(66歳) |
出身地 | コネチカット州ニューブリテン |
キャリア情報 | |
出身 | セイラム州立大学 ( コネチカット州) |
指導者経歴 | |
1981-1984 1984-1985 1985-1989 1989-1991 1992-1994 1994-1996 1996-2003 2003-2007 2007-2010 2010-2015 |
セイラム州立大学(AC) セイラム州立大学 ハーバード大学(AC) ミネソタ・ティンバーウルブズ(AC) サンアントニオ・スパーズ(AC) フィラデルフィア・76ers(AC) ニューヨーク・ニックス(AC) ヒューストン・ロケッツ(AC) ボストン・セルティックス(AC) シカゴ・ブルズ |
受賞歴 | |
アシスタントコーチ
ヘッドコーチ
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トム・シボドー(Thomas Joseph Thibodeau, Jr.、1958年1月17日 - 発音θɪ́bədoʊ(米国英語);[1][2])はアメリカ合衆国コネチカット州ニューブリテン出身のバスケットボール指導者。2014-2015シーズンまでNBAのシカゴ・ブルズのヘッドコーチを務めていた。2008年、ボストン・セルティックスで、ドック・リバースヘッドコーチの下で、ディフェンス担当のアシスタントコーチとしてチャンピオンメンバーとなった。シカゴ・ブルズのヘッドコーチに就任した最初のシーズンに62勝の好成績を残し、NBA最優秀監督賞を受賞し、翌2012年にはNBA史上最も若くして100勝を達成している。
経歴
大学
アシスタントコーチ
- 1989年、シボドーのNBAのキャリアは、リーグ拡大に伴い新設されたミネソタ・ティンバーウルブズでビル・マッセルマンのもとでアシスタントコーチを務めることによって始まった。
- 1991年から1年間はシアトル・スーパーソニックスでスカウトを担当した後、1992年、サンアントニオ・スパーズに移り、2年間ジョン・ルーカスらのもとでアシスタントコーチを務めた。1994年からの2シーズンは、ルーカスとともにフィラデルフィア・セブンティシクサーズに移籍し、アシスタントコーチを務めた。
- 1995年にニューヨーク・ニックスに移りジェフ・ヴァン・ガンディのもとでアシスタントコーチを務めた。
- その後、2003年にジェフ・ヴァン・ガンディと後にシャーロット・ボブキャッツのヘッドコーチとなる当時アシスタントコーチだったスティーブ・クリフォードとともにともにヒューストン・ロケッツに移籍し、ディフェンス担当アシスタントコーチとして活動し、その成果として、2004年から2007年の間、ロケッツがリーグのディフェンス効率トップ5内を維持することに貢献している[3] 。当時の主力選手にはヤオ・ミン、トレーシー・マグレディらがいた。
- 2007年ボストン・セルティックスに移籍し[4]ドック・リバースの下でアシスタントコーチを務め、そのシーズンにはポール・ピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレン、レイジョン・ロンドらを擁するセルティックスのNBA優勝に貢献した。
ヘッドコーチ
- 2010年、シカゴ・ブルズのヘッドコーチに就任し、最初のシーズンは62勝20敗という好成績を残し、コーチ・オブ・ザ・イヤーに選出された[5] 。カンファレンスファイナルでは惜しくもマイアミ・ヒートに敗れている。
- 次の2011-2012年シーズンには、NBA史上最速での100勝に到達し[6]、ロックアウトで66試合と短縮されたシーズンにもかかわらず50勝し(リーグでもスパーズとブルズのみ50勝)、プレーオフ第1シードを得た。しかし1回戦でデリック・ローズが左膝の前十字靭帯の断裂により離脱し、フィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗れた。
- 2012-2013シーズンはローズの全休により苦戦したが、過去にブルズでのキャリアが豊富なベテランポイントガードのカーク・ハインリックを獲得し、2シーズンで作り上げてきたチームディフェンスを武器に善戦し、45勝37敗でイースタン・カンファレンス5位の成績でプレーオフに臨んだ。1stラウンドはニュージャージー・ネッツを下したが、カンファレンスセミファイナルでヒートに敗れシーズンを終了した。
- 2013-2014シーズンは、デリック・ローズの序盤での再度の故障による離脱で苦戦するが、補強選手のD.J.オーガスティン、マイク・ダンリービー・ジュニア、や従来メンバーのジョアキム・ノアらのチームバランスのとれた活躍で、48勝34敗の成績で、イースタン・カンファレンス4位でプレーオフに進出した。
- 2014-2015シーズンは、デリック・ローズが復帰し、パウ・ガソルが加入し、50勝32敗の成績で、5年連続でプレーオフに進出し、1stラウンドはミルウォーキー・バックスを4勝2敗で退けたが、セミファイナルはレブロン・ジェームスか5年振りに復帰したクリーブランド・キャバリアーズに2勝4敗で屈した。ブルズで通算255勝155敗(勝率.622)の好成績を残したものの、2015年5月に解雇が報じられた[7]。
実績
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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CHI | 2010–11 | 82 | 62 | 20 | .756 | 1st in Central | 16 | 9 | 7 | .563 | Conf.決勝敗退 |
CHI | 2011–12 | 66 | 50 | 16 | .758 | 1st in Central | 6 | 2 | 4 | .333 | 1st.ラウンド敗退 |
CHI | 2012–13 | 82 | 45 | 37 | .549 | 2nd in Central | 12 | 5 | 7 | .417 | Conf.準決勝敗退 |
CHI | 2013–14 | 82 | 48 | 34 | .585 | 2nd in Central | 5 | 1 | 4 | .200 | 1st.ラウンド敗退 |
CHI | 2014–15 | 82 | 50 | 32 | .610 | 2nd in Central | 12 | 6 | 6 | .500 | Conf.準決勝敗退 |
394 | 255 | 139 | .647 | 51 | 23 | 28 | .451 |
脚注
- ^ Eric Zorn, What the H? How 'Thibs' says his last name, Chicago Tribune, March 21, 2011.
- ^ http://ejje.weblio.jp/content/Thibodeau
- ^ Tom Thibodeau – Associate Head Coach, Celtics.com(英語)
- ^ Celtics add coach, The Boston Globe, August 30, 2007.(英語)
- ^ “Thibodeau named 18th head coach in franchise history”. NBA.com. Turner Sports Interactive, Inc (2010年6月23日). 2010年6月23日閲覧。(英語)
- ^ “Tom Thibodeau fastest to 100 wins as Bulls unload on Magic”. ESPN.com. (2012年3月19日)(英語)
- ^ “Bulls fire coach Thibodeau after five seasons”. NBA.com (2015年5月28日). 2015年5月29日閲覧。
外部リンク
- NBA.com コーチプロフィール (英語)