伊藤真乗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤真乗(いとう しんじょう、俗名・伊藤文明(いとう ふみあき)、明治39年(1906年)3月28日 - 平成元年(1989年)7月19日)は、日本の宗教家で、在家仏教教団・真如苑の開祖。また真如三昧耶流の創始者。なお俗名「文明」は「ふみあき」が正式名称であるが「ぶんめい」と音読みする場合も多い。
目次 |
年譜 [編集]
- 1906(明治39)年、3月28日に、伊藤文二郎・よしえの次男として出生。(6人兄弟姉妹の3番目)
- 1923(大正12)年、苦学を志し上京、中央電信局(現NTT)の購買部に勤務するかたわら夜学に励む。
- 1924(T13)年、正則英語学校(現・正則学園)の普通科に入学。
- 1925(T14)年、高等科に進学するが、1ヶ月後、規則により高等科を退学し青年訓練所に入る。また電信局の購買部を退社し写真機材店に勤務。
- 1927(昭和2)年、大正15年の徴集兵により、立川の近衛飛行第5連隊に入隊、写真科に編入。
- 1928(S3)年、12月10日に軍隊を除隊。
- 1929(S4)年、1月中旬に石川島飛行機の技術部に勤務。同僚との縁から浄土教学や易学、日蓮宗や法華経などを研鑚。
- 1932(S7)年 内田友司と結婚。文明と友司は同郷で、またいとこの続柄であったが、お互いの家系に伝わる宗教的背景を感得し、次第に仏教を研鑚する。
- 1935(S11)年に、大日大聖不動明王を勧請、友司と共に宗教専従の道に立つ。同年5月、真言宗醍醐派総本山醍醐寺(京都市)にて出家得度。
- 1936(S11)年、不動明王の縁から真言宗成田山新勝寺の講中として成田山立川立照講を設立。
- 1938(S13)年、鐙檠山真澄寺を建立、「真言宗醍醐派・立川不動尊教会」と改称する。
- 1939(S14)年、醍醐寺にて在家の大法[要出典]である恵印灌頂を法畢する。
- 1941(S16)年、醍醐寺にて伝法灌頂を取得し伝法阿闍梨となる。灌頂を得たことで、本山からは東京武蔵村山市の「常宝院」の特命住職に任ぜられた[1]。戦後、真言宗から独立して「まこと教団」を設立。
- 1942(S17)4月20日に戸籍名を「伊藤文明」から「伊藤真乗」に変更。
- 1950(S25)年、以前の内弟子が告訴し、真乗逮捕(「まこと教団事件」発生)。
- 1951(S26)年、「まこと教団」を「真如苑」と改称。かねてから研鑚していた大般涅槃経を根本経典として教団の新体制を発足。
- 1953(S28)年、新たに施行された宗教法人法において文部省が「真如苑」を宗教法人として認証。
- 1957(S32)年、本尊となる久遠常住釈迦牟尼如来(大涅槃尊像)を謹刻。
- 1966(S41)年3月、祖山・醍醐寺から大僧正位を受ける。11月、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本仏教界代表として出席。
- 1967(S42)年、「欧州宗教交流国際親善使節団」団長としてヨーロッパ8カ国を歴訪、ローマ法王パウロ6世と会見し涅槃像を贈る。
- 1970(S45)年、米国カリフォルニア州モンテベロ市に寄贈した聖徳太子像の贈呈式が行われ名誉市民となる。
- 1979(S54)年、発祥第二精舎落慶 本尊十一面観世音菩薩入仏開眼法要を厳修。
- 1979(S54)年、「真如苑宗教交流親善使節団」として欧州5カ国を巡教。
- 1984(S59)年、醍醐寺の命を受け、金堂において教主導師により弘法大師御入定一千百五十年御遠忌法要を執行。
- 1989(H1)年、7月19日(午前0時23分)遷化。享年83。醍醐寺より「真如教主金剛身院常住救鳳真乗大本位」の法号が贈られた。
関連項目 [編集]
出典 [編集]
- 「燈火念念(ともしびねんねん)」(伊藤真乗著 真如苑教学部 1976年)
- 「常楽の華(よろこびのはな)」(伊藤真乗著、1979年)
- 「法の琴譜樹(のりのことぶき)」(伊藤真乗著、1983年)
- 「讃樹(さんじゅ)」(橘佐久夫編、立教五十年傘寿記念出版、伊藤真乗作品聚成、1986年)
- 以上、すべて真如苑内における刊行物。
- 「真乗 心に仏を刻む」 - 奈良康明著、中央公論社、2007年)ISBN 9784120038440
脚注 [編集]
- ^ ひろたみお「ルポルタージュ真如苑」知人館(1990) P144
外部リンク [編集]
- 生誕100年記念「伊藤真乗の目と手」展
- 日本の墓 著名人のお墓