2000年の横浜ベイスターズ

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2000年の横浜ベイスターズ
成績
セントラル・リーグ3位
69勝66敗1分 勝率.511[1]
本拠地
都市 神奈川県横浜市中区
球場 横浜スタジアム
球団組織
オーナー 中部慶次郎
経営母体 マルハ
監督 権藤博
« 1999
2001 »

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2000年の横浜ベイスターズ(2000ねんのよこはまベイスターズ)では、2000年横浜ベイスターズの動向をまとめる。

この年の横浜ベイスターズは、権藤博監督の3年目のシーズンである。

概要

前年オフに絶対的ストッパーの佐々木主浩シアトル・マリナーズへ移籍し、リリーフ陣も含めて投手陣の戦力低下が懸念されたこの年はロッテを自由契約の小宮山悟が入団した以外明るい話題はなく、またシーズン途中には波留敏夫がケガで戦列を離れ、この年2000本安打達成の駒田徳広が試合中に帰宅してシーズン途中に二軍落ちを味わうなど、誤算も続出。6月までは混戦模様で一度は首位に立ち、2年ぶりの優勝が期待された。6月以降は巨人が独走すると中日との2位争いに終始したが、最後は2年連続の3位でシーズンを終了。チームはヤクルト阪神には多く貯金したものの、5位の広島には貯金1で終えた。投手陣はマリナーズへ移籍した佐々木の穴をルーキーの木塚敦志がカバーし、チーム防御率は前年からやや改善されて3.92まで持ち直したが、被本塁打も多く目立った。打撃陣は鈴木尚典ロバート・ローズなどの活躍で.277とリーグ1位とマシンガン打線は健在だったが、チーム本塁打は優勝の巨人と約100本差の最下位に終わった。この年を最後に権藤監督が勇退し、西武黄金時代の名将・森祇晶が新監督に就任する。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 石井琢朗
2 波留敏夫
3 鈴木尚典
4 ローズ
5 駒田徳広
6 佐伯貴弘
7 進藤達哉
8 谷繁元信
9 川村丈夫
2000年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 広島 -- ヤクルト -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 阪神 2.0 巨人 0.5 中日 3.0 中日 6.0 中日 6.5 中日 8.0
3位 巨人 3.0 中日 広島 3.0 横浜 8.5 横浜 8.5 横浜 9.0
4位 横浜 広島 2.0 ヤクルト 3.5 広島 10.0 広島 12.5 ヤクルト 12.0
5位 ヤクルト 4.5 横浜 2.5 横浜 6.0 ヤクルト 10.5 ヤクルト 14.5 広島 13.0
6位 中日 5.5 阪神 3.5 阪神 8.5 阪神 13.0 阪神 15.0 阪神 21.0


2000年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 78 57 0 .578 優勝
2位 中日ドラゴンズ 70 65 0 .519 8.0
3位 横浜ベイスターズ 69 66 1 .511 9.0
4位 ヤクルトスワローズ 66 69 1 .489 12.0
5位 広島東洋カープ 65 70 1 .481 13.0
6位 阪神タイガース 57 78 1 .422 21.0

オールスターゲーム2000

  • コーチ
権藤博
  • ファン投票
選出なし
  • 監督推薦
小宮山悟
谷繁元信
石井琢朗
ローズ

選手・スタッフ

表彰選手

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
金城龍彦 新人王
首位打者 .346 初受賞
ローズ 最多安打 168本 2年連続2度目
石井琢朗 盗塁王 35個 3年連続4度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
ローズ 二塁手 4年連続6度目
石井琢朗 遊撃手 4年連続4度目
ゴールデングラブ賞
選出なし

ドラフト

  • 網掛けの選手は逆指名による入団
順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 内川聖一 外野手 大分工業高 入団
2位 吉見祐治 投手 東北福祉大学 入団
3位 後藤伸也 投手 東北高 入団
4位 東和政 投手 宿毛高 入団
5位 鈴木健之 投手 藤代高 入団
6位 西崎伸洋 捕手 糸島高 入団
7位 稲嶺茂夫 投手 東海大学 入団
8位 竹下慎太郎 投手 大分硬式野球倶楽部 入団
9位 渡辺雅弘 捕手 東北高 入団

出典