木村雄太
| 千葉ロッテマリーンズ #34 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 秋田県鹿角市 |
| 生年月日 | 1985年5月21日(26歳) |
| 身長 体重 |
190cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2008年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 2011年8月24日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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木村 雄太(きむら ゆうた、1985年5月21日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。秋田県鹿角市出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
小学4年生の時に野球を始め、鹿角市立花輪第二中学校時代は投手と一塁手を経験。
秋田経済法科大学付属高等学校(現・明桜高等学校)では3年生になって背番号「1」を与えられたが、県大会はベスト8止まりで、甲子園出場はできなかった。しかし、長身を生かした角度のある速球が注目を集め、“和製ランディ”の異名も付いた。
2003年のドラフトでは、早くから広島東洋カープに1巡目指名を確約されていたが、社会人野球の東京ガスに入部。2005年まで成績を残せなかったが、第76回都市対抗野球大会でNTT東日本の補強選手に選ばれた。
翌2006年には日本代表にも選ばれた。同年のドラフトでは横浜・楽天・ロッテの3球団が獲得を目指したが、木村は千葉ロッテへの入団を希望[1]。しかし、当日横浜がウェーバー順で先に大学・社会人枠の3巡目で強行指名した。直後に横浜は大矢明彦監督ら総勢10名で木村に挨拶に出向いたが、「来たからってどうのこうのはない」と面会を拒否し、「来年になったら(希望入団枠クラスの)選手がいないのも知ってる」と残留を示唆した[2]。結局契約には至らず、2007年1月に横浜は交渉を打ち切り、木村の獲得断念を発表した。
同年3月、西武ライオンズが、高校時代から「栄養費」として現金270万円を渡していたことが発覚した(裏金#日本プロ野球参照)。日本野球連盟は、木村を3月18日から1年間の謹慎と対外試合出場禁止、東京ガスにも5月下旬の都市対抗予選前までの公式戦出場禁止とした。しかし、木村が十分に反省しているなどの理由から、2008年3月1日以降の試合出場が許され、謹慎も解かれた。
2008年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け入団。
2011年8月24日、対福岡ソフトバンクホークス戦で一軍初登板を果たし、1回を無失点に抑えた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011 | ロッテ | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 61 | 16.0 | 12 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 6 | 6 | 3.38 | 0.94 |
| 通算:1年 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 61 | 16.0 | 12 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 6 | 6 | 3.38 | 0.94 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初登板:2011年8月24日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回裏に2番手として救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、7回裏に内川聖一から
- 初ホールド:2011年9月18日、対オリックス・バファローズ20回戦(QVCマリンフィールド)
[編集] 背番号
- 34 (2009年 - )
[編集] 日本代表キャリア
- 第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表(2006年)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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