ライオンお笑いネットワーク

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ライオンお笑いネットワーク
ジャンル 演芸番組
出演者 太平サブロー・シロー
ほか多数
製作
制作 読売テレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
1970年10月から1971年3月まで
放送期間1970年10月 - 1971年3月
放送時間月曜 - 金曜 13:30 - 13:55
放送分25分
1971年4月から1971年12月まで
放送期間1971年4月 - 1971年12月
放送時間月曜 - 金曜 13:45 - 14:00
放送分15分
1972年1月から1972年3月まで
放送期間1972年1月 - 1972年3月
放送時間月曜 - 金曜 13:30 - 14:00
放送分30分
1972年4月から1974年3月まで
放送期間1972年4月 - 1974年3月
放送時間月曜 - 金曜 13:30 - 13:45
放送分15分
1974年4月から1975年3月まで
放送期間1974年4月 - 1975年3月
放送時間月曜 - 金曜 13:30 - 13:55
放送分25分
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ライオンお笑いネットワーク』(ライオンおわらいネットワーク)は、1970年10月5日[1]から1975年3月まで日本テレビ系列局で放送されていた読売テレビ製作の演芸番組である。ライオン油脂とライオン歯磨(現・ライオン)のグループ単独提供。

概要[編集]

大阪・心斎橋筋にあった日立ホール(後に南海ホールを経て心斎橋筋2丁目劇場)で公開録画を行っていた寄席演芸番組。夢路いとし喜味こいし中田ダイマル・ラケット暁伸・ミスハワイ海原千里・万里桂米朝桂文珍笑福亭仁鶴笑福亭鶴光といった上方漫才上方落語の演者たちをメインにした内容で、平日の昼の時間、ゆったり・のんびりと楽しめる寄席演芸番組として、主に主婦層や年配者層をターゲットにしてのオンエアを展開してきた。

1978年10月からはステレオ放送を実施。寄席演芸番組としてはいち早い開始だった。放送時間は原則30分であったが、1980年代後期 - 1990年代前期には60分枠での放送がメインとなり、その際には『お笑いネットワークスペシャル』と題して放送されていた。また、この頃には太平サブロー・シローをレギュラーMCに据え、サブロー・シローを中心とするコミックバンドのコーナーをレギュラー企画として行っていたこともある。

この番組を放送するまでの読売テレビは千日劇場と関係が深く、当時人気のあった道頓堀角座朝日放送が、うめだ花月毎日放送が押さえていた。それゆえに松竹芸能所属の芸人や吉本興業所属の芸人も両局に出る機会が多く、千日劇場もまた関西テレビとの相乗りであったことで、読売テレビの上方お笑い番組は藤山寛美大村崑などを主役に据えた自社制作喜劇を中心に凌いでいた。やがて千日劇場自体が凋落して1969年に閉館の憂き目に遭うことで、読売テレビは演芸番組制作に対する姿勢を見直し、松竹・吉本両プロダクションに食い込んで、両社の芸人を中心にブッキングした貸しホールでの収録番組に注力することに切り替えた。それまでの読売テレビの演芸番組は東京・日本テレビからの『笑点』、『お笑いカラー寄席』、『夜の笑待席』、『東宝名人会中継』など東京演芸ばかりであったものが、この番組の登場でようやく自前の上方演芸番組を持てるようになった。

レギュラー放送の終了後も『お笑いネットワーク』と題し、2000年代に至るまで読売テレビと番販ネット局で不定期放送されていた。しかし、読売テレビと吉本興業が共同製作した演芸特番『ZAIMAN』が1999年12月にスタートしてからは放送頻度が減少。しばらくの間は同特番と並行放送されていたものの、やがて番組収録も放送も行われなくなっていった。

ちなみに、『お笑いネットワーク』への改題当初は読売テレビ本社スタジオで収録を行っていたが、後に大阪近辺の寄席・演芸場や貸ホールで行うようになり、1996年からは大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)内にあるワッハホールで行っていた。

放送時間[編集]

いずれも日本標準時

  • 月曜 - 金曜 13:30 - 13:55 (1970年10月 - 1971年3月)
  • 月曜 - 金曜 13:45 - 14:00 (1971年4月 - 1971年12月) - 放送枠が10分縮小。
  • 月曜 - 金曜 13:30 - 14:00 (1972年1月 - 1972年3月) - 放送枠が15分拡大。
  • 月曜 - 金曜 13:30 - 13:45 (1972年4月 - 1974年3月) - 放送枠が15分縮小。
  • 月曜 - 金曜 13:30 - 13:55 (1974年4月 - 1975年3月) - 放送枠が10分拡大し、元の放送時間に復帰。

参考:『放送学研究 28 日本のテレビ編成 別冊2 午後の時間帯』日本放送出版協会、1981年。 

テーマ曲[編集]

ネット局[編集]

データは全国ネット時代のもので、系列も当時の系列。

放送対象地域 放送局 系列 備考
近畿広域圏 読売テレビ 日本テレビ系列 製作局
北海道 札幌テレビ 1972年3月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
岩手県 テレビ岩手 日本テレビ系列
NETテレビ系列
宮城県 ミヤギテレビ
山形県 山形放送 日本テレビ系列
福島県 福島中央テレビ 日本テレビ系列
NETテレビ系列
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列
石川県 北陸放送[2] TBS系列 1973年11月1日から
14:00 - 14:15の枠にて遅れネット
中京広域圏 中京テレビ 日本テレビ系列 1973年4月から
鳥取県

鳥取県・島根県
日本海テレビ 日本テレビ系列
(NETテレビ系列)[注釈 1]
1972年9月21日までの放送エリアは鳥取県のみで、
かつフジテレビ系列とのクロスネット局
1972年9月22日からは電波相互乗り入れに伴い、島根県でも放送
広島県 広島テレビ 日本テレビ系列
フジテレビ系列
全国ネット時代は途中打ち切り
1970年12月1日時点では平日12:30からの時差ネット
ローカル時代は土曜・日曜などの午後枠で不定期放送
香川県 西日本放送 日本テレビ系列 当時の放送エリアは香川県のみ
福岡県 福岡放送
長崎県 長崎放送 TBS系列 14:00から放送

再放送VTRに関しては、読売テレビのほかにCS放送ファミリー劇場でも視聴できた。

DVD[編集]

2003年にポニーキャニオンから番組の編集版DVDが順次発売された。

放送ライブラリーにおける視聴[編集]

神奈川県横浜市にある放送ライブラリーでは、番組そのものの映像は公開されていないものの、再編集した映像で構成の3時間特番『特選!!思い出の漫才コンビベストテン』(1988年3月26日に読売テレビで放送された後、中京テレビなどで番販ネット)は公開されている。同特番には、駆け出し時代の明石家さんまが兄弟子の五所の家小禄と漫才を演じた1977年当時の映像も含まれている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ NET系には正式に加盟していなかったが、事実上クロスネット編成だった。

出典[編集]

  1. ^ よみうりテレビ開局20周年記念事業企画委員会 編『よみうりテレビの20年 : 写真と証言』読売テレビ放送、1979年7月、135頁。NDLJP:12276016/139 
  2. ^ 『北國新聞』1973年11月1日付朝刊テレビ欄
日本テレビ系列 月曜 - 金曜13:30枠
前番組 番組名 次番組
ミセスのエキスポ
(1970年3月 - 1970年9月)
※13:30 - 13:35
奥さま娯楽室
※13:35 - 13:55
ライオンお笑いネットワーク
(1970年10月 - 1971年3月)
ごちそうさま
(1971年4月 - 1971年12月)
※13:30 - 13:45
【月曜 - 金曜15:00枠から移動】
日本テレビ系列 月曜 - 金曜13:45枠
奥さま娯楽室
※13:35 - 13:55
ライオンお笑いネットワーク
(1970年10月 - 1972年3月)
夕映えの女
(1972年4月3日 - 1972年6月30日)
※13:45 - 14:00
【ここから北日本放送制作ドラマ枠
日本テレビ系列 月曜 - 金曜13:55枠
ライオンお笑いネットワーク
(1971年4月 - 1972年3月)
夕映えの女
(1972年4月3日 - 1972年6月30日)
※13:45 - 14:00
日本テレビ系列 月曜 - 金曜13:30枠
前番組 番組名 次番組
ごちそうさま
(1971年4月 - 1971年12月)
※13:30 - 13:45
【月曜 - 金曜13:00枠へ移動】
ライオンお笑いネットワーク
(1972年1月 - 1975年3月)
愛のサスペンス劇場
(1975年3月31日 - 1977年3月4日)
※13:30 - 13:55
日本テレビ系列 月曜 - 金曜13:45枠
藍は愛ゆえに
(1974年1月4日 - 1974年3月29日)
※13:45 - 13:55
【ここまで北日本放送制作ドラマ枠
ライオンお笑いネットワーク
(1974年4月 - 1975年3月)
愛のサスペンス劇場
(1975年3月31日 - 1977年3月4日)
※13:30 - 13:55