ピエール・ウェボ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ピエール・ウェボ Football pictogram.svg
PierreWebo.jpg
名前
本名 Pierre Achille Webó Kouamo
ピエール・アチール・ウェボ・クアモ
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
生年月日 1982年1月20日(32歳)
出身地 カメルーンの旗 バフーサム
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 フェネルバフチェSK
ポジション FW
背番号 9
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000
2000-2002
2003
2003-2007
2007-2011
2011-2013
2013-
ガンビアの旗 R・バンジュール
ウルグアイの旗 ナシオナル
スペインの旗 レガネス
スペインの旗 オサスナ
スペインの旗 マヨルカ
トルコの旗 イスタンブルBB
トルコの旗 フェネルバフチェSK
0 (0)
21 (15)
7 (0)
114 (20)
113 (27)
55 (24)
5 (3)
代表歴2
2003- カメルーンの旗 カメルーン 54 (18)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年3月22日現在。
2. 2014年5月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ピエール・アチール・ウェボ・クアモPierre Achille Webó Kouamo, 1982年1月20日)は、カメルーンバフーサム出身の同国代表サッカー選手トルコ・シュペルリガフェネルバフチェSK所属。ポジションはFW

CAオサスナRCDエスパニョールに所属したウェボは、スペイン1部の舞台で8シーズンに渡りプレーし、227試合48得点を記録した。(スペインでは、他に下部のCDレガネスでプレーしていた。)

カメルーン代表としては2000年代から登場し、アフリカネイションズカップ2回と2010 FIFAワールドカップでプレーした。

経歴[編集]

クラブ[編集]

初期[編集]

マヨルカでのウェボ

西部州バフーサムに生まれたウェボは、ウルグアイナシオナル・モンテビデオでプロキャリアを始め、3年の在籍で2度リーグ戦で優勝した。最後の3年目は特にチームにとって重要な選手となり、2002年のコパ・スダメリカーナで得点王に輝いた[1]

2003年1月にヨーロッパへ移動し、マドリード郊外にある2部CDレガネスと契約した。

CAオサスナ[編集]

2003年夏にCAオサスナに移籍し、それから3シーズン目に6得点を挙げた。そのシーズンはリーグで4位になりUEFAチャンピオンズリーグ 2006-07の予選3回戦出場権を獲得するが、ハンブルガーSVに敗れたため本選出場は叶わなかった。2006年夏にはマラリアの治療のためにプレシーズンを棒に振った[2]が、2006-07シーズンは昨シーズンと同じ31試合に出場した。UEFAチャンピオンズリーグで敗退したことにより出場したUEFAカップ2006-07英語版では準決勝まで勝ち進んだ。ウェボ個人としては、決勝トーナメント2回戦のレンジャーズFC戦セカンドレグで勝ち抜けを決める決勝点を挙げ[3]、準々決勝バイエル・レバークーゼン戦ファーストレグでは途中出場してすぐにチップキックでゴールを奪う活躍を見せた[4]。準決勝のセビージャFC戦ではセカンドレグ終盤にポストを叩くヘディングシュートを放ったものの、得点はならず敗退[5]。この大会で9試合2得点を記録した。

RCDマヨルカ[編集]

2007年、ディエゴ・トリスタンマキシ・ロペスの退団からストライカー獲得を迫られていたRCDマヨルカに移籍した。すぐさまチームに適応したが、シーズン開幕早々に右足第5中足骨を骨折して全治3ヶ月の怪我を負った[6]ことで1年目の出場機会は僅かなものだったが5得点を挙げた。翌シーズンになると得点王を獲得したダニエル・グイサが去ったことで、主に途中出場だったものの出場機会が増え(33試合中24試合が途中出場)、2008年9月28日のラシン・サンタンデール戦で決勝点を挙げるなど5得点を挙げた。2009-10シーズンはチーム2位タイの6得点を決め、チームは5位でUEFAヨーロッパリーグ 2010-11プレーオフの出場権を獲得した。スペイン1部での8シーズンは先発出場と途中出場がちょうど半々くらいであるが、毎シーズン安定して5点前後を決めている[7]。また、ヘディングシュートを得意としており、2007-08シーズンはリーグ戦での4得点中4点を、2008-09シーズンは5得点中2点を、2010-11シーズンは11得点中6点をヘディングで決めている[8]

2010-11シーズンは降格寸前の苦しいシーズンだったが、ウェボ個人としてはアリツ・アドゥリスが去ったこともあり、今までの控えの状況から一変してレギュラーの座を掴み、キャリア最高の11得点を挙げた。残留に一役買ったこもありシーズン終了後に契約を3年延長したが、8月に入ると個人的な理由から退団を望んだ[9]

トルコ[編集]

当初は、トルコカイセリスポルへ移籍金125万ユーロで加入濃厚だった[10]が、最終的にイスタンブルBB英語版に入団。2011年9月11日の開幕戦・ガラタサライSK戦(2-0)でデビューした[11]

2013年1月31日に同じイスタンブルを本拠とする強豪フェネルバフチェSKに移籍金300万ユーロ・3年契約で加入[12]シヴァスポル英語版戦でデビューし、初得点を決めたがホームで1-2と敗れた。3月7日のUEFAヨーロッパリーグ 2012-13ベスト16ヴィクトリア・プルゼニとの第1戦で唯一の得点を挙げ、勝利に貢献した[13]

代表[編集]

2003年11月にカメルーン代表に初招集された。2006 FIFAワールドカップ・アフリカ予選コートジボワール戦でハットトリックを決めて勝利したが、順位はコートジボワールにあと一歩及ばず、本大会には出場できなかった。また、同年のアフリカネイションズカップ2006に初出場した。

2009年8月12日、ウィーンで行なわれたオーストリアとの親善試合では前半のみの出場だったが2得点した。2009年7月にポール・ル・グエン監督が就任してから重用されるようになり[14]2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選の最終予選で6試合中5試合に出場し、本大会進出が懸かった最終節のモロッコ戦で先制点を決めた[15]。予選終了後の親善試合・ケニア戦(アウェー)でも得点した。アフリカネイションズカップ2010では格下相手に先制点を与える試合が続き、準々決勝で敗退した[16]

2010年5月、2010 FIFAワールドカップに出場するカメルーン代表メンバー23人に選出され[17]、大会開幕直前の6月1日に行われたポルトガル戦では1-3で敗れたもののチーム唯一の得点を決め、6月5日に行われたセルビア戦ではヘディングで2得点する[18]など好調さを見せていたことから、グループリーグ初戦の日本戦と次のデンマーク戦に先発出場するも得点を挙げることは出来ず、最終的にチームはグループリーグ最下位で敗退した。

エピソード[編集]

2008年9月のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で、デポルティーボのチームDJのウェボに纏わる発言が話題となった。チームDJは「いこうぜ、マヨルカはウェボ1人のみ、デポルは20のウエボがある」とアナウンスしたのだが、スペイン語でウエボとは卵の意で、俗語では睾丸を意味する。このウェボとウエボを掛けた発言に悪意はなかったものの、審判記録に記載された。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ
ウルグアイの旗 ナシオナル・モンテビデオ
トルコの旗 フェネルバフチェSK
個人
コパ・スダメリカーナ得点王 2002

脚注[編集]

外部リンク[編集]