新垂井駅

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新垂井駅
新垂井駅上空写真 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
新垂井駅上空写真 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
しんたるい - SHIN-TARUI
大垣 ► (8.1km)
(5.7km) ► 関ヶ原
所在地 岐阜県不破郡垂井町大石
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 東海道本線(下り線)*
キロ程 418.1km(東京起点)
電報略号 ルイ
駅構造 地上駅
ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1944年(昭和19年)10月11日
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日
備考 * 下り列車のみ停車。

新垂井駅(しんたるいえき)は、かつて岐阜県不破郡垂井町大石にあった、日本国有鉄道東海道本線廃駅)である。

かつて東海道本線大垣駅~関ヶ原駅間の別線にあった駅である。この線路は下り列車専用であり、停車する列車も下り列車だけであった。

1986年11月1日のダイヤ改正により廃止された。現在は、ホーム跡しか残っていない。ホーム跡には立ち入れないよう簡単な柵が設置されている。

目次

[編集] 概要

1902年 - 東海道本線複線化完了
1902年 - 東海道本線複線化完了
1944年 - 下り線が迂回線となり、新垂井駅設置。旧下り線は撤去。垂井駅は上り列車のみ、新垂井駅は下り列車のみ停車。
1944年 - 下り線が迂回線となり、新垂井駅設置。旧下り線は撤去。垂井駅は上り列車のみ、新垂井駅は下り列車のみ停車。
1946年 - 下り普通列車を垂井駅に停車させるため、垂井支線を新設。
1946年 - 下り普通列車を垂井駅に停車させるため、垂井支線を新設。
1986年 - 新垂井駅廃止。
1986年 - 新垂井駅廃止。

東海道本線には大垣駅~関ヶ原駅間に最大25パーミル(25/1000)の急勾配区間があるが、蒸気機関車時代にはそれを克服するため下り列車は大垣駅補機連結のため一旦停車する必要があり、牽引定数も限られた。太平洋戦争中の輸送力増強のため、下り列車専用の勾配緩和別線(最大10パーミル)を建設することとなり、その別線上に設けられたのが新垂井駅である。そのため上り列車は設定されず、下り列車しか停車しなかった。

上り方面(大垣駅方面)に行くには、いったん関ヶ原駅まで行き、同駅で上り列車に乗り換える必要があった。そのため当駅から大垣方面へ乗車する場合は、運賃計算の特例が適用されていた(新垂井→関ヶ原→大垣と大回り乗車しても、新垂井-大垣間は最短距離で運賃を計算)。

当駅の開業直後は、従来の垂井駅経由の下り線を撤去し、全ての下り普通列車が当駅経由になったものの利用者は少なく、逆に利用客が多い垂井駅は大垣方面からの列車がなくなったことで却って不便となったことから、利用客救済のため垂井駅との間に連絡バスを走らせた。だがそれでも不便さは解消されず、戦後すぐ大垣駅~垂井駅~関ヶ原駅間に再び上下共用の単線(通称:垂井線)を上り本線に並行して敷設し、下り列車に限って新垂井経由と垂井経由双方の普通列車を運行した。しかし、次第に大半の下り普通列車が利用者の多い垂井駅を経由するようになり、当駅廃止直前のダイヤでは大垣発関ヶ原方面行きの定期普通列車28本(平日一日)のうち、当駅に停車するのは6本のみという状況であった。乗客の流れとして、岐阜・名古屋方面に向かう乗客が多く、下り列車しか停車しない当駅を利用する乗客が少なかったというのが、廃止の理由のひとつである。廃止が決定した際、地元住民からは反対運動すら起きなかったという。

現在この区間を経由する定期普通列車は下り列車も全て垂井駅経由で運転されており、旧新垂井駅経由のルートを通る列車はない。旅客列車に関しては車両の性能が向上したため、わざわざ遠回りのこのルートを走らせる必要はないが、垂井駅経由のルートは線路規格が低いことから、下り列車は貨物列車の他に優等列車もこのルートをとっている。

[編集] 駅構造

通過線(下り本線)と待避線(副本線)の2線があり、待避線に単式ホームが1面あった。

ホーム跡。(2002年12月) ホーム跡。(2002年12月)
ホーム跡。(2002年12月)


[編集] 駅周辺

  • 民家が数軒ある。
  • 垂井駅まで直線距離で約3km離れていた。
  • 名阪近鉄バスが駅前まで路線バスを運行していたが、廃駅によってバスも廃止された。

[編集] 歴史

[編集] 隣の駅

日本国有鉄道
東海道本線
大垣駅 →(南荒尾信号場) → 新垂井駅関ヶ原駅

[編集] 関連項目

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