戸沢村

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戸沢村
とざわむら
日章旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
最上郡
団体コード 06367-3
面積 261.25km²
※境界未定部分あり
総人口 5,460
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 20.9人/km²
隣接自治体 新庄市酒田市
鮭川村大蔵村庄内町
村の木 山ノ内杉
村の花 ヒメサユリ
{{{シンボル名}}} {{{鳥など}}}
戸沢村役場
所在地 〒999-6401­ 山形県
最上郡戸沢村大字古口270­
電話番号 0233-72-2111
外部リンク 戸沢村の公式サイト

戸沢村位置図(山形県)

:市 / :町・村
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戸沢村(とざわむら)は、山形県の北部にある人口約6千人の。 日本における国民健康保険発祥の地である。

目次

[編集] 地理

村の西側は出羽山地、東側は新庄盆地で、村の中央を最上川が西進する。最上川に沿って、国道47号陸羽西線が走っており、西に庄内町、東に新庄市がある。

[編集] 歴史

戸沢村は、最上川とともにあった村であった。

戸沢村が最初に歴史に登場するのは、延喜式兵部省「諸国駅伝馬条」である。多賀城から庄内地方を経由して日本海沿岸を秋田城へ向かう官道に、「佐藝(さぎ)駅 駅馬四疋、船十隻」の記述が出てくる。この駅亭は水駅と思われ、現在の津谷地内の最上川と鮭川の合流地点付近にあったと推定されている。(鮭川村真木新田という説もある)

古くから庄内地方最上地方を結ぶ水運の要であったが、俳人松尾芭蕉が『板敷山』と称した、最上峡の厳しい地形にさえぎられ、道路の開削はできなかった。江戸時代には、現在の村の中心である古口集落に新庄藩の船番所が置かれ、舟の往来の監視を行っていた。明治時代に、難工事の末に「磐根街道」(現国道47号)と呼ばれる道路が開削され、大正時代陸羽西線が開通し、舟運の歴史に幕を閉じた。現在は、川下りでは日本最大の規模である「最上川舟下り」を中心に、草薙温泉道の駅とざわなどの観光業が中心の村である。

[編集] 沿革

[編集] 行政

[編集] 経済

[編集] 産業

[編集] 郵便局

  • 古口郵便局
  • 戸沢郵便局

[編集] 姉妹都市・提携都市

国内
海外

[編集] 地域

[編集] 人口

戸沢村と全国の年齢別人口分布図(比較) 戸沢村の年齢・男女別人口分布図
紫色は戸沢村
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 7,601人
1985年 7,421人
1990年 7,248人
1995年 6,959人
2000年 6,450人
2005年 5,915人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 教育

[編集] 交通

[編集] 周辺の空港

[編集] 鉄道路線

[編集] バス路線

  • 最上川交通
  • 戸沢村営バス
    • 古口駅前~やまなみセンター(角川)
    • 古口駅前~いきいき百年の里(野口)

[編集] 道路

一般国道
都道府県道

[編集] 観光ほか

[編集] その他

  • かつて、高屋駅に隣接して国設最上川スキー場があったが、閉鎖された。2006年からこのスキー場を自然に復帰させる事業が行われる。
  • 昭和時代に野口集落で油田の掘削を行ったことがあった。温泉原油の混合物が噴出したが、油田はすぐに枯渇。噴出した温泉を使って日帰り温泉施設「ぽんぽ館」が作られた。
  • 村の中心部と村西部の高屋・草薙集落との間は最上峡にさえぎられ、電柱が敷設されていない。そのため、村西部へは庄内地方から電気が供給され、電話回線も庄内地方と繋がっているため、最上地方では唯一酒田市飽海郡の市外局番である。村の中心部に電話をかけるときには、同じ村内にもかかわらず市外局番から押さなければならない。
  • 山形放送ラジオで「精密同一周波数放送実用化試験局」を運用していた頃、山形送信局と鶴岡中継局の中間地点に当たる古口集落で、聴取レベルが均衡になるように調整が行われた。
  • 戦前の大凶作の時代に、日本で初めて「健康保険」のシステムを整えた自治体である。この保険は、共助の精神により、村民の出資で行われたものであり、現金収入の無い人は農作物や山菜を供出することもできた。
  • 同村の教育政策はとても独特なものであり、「村民が皆共に育てる」と言う意味で役場には「共育課」という部署が創設された。
  • 近年の嫁不足問題解消のため、村を挙げて韓国からの花嫁としての来村を募って成功した村であり、韓国からの花嫁が道の駅とざわにてキムチソフトクリームなどを提供している。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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