イギー・ポップ
Iggy Pop | |
---|---|
Pinkpop(1987年) | |
基本情報 | |
出生名 | James Newell Osterberg, Jr. |
生誕 |
1947年4月21日(77歳) アメリカ合衆国 ミシガン州デトロイト |
ジャンル | ハードロック、プロト・パンク、パンク・ロック、ガレージロック、グラムロック |
職業 | シンガーソングライター、音楽家、プロデューサー、俳優 |
担当楽器 | ボーカル、ギター、キーボ-ド、ドラム |
活動期間 | 1963年 - 現在 |
レーベル | ヴァージン、RCA、A&M、アリスタ、エレクトラ |
共同作業者 | ザ・ストゥージズ、ザ・トロールズ、ザ・イグアナズ |
公式サイト | www.iggypop.com |
イギー・ポップ(Iggy Pop, 1947年4月21日 - )は、アメリカのパンク・ロック歌手。 ミシガン州マスキーゴン生まれ。本名、ジェームズ・ニューエル・オスターバーグ・ジュニア(James Newell Osterberg, Jr.)
バイオグラフィー
生い立ち
ミシガン州マスキーゴンにて、同州ディアボーンに位置するフォードソン・ハイスクールにて、英語の教師と野球のコーチをしていた父、ジェームス・オスターバーグと母、ルーラ・クリステンセンの間に生まれる。父のジェームスはイギリス及びアイルランド系移民の子であり、移住した際、同地域に多いスウェーデン系移民の姓に改姓したという。また母のルーラはノルウェーとデンマークからの移民の子にあたる。
ミュージシャンとして
1960年代、ミシガン州アン・アーバーのハイスクール在学中に、ザ・イグアナズなるバンドを結成する。ドラマーから出発し、1967年にはザ・ストゥージズ(「バカの集まり」を意味する)を結成。ボーカリストとなる。1969年、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退したばかりのジョン・ケイルのプロデュースで、デビュー・アルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』を発表。荒削りなギターと衝動的なボーカルは、当時のサイケデリック・サウンドへのアンチテーゼであり、MC5と共にパンク・ロックの先駆けとなった。ストゥージス時代のデビュー・アルバム、2nd『ファン・ハウス』(1970年)、ベーシストが脱退したためギタリストのロン・アシュトンがベーシストに転向し、新たなギタリスト、ジェームズ・ウィリアムソンを迎え、全曲ウィリアムソンが作曲し、デヴィッド・ボウイがミキシングした3rd『ロー・パワー』(1973年)(旧邦題:淫力魔人)の3枚は、パンク・ロックの名盤として多くのアーティストに影響を与え続けている。またイギーは、ステージ上で嘔吐したり、ナイフで己の体を切り刻んだり、裸でガラス破片の上を転げ回って救急車で搬送されるといった奇行を繰り返し、過激で暴力的なロック・ミュージシャンとして悪名を馳せる。しかし、1974年にメンバーの薬物中毒などで、バンドの活動は中止に追い込まれた。
その後1977年、デヴィッド・ボウイのプロデュース・作曲でソロ活動を始動、見事に再起を果たす。特に、ボウイプロデュースの2枚目『ラスト・フォー・ライフ』のタイトルトラックは、1996年に映画「トレインスポッティング」のオープニングに(5分以上カットなしで)使用され、大きく再評価された。
オーストラリアのバンド、ジェットが2003年にリリースした「アー・ユー・ゴナ・ビー・マイ・ガール」がイギーの楽曲「ラスト・フォー・ライフ」と酷似しているとして、ローリング・ストーン誌の「クレイジーなほど似ている曲トップ20」で1位に選ばれている[1]。2008年にはジェットと共にジョニー・オキーフの「ワイルド・ワン」をコラボレーションした[2]。
その後も、タンジェリン・ドリームのクラウス・クリーガー(アルバム『ニュー・ヴァリューズ』)、元セックス・ピストルズのグレン・マトロックと元パティ・スミス・グループのアイヴァン・クラール(『ソルジャー』)、スティーヴ・ジョーンズ(『ブラー・ブラー・ブラー』『インスティンクト』『アメリカン・シーザー』)、元MC5(ツアーメンバー)、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュとダフ・マッケイガン(『ブリック・バイ・ブリック』)、ライ・クーダーやジャクソン・ブラウンとのセッションで知られるデヴィッド・リンドレー(『ブリック・バイ・ブリック』)、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ボニー・レイットを手がけたプロデューサーのドン・ワズ(『ブリック・バイ・ブリック』『アベニューB』)など充実したメンバーたちと活動するが、以前ほどの大きな評価は得られることはなかった。
2003年に、ベーシストに元ミニットメンのマイク・ワットを迎え、29年ぶりにストゥージズを再結成し、再びパワフルなサウンド、ステージを展開する。特に、2007年のフジロックグリーンステージでのライブは、熱狂した観客100人以上をイギーがステージに上げてしまい、客にマイクを取られるなどパニック状態になり、ライブが中断するという異様な事態となった。
2009年1月、ザ・ストゥージズのギタリストのロン・アシュトンが心筋梗塞と思われる病因で死去。ミシガン州の自宅で死後数日経っているところを発見された。[3]
2010年、ザ・ストゥージズとして、ロックの殿堂入りを果たす。
影響
パンクのゴッドファーザーという異名を持ち、ライブにおける過激なパフォーマンスは、セックス・ピストルズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、マッドハニーなどにも深い影響を与えた。サウンド面でも、ストゥージス時代の曲はセックス・ピストルズ、ダムド、スレイヤー、デフ・レパード、ガンズ・アンド・ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、サウンドガーデン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ホワイト・ストライプスなどがカバーしている。特にホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトは2ndアルバム『ファン・ハウス』、セックス・ピストルズのジョニー・ロットン、ニルヴァーナのカート・コバーンは3rdアルバム『ロー・パワー』をベストアルバムに挙げている。
ディスコグラフィー
ザ・ストゥージズ
- イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ - The Stooges (1969年)
- ファンハウス - Fun House (1970年)
- The Weirdness (2007年3月)
イギー・アンド・ザ・ストゥージズ
イギー・ポップ・アンド・ジェームズ・ウィリアムソン
イギー・ポップ
- イディオット - The Idiot(1977年)
- ラスト・フォー・ライフ - Lust For Life(1977年)
- ニュー・ヴァリューズ - New Values (1979年)
- ソルジャー - Soldier(1980年)
- パーティ - Party(1981年)
- Zombie Birdhouse(1982年)
- ブラー・ブラー・ブラー - Blah Blah Blah(1986年)
- インスティンクト - Instinct(1988年)
- ブリック・バイ・ブリック - Brick by Brick(1990年)
- アメリカン・シーザー - American Caesar(1993年)
- ノーティー・リトル・ドギー - Naughty Little Doggie(1996年)
- アベニューB - Avenue B(1999年)
- ブチノメセ! - Beat `Em Up(2001年)
- スカル・リング - Skull Ring(2003年)
- プレリミネール - Preliminaires (2009年)
DVD
- キス・マイ・ブラッド(1991年)
- ア・パッション・フォー・リビング(1996年、ドキュメンタリー)
- ライヴ・アット・アヴェニュー・B(1999年)
- イギーポップ&ザ・ストゥージズ ライヴ・イン・デトロイト2003(2003年)
- イギーポップ&ザ・ストゥージス ライブ(エスケープドマニアックス)(2005年、二時間を越えるドキュメンタリーも収録)
関連項目
来日公演
(1998年以降)
- 7月31日 東京ベイサイドスクエア
- 2003年 フジ・ロック・フェスティバル'03
- 7月26日 苗場スキー場
- 2004年 Magic Rock Out
- 3月20日 幕張メッセ
- 2007年 フジ・ロック・フェスティバル'07
- 7月28日 苗場スキー場
脚注
- ^ 「アヴリルだけじゃない!?ファーギーも!?クリソツ・ソング・ランキング発表 1位はJET/イギー・ポップ」 ABC振興会、2007年7月19日。
- ^ 「Jet and the Wild One」 Daily Telegraph、2008年6月28日。
- ^ 「ザ・ストゥージズのギタリスト、亡くなる」 バークス、2009年1月7日。