ベアトリクス (オランダ女王)

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ベアトリクス
Beatrix
オランダ女王

在位 1980年4月30日 -
姓名 ベアトリクス・ヴィルヘルミナ・アルムガルト・ファン・オラニエ=ナッサウ
出生 1938年1月31日(70歳)
オランダユトレヒト州バールン、スーストデイク宮殿
王太子 オラニエ公ヴィレム=アレクサンダー王子
配偶者 クラウス
子女 オラニエ公ヴィレム=アレクサンダー王子
ヨハン・フリーゾ王子
コンスタンティン王子
王家 オラニエ=ナッサウ家
父親 ベルンハルト
母親 ユリアナ

ベアトリクスBeatrix Wilhelmina Armgard van Oranje-Nassau, 1938年1月31日 - )はオランダ女王ユリアナ女王の長女。

目次

[編集] 来歴・人物

現女王ベアトリクスはバールンBaarn)で生を受けた。1940年ナチス・ドイツオランダ侵略で祖母ヴィルヘルミナ女王、母ユリアナと共にイギリスへ亡命し、その後、親戚であるカナダ総督夫人アリスを頼り、カナダへ。そのため、初等教育をカナダで受けている。

1945年戦争が終わり王室は本国に帰還、1948年母ユリアナが即位し、ベアトリクスは王位継承者となった。ライデン大学で学ぶ。

1966年3月10日ドイツ人外交官クラウス・フォン・アムスベルクと周囲の、ナチスの禍根からドイツ人への反発を恐れての反対を押し切り結婚、皮肉なことに夫君クラウスは後に国民の人気を集めるようになった。1967年、王家では百数年ぶりの男子であるオラニエ公ヴィレム=アレクサンダー王太子を出産。次いでヨハン・フリーゾ王子コンスタンティン王子が生まれた。1980年、ユリアナ女王の譲位でベアトリクスは女王に即位し、2002年に最愛の夫である王配クラウスが崩御、さらに2004年に母ユリアナが崩御。その悲しみを超えて現在に至る。

公務の一環として、毎週首相と政治に関する会談をするため、大変な政策通である。また気丈な性格であり、政策の面で一致が見られなかった閣僚を解任すると警告を発したこともあった。

[編集] 日本との関係

1986年に日本訪問の計画があったが国内世論の反発があり中止した。1991年10月、歴代オランダ国王として初めて日本を公式訪問。天皇が主催した晩餐会のスピーチでは第二次世界大戦時のインドネシアにおける自国民の犠牲について言及したこともある。

ただし、日本及び日本皇室との関係は基本的には良好である。先述の晩餐会時のスピーチでも戦争に関する部分はごく一部にとどまり、翌年3月に開業を控えていたハウステンボス等の現在の好ましい関係を強調している(ハウステンボスについては、自らの居所であるハイステンボス宮殿の忠実な再現及び同名の命名を許している)。2006年夏には皇太子徳仁妃雅子ら一家の長期静養を受け入れ、滞在中も種々配慮をしている。


[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
ユリアナ
オランダ女王
第6代:1980年 -
次代: