蛇田駅

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蛇田駅
新駅舎(2012年4月29日)
新駅舎(2012年4月29日)
へびた - Hebita
陸前赤井 (3.5km)
(1.0km) 陸前山下
所在地 宮城県石巻市蛇田字金津町前14
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 仙石線
キロ程 47.8km(あおば通起点)
電報略号 ヘヒ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
364人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1928年昭和3年)11月22日
備考 業務委託駅

蛇田駅(へびたえき)は、宮城県石巻市蛇田字金津町前にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線である。

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線を有する地上駅である。駅舎は無人駅時代に待合室だけのものに建て替えられ、駅員再配置に際して窓口(駅事務室)部分のみ、後から増設された。2010年に駅事務室部分およびトイレ部分の建て直しが行われ、待合室部分も外壁を塗りなおすなどリニューアルされ、2011年3月11日早朝に完了し、同日より供用開始している。

石巻駅管理の業務委託駅東北総合サービスに委託)で日中のみ駅員配置。簡易Suica改札機、簡易自動券売機POS端末設置。

利用状況[編集]

乗車人員推移
年度 一日平均乗車人員
2000 978
2001 965
2002 880
2003 853
2004 903
2005 896
2006 895
2007 886
2008 867
2009 848
2010 826
2011
2012 364


駅周辺[編集]

三陸自動車道ICを中心とした石巻蛇田地区の新商業地域へ、列車で向かう場合は本駅が最も近い。駅から北西1.5kmほど。

かつては北方800mのところに石巻コミュニティ放送があったが、2011年8月1日に移転した。

歴史[編集]

駅舎(2010年の建替え以前のもの)
  • 1928年昭和3年)11月22日 - 宮城電気鉄道の駅として開業。
  • 1944年(昭和19年)5月1日 - 宮城電気鉄道が国有化され、国鉄の駅となる。
  • 1970年(昭和45年)7月1日 - 無人化。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本に継承。
  • 1987年(昭和62年) - 有人化。
  • 2003年平成15年)10月26日 - ICカード「Suica」サービスが開始。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 -
      • 前日の夜間作業をもって駅舎改修工事が完了し、始発より新駅舎およびトイレの供用開始。
      • 14時46分に発生した東日本大震災とそれに伴う大津波の影響により全線で不通となる。駅設備は被災せず。
    • 7月16日 - 矢本 - 石巻間で運転再開。ただし要員の問題(列車代行バスの地上側案内・誘導業務を東北総合サービスで受託しており、同業務に石巻地区の業務委託駅に勤務していた社員を充当)のため、暫定的に無人駅となる。
  • 2012年(平成24年)2月4日 - 窓口営業再開。

駅名の由来[編集]

当駅名は周辺地域「蛇田」に由来し、同地名の由来としてはおもに次の2つの説がある[1]蛇田村も参照のこと。

  • ひとつは、仁徳天皇の時代に大和朝廷から蝦夷討伐に来て戦死を遂げた将軍上毛野田道(かみつけぬ たみち)に纏わる伝承である。 『日本書紀』仁徳天皇55年の条によれば、彼は有能な将軍で東北へと攻め上ってきたが伊寺水門(いしのみなと)[2]で戦死し、部下たち(または同情した蝦夷たち)によって手厚く埋葬された。蝦夷たちは攻め返し将軍の墓をも暴こうとした時、地中からおろち(大蛇)が現れ、墓を暴いた蝦夷たちを殺した。  
この伝承は石巻市内の蛇田道公神社青森県平川市猿賀神社などにも記録がみられる。ただし、禪昌寺より1801年享和元年)に出土したとされた"田道碑"は、偽碑である[3]
  • もうひとつの説は安永風土記によるもので、ツバメが運んで来たの種を畑に植え育てると巨大な瓜に成長し、それを割ってみると中から多数の蛇が出てきた、という伝説。この「蛇多」が「蛇田」に変化したとされている。ちなみに蛇田の近隣に「大瓜」という地名も存在する。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
仙石線
快速・普通
陸前赤井駅 - 蛇田駅 - 陸前山下駅

関連項目[編集]

脚註[編集]

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  1. ^ 駅前の解説板「蛇田駅の駅名由来」
  2. ^ "伊峙の水門"の場所については、上総国夷隅郡(夷隅港:現 勝浦港)、陸奥国牡鹿郡石巻(現 石巻港)、常陸国茨城郡夷針郷(東茨城郡茨城町大戸)の三説がある。-古典の館 日本書紀 巻第十一の三 2012年4月閲覧
  3. ^ 石巻市史の著者,佐藤露江が、塩竈神社の神官,藤塚知明(藤塚式部)による偽造であったことを証明している。-[1],[2]

外部リンク[編集]