クラウス・フォン・アムスベルク

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クラウス・フォン・アムスベルク、1970年

クラウス・フォン・アムスベルク(Claus von(van) Amsberg, 1926年9月6日 - 2002年10月6日)はオランダ女王ベアトリクス王配。全名はドイツ名:Klaus Georg Wilhelm Otto Friedrich Gerd von Amsberg、オランダ名:Claus George Willem Otto Frederik Geert van Amsberg。

生涯 [編集]

ドイツヒッツアッカーにて生まれる。父親が、第二次世界大戦前までタンガニーカに広大な農場を所有していたため、初等教育をタンザニアで受けた。少年時代はヒトラー・ユーゲントに所属。戦時中はドイツ軍所属。1945年3月、メラーノイタリア)でアメリカ軍の捕虜となった。戦後、リューネブルクハンブルクで法律を学び、外交官となる。サントドミンゴコートジボワールに赴任した。

1965年、雑誌掲載をきっかけに、王女ベアトリクスとの交際が明らかになる。戦時中、ドイツ占領下にあったオランダ国民にとって、次期王位継承者と敵国ドイツの人間との結婚は受け入れ難いとの意見も多く、二人の結婚には多難な前途が予想された。

1966年に成婚。式典会場となった教会周辺には反対派のデモ隊が押し寄せ、爆弾が投げ込まれる騒ぎになった。オランダ軍が警備に8,000人の兵を出動させ、ようやく式を挙行。翌1967年、長男オラニエ公ヴィレム=アレクサンダー王子が誕生した。オランダ王室に100年ぶりに生まれた男子であった。その後更にベアトリクスは2人の王子を出産、1969年までに夫妻は3男に恵まれた。

一時クラウスは鬱病を発病。ドイツ人のプリンスということで、オランダ国内に反独感情の高かった時代に周囲から強いストレスを受けたことが一因と考えられる。

しかし、家族への愛を率直に語り、ユーモアも心得たクラウスの言動・人柄はやがて国民に深く愛されるようになり、「女王よりも人気者」とさえ言われるほどになった。彼のユーモアの一例として「私の重要な仕事は、開会式のテープカットをすることです」と発言し、観衆とマスコミに大受けしたことがある。

晩年はパーキンソン病を患い、2002年に崩御した。