体当たり攻撃

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古代アテネ三段櫂船を復元した船、オリンピアスの衝角

戦争における体当たり攻撃(たいあたりこうげき)とは陸海空の戦闘で使われた手法である。英語で体当たりを指す"Ramming"は、衝撃を与えて要塞を打ち砕くために使われた包囲攻撃用の武器である破城槌("battering ram")から来ている。戦争では、体当たりとは対象に自らぶつかって攻撃するものと見なされている。

今日も、携帯式の破城槌は、警察軍隊門扉を突破する際に用いる道具のひとつである[1]。犯罪者による不法侵入でも、建物内に押し入るために車輌による体当たりが用いられている[2]

海上戦[編集]

ソビエト連邦に所属するミルカ型フリゲート(SKR-6)が体当たりする際の光景をアメリカ海軍の駆逐艦カロンから眺める。1988年2月12日

衝角攻撃は水線下に浸水をもたらす攻撃法としてはるか昔から普通に使われ、ローマ帝国ガレー船の重要な兵器であった。古代ギリシアもまた三段オールのガレー船を体当たりのために使った。古代中国では竜骨がなかったため、またジャンク船が平坦な構造で、長い水面下の突出部を作るのに適していなかったために広く知られていなかった。

しかし、近現代の有名な軍艦によって初めて使用された記録があるのはアメリカの南北戦争の、ハンプトン・ローズ海戦である。アメリカ連合国軍の装甲艦バージニアが、北軍フリゲート艦カンバーランドを攻撃し、ほとんどすぐに沈めた。

戦時におけるもう一つの重要な衝角の成功は、イタリアオーストリア間のリッサ海戦である。イタリアの装甲艦Re d'Italiaは船尾に砲撃を受けて損傷しており、操舵できなかった。無力なまま海に漂っていたところ、オーストリアの海軍将校ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ率いる旗艦、フェルディナント マックスにより艦の中央部を攻撃された。オーストリア艦はイタリア艦を転覆させて沈め、無傷で帰還した。

南米の太平洋戦争ではペルーの装甲艦ワスカルチリの帆装艦エスメラルダを何度も体当りし、この木製の蒸気・風力併用の艦を沈めた。

第一次世界大戦ではドレッドノートドイツ潜水艦U-29を体当りし、沈めた。しかしこれは艦首の想定外の使用法であった。1918年にはオリンピックU103に体当りした。

第二次世界大戦ではイギリス海軍がしばしば体当たりを敢行した(もっとも、これは状況によってやむを得ずというケースも多かった)が、体当たりした側も深刻なダメージを受けるという事態が多発した。特に駆逐艦に被害が相次ぐ中、1943年初頭、イギリス海軍は公式に、軽量に設計された駆逐艦がこの戦術を取ることを非推奨とした。たとえば、HMS Hesperusは1942年12月にU-357を沈めると三ヶ月間乾ドックに入り、ハーヴェスター1943年3月にU-444を体当りしプロペラを失い、魚雷攻撃を受けて沈んだ。USS Buckleyは、1944年4月22日、U-66に体当りしてこれを沈めたが、その後修理に約1ヶ月を要した[3]。HMS EastonはU-458を体当りした。

1943年1月29日ガダルカナル島でのケ号作戦にて伊号第一潜水艦ニュージーランドの掃海艦であるHMNZS キウィとHMNZS モアに攻撃され、ソロモン諸島湾の浅瀬に難破した。2135トンの潜水艦は掃海作業船の607トンよりも大きく、より重武装を施していた。

対潜水艦戦闘において体当たりは、駆逐艦が水中に砲撃するには潜水艦と近づきすぎていた場合の代替手段であった。この戦術は有名なイギリスの対潜水艦戦闘の専門家フレデリック・ジョン・ウォーカーにより、1941年10月から戦闘の最後まで用いられた。

第二次世界大戦中、ジョン・F・ケネディの指揮した魚雷艇であるPT-109は、日本の駆逐艦天霧に体当りされ、破壊された。ただし事件が起こったのは夜間であり、PTボートはエンジンをアイドリングさせて発見されるのを防いでいたため、天霧の攻撃が意図的であるかは疑わしい。

HMS グロウォームはドイツの巡洋艦アドミラル・ヒッパーに体当たりした。これは自暴自棄の行為として有名である。

1988年、アメリカの2隻の艦艇、スプルーアンス級駆逐艦カロン(DD-970)と巡洋艦ヨークタウン(CG-48) は、ウクライナのフォロス近くの黒海において、ソ連の領海を守ろうとするソ連のミルカ型フリゲート(SKR-6)、およびクリヴァク型フリゲートベズザトヴェートヌィイ(FFG 811)により、軽く体当たりを受けた。双方とも重大な被害を受けた艦艇はなかった。

イギリスアイスランドの間で「Cod Wars、タラ戦争」と称され漁業権紛争が生じていた当時、イギリス側の非武装のトロール船は、アイスランドの沿岸警備艇や改造トロール船と対峙することになった。イギリスは、自国の漁船を保護するため、イギリス沿岸警備隊の船舶に加え、大型の洋上タグボートや灯台船を送り込んだ。双方の間では、体当たりによる多数の接触事故が繰り返され、しばしば非常に深刻な結果に至った。

航空戦[編集]

詳細は「空中戦における体当たり攻撃(英語)」を参照

空中戦での体当たりは、すべての作戦が失敗した際の土壇場の作戦である。体当たりをした操縦士は航空機全体を衝角とし、プロペラや翼を敵の尾部や翼に当て、敵の操縦能力を破壊するために使う。体当たりは、操縦士が弾薬を使いきってなお敵の撃破を強く望む時や、すでに自機が救いがたい被害を受けている際に実行される。多くの体当たりは攻撃者の航空機が経済的、戦略的、戦術的に見て敵よりも価値の少ない時に行われた。例としては、操縦士の時代遅れの航空機がより優れた機体と戦う際や、唯一のエンジンを搭載した航空機が、多くのエンジンを搭載した爆撃機と戦う際である。守備側は、侵略者よりも多く体当たりを行った。

体当たり攻撃は神風攻撃(とても危険でありながら操縦者が生存の機会を絶つこと)のような自殺行為としては考えられていない。非常に危険ではあるが、体当たりを行う操縦士には生き残るチャンスがある。体当たりを行った航空機が着陸操縦をこなして無事帰還することも、しばしばあった。とはいえ、多くは戦闘の損傷から、あるいは、操縦士が脱出したために喪失された。体当たりは20世紀前半の航空戦、両大戦及び戦間期に用いられた。ジェット機の時代には空中戦はスピードが上がり、体当たり攻撃を成功させることも、さらには生き残ることも不可能となり、体当たりは実用性のない時代遅れの戦術となった。

地上戦[編集]

突撃隊(英語)」および「突撃」も参照

紀元前750年にはすでに、アッシリアの主戦力は馬に引かれた二輪のチャリオットによる軍団であった。彼らの役割は、敵の歩兵部隊が作り出す陣列を打ち崩すことだった。

第二次世界大戦では、戦車の一団が砲撃する代わりに車輌自体を用い、敵の陣地(歩兵や砲兵部隊)をしばしば轢いた。この戦術は特にソ連にて広まった。ドイツのティーガーIV号戦車パンターと直面すると、厚い装甲を貫徹する火力を欠くT-34の戦車の乗員は、よく戦車のスピードや機動性を用いてドイツ戦車に直進し、衝撃で敵の装軌部分を破壊して行動不能にするという、一か八かの賭けをとった。さらに攻撃はティーガーの砲塔を動かなくさせたり、T-34の自らの車体で動かなくしたり、砲塔の駆動部分に損傷を与え、残余のソ連軍部隊に対する危険を取り除いたりした。しかし敵の戦車に達する前にドイツの砲撃により破壊される深刻な危険もあった。加えて、(特にT-34が敵の背後に走っているとき)体当たりはティーガーやパンターの燃料タンクを破裂させ、火災を起こして両軍の車輌が壊れるといった事態を起こした。

攻囲戦[編集]

参考文献[編集]

脚注
書籍