サッカーカメルーン代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Syota-17 (会話 | 投稿記録) による 2016年1月4日 (月) 13:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

サッカーカメルーン代表
国または地域 カメルーンの旗 カメルーン
協会 カメルーンサッカー連盟
愛称 Lions Indomptables
監督 未定
最多出場選手 リゴベール・ソング(137試合)
最多得点選手 サミュエル・エトオ(56得点)
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
初の国際試合 1960年4月13日ソマリア
9-2
最大差勝利試合 1960年4月13日ソマリア
9-2
最大差敗戦試合 1997年3月9日コスタリカ
0-5
FIFAワールドカップ
出場回数 7回(初出場は1982
最高成績 ベスト8 (1990)
アフリカネイションズカップ
出場回数 17回
最高成績 優勝 (4回)

サッカーカメルーン代表: Cameroon national football team, : Équipe du Cameroun de football)は、カメルーンサッカー連盟により構成されるカメルーンサッカーのナショナルチーム。

歴史・概要

愛称は「不屈のライオン」(Les Lions indomptables)。2000年のシドニーオリンピックでは金メダルを獲得するなど、アフリカを代表する強豪国である。オリンピックや世代別の代表では好成績を収めることが多く、ヨーロッパにも多くの優秀な選手を輩出している。一方、ワールドカップなどの主要な大会ではトラブルが起きることが多く、「金銭面のトラブル」、「選手と監督の対立」、などで、渡航日が大幅に遅れたり、チームが1つになれずに惨敗を喫することも多い。

ワールドカップ

1982スペイン大会

初出場の大会で、グループリーグ2戦を終えた時点でいずれもスコアレスドローだったものの、4チームが2引分で並んだため、最終戦となるイタリア戦に決勝トーナメント進出がかかっていたが、1-1で引き分け、最終戦でペルーに5-1と大勝したポーランドと、同じく3引分ながら2得点を挙げていたイタリアを上回れず3位でグループリーグ敗退となった。

1990イタリア大会

2大会ぶりの出場となったが、開幕戦で前回優勝チームのアルゼンチンと対戦し、61分と89分に退場者を出しながらも1-0で勝利、大金星を挙げて世界を驚かせたのみならず、続くルーマニア戦では、当時のカメルーン大統領ポール・ビヤからの直接の要請を受けて現役復帰した英雄ロジェ・ミラが2ゴールを挙げ連勝、3戦目、1988欧州選手権準優勝のソビエト戦では0-4と大敗したものの結局グループB1位で決勝トーナメントに進出。ベスト16のコロンビア戦は延長にもつれ込むが、再びミラが2得点を挙げ2-1で勝利。準々決勝では、一旦イングランドを2-1でリードしながらも、PKをゲーリー・リネカーに決められ2試合連続の延長戦となり、延長で再びリネカーにゴールを決められ2-3で敗れるが、アフリカ勢としては初のベスト8入りを達成。アフリカ史上唯一となる1大会での3勝を記録している。「カメルーン旋風」は大会の話題のひとつとして記憶され、ナイジェリアガーナコートジボワールといった西アフリカ勢の躍進を先導する出来事となった。

1994アメリカ大会

グループリーグ初戦でスウェーデンと2-2で引き分けるも、2戦目のブラジルに0-3で敗れ、3戦目のロシア戦では、当時42歳だったロジェ・ミラがワールドカップ最高齢選手によるゴール(2014年現在も最高齢記録)を記録しながらも1-6と大敗し、1分2敗のグループ最下位で大会を終えた。

1998フランス大会

サミュエル・エトーが同大会の全参加選手中最年少となる17歳3か月で代表に選ばれ注目されたが、初戦のオーストリア戦、3戦目のチリ戦にいずれも1-1で引き分けたものの、2戦目のイタリア戦で0-3で敗れたことが響き、前回大会に続いて1分2敗で最下位となりグループリーグ敗退となった。

2002日韓大会

4大会連続の出場となり、日本では、1997-1998年シーズンまでガンバ大阪に所属していたパトリック・エムボマが代表に選ばれたという点でも注目されていた。大分県中津江村(当時:現在の日田市中津江村)をキャンプ地としていたが、到着が遅れたことでカメルーン代表は中津江村とともに日本で一躍有名になった。この時の村民への恩義もあり、日本で試合を行なった際に同じ大分県で2002 FIFAワールドカップの会場でもあった大分市九州石油ドームを使用した。また、2010年の南アフリカ大会で日本とカメルーンが対戦した際も、旧中津江村では住民がカメルーンを応援するなど、今でも互いに親しい関係にある。
グループリーグでは、初戦アイルランドに1-1で引き分け、続くサウジアラビア戦に1-0で勝利し、2試合終了時点で1勝1分、得失点差でドイツに次ぐ2位となっていたが、最終戦のドイツ戦に0-2で敗れ、サウジアラビアに3-0で勝利したアイルランドに逆転され3位、3大会ぶりの決勝トーナメント進出を逃した。

2010南アフリカ大会

グループリーグ・E組に入ったカメルーン代表は日本と初戦に対戦し、0-1で敗れた。続くデンマークとの対戦では1-2と逆転負け。これにより1戦を残し、グループリーグ敗退が決定した。最終戦もオランダに1-2で破れ、3連敗で南アフリカを後にした。

2014ブラジル大会

開催国・ブラジルと同じグループAに入り、同年6月1日に行われた親善試合では優勝候補の一角ドイツに2-2で引き分けるなどしていたものの[1]、同月8日、カメルーンの首都ヤウンデからブラジルに移動する直前になって、選手たちがカメルーンサッカー連盟の提示するボーナスが希望に満たない額であることを理由に飛行機への搭乗を拒否[2]、交渉がまとまったため翌9日には出発したものの[3]、同月13日の初戦メキシコ戦ではオリベ・ペラルタのゴールで0-1で敗戦、続く同月18日のクロアチア戦では、エースのサミュエル・エトーが右膝痛により欠場、さらに先制点を許した後の前半40分にアレクサンドル・ソングがボールに無関係な場所でのマリオ・マンジュキッチに対する肘打ちで一発退場、10人となった後半に3点を許し0-4で敗れ2連敗を喫し、グループリーグ最終戦のブラジル戦を残しグループリーグ敗退が決まった[4]。3戦目のブラジル戦では、17分にネイマールに先制ゴールを許し、26分に今大会チーム初ゴールとなるJ・マティプのゴールで一旦同点に追いつくものの、34分再びネイマールのゴールで突き放され、後半にもフレッジフェルナンジーニョにゴールを許し1-4で敗戦[5]、2大会連続のグループリーグ3連敗を喫し、2002年大会グループリーグ最終戦ドイツ戦での敗戦から通算してワールドカップ本大会7連敗となった。

成績

FIFAワールドカップ

  • 1978 - 予選敗退
  • 1982 - グループリーグ敗退
  • 1986 - 予選敗退
  • 1990 - ベスト8
  • 1994 - グループリーグ敗退
  • 1998 - グループリーグ敗退
  • 2002 - グループリーグ敗退
  • 2006 - 予選敗退 (ヤウンデの悲劇)
  • 2010 - グループリーグ敗退
  • 2014 - グループリーグ敗退


FIFAコンフェデレーションズカップ

(出場した大会のみ表記)

  • 2001 - グループリーグ敗退
  • 2003 - 準優勝

2003年大会では代表選手の一人、マルク=ヴィヴィアン・フォエが試合中に急死するという出来事があった。

アフリカネイションズカップ

出場:17回
優勝:4回
開催国 / 年 成績 開催国 / 年 成績 開催国 / 年 成績
スーダンの旗 1957 不参加 ガーナの旗1978 予選敗退 ブルキナファソの旗 1998 4位
エジプトの旗 1959 不参加 ナイジェリアの旗 1980 予選敗退 ガーナの旗ナイジェリアの旗 2000 優勝
エチオピアの旗 1962 不参加 リビアの旗 1982 グループリーグ敗退 マリ共和国の旗 2002 優勝
ガーナの旗 1963 不参加 コートジボワールの旗 1984 優勝 チュニジアの旗 2004 ベスト8
チュニジアの旗 1965 不参加 エジプトの旗1986 準優勝 エジプトの旗 2006 ベスト8
エチオピアの旗 1968 予選敗退 モロッコの旗 1988 優勝 ガーナの旗 2008 準優勝
スーダンの旗 1970 グループリーグ敗退 アルジェリアの旗 1990 グループリーグ敗退 アンゴラの旗 2010 ベスト8
カメルーンの旗 1972 3位 セネガルの旗 1992 4位 ガボンの旗赤道ギニアの旗 2012 予選敗退
エジプトの旗 1974 予選敗退 チュニジアの旗 1994 予選敗退 南アフリカ共和国の旗2013 予選敗退
エチオピアの旗 1976 予選敗退 南アフリカ共和国の旗 1996 グループリーグ敗退 赤道ギニアの旗2015 グループリーグ敗退

歴代監督

歴代選手

GK

DF

MF

FW

外部リンク

脚注