ベルンハルト (オランダ王配)

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ベルンハルト
Bernhard
リッペ家
Prince Bernhard 1942.jpg
ベルンハルト公(1942年、オタワにて、ユーサフ・カーシュ撮影)
称号 リッペ=ビースターフェルト公
全名 Bernhard Leopold Frederik Everhard Julius Coert Karel Godfried Pieter
ベルンハルト・レオポルト・フレデリック・エーヴァーハルト・ユリウス・クート・カレル・ピーテル
Bernhard Leopold Friedrich Eberhard Julius Kurt Karl Gottfried Peter
ベルンハルト・レオポルト・フリードリヒ・エーベーハルト・ユリウス・クルト・カール・ゴットフリート・ペーター
身位 オランダ王配
出生 1911年6月29日
ドイツの旗 ドイツ帝国
Flagge Großherzogtum Sachsen-Weimar-Eisenach (1897-1920).svg ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国イェーナ
死去 2004年12月1日(満93歳没)
オランダの旗 オランダユトレヒト
埋葬 2004年12月11日
オランダの旗 オランダデルフト新教会英語版
配偶者 ユリアナ
子女
父親 ベルンハルト・フォン・リッペ英語版
母親 アルムガルト・フォン・ジーシュトルプ=クラム英語版
役職 世界自然保護基金総裁
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ベルンハルト・ファン・リッペ=ビーステルフェルトオランダ語: Bernhard van Lippe-Biesterfeld, 1911年6月29日 - 2004年12月1日)は、オランダユリアナ女王王配。リッペ=ビースターフェルト公。

生涯[編集]

アイントホーフェン解放時のベルンハルト公(1944年9月)

先代のリッペ=ビースターフェルト公ベルンハルト英語版の長男としてドイツイェーナで生まれる。リッペ侯国最後の君主レオポルト4世の甥にあたる。ローザンヌ大学ベルリン大学で法学を学んだ。1932年秋には在学中にナチ党所属の学生リストに登録し、突撃隊親衛隊騎兵部隊ドイツ語版国家社会主義自動車軍団の準隊員とされている。1934年12月には卒業に伴い、このリストから除外された。ベルンハルトの弟アシュヴィンオランダ語版ナチ党への支持を公言している。大学卒業後はドイツIG・ファルベンインドゥストリーに勤め、見習期間の後、1935年パリ支社の重役秘書となった。IG・ファルベンインドゥストリーはナチ党と深く結びついた財閥であるとともに、開発した製品チクロンBホロコーストに使われた著名な薬剤であることから、このキャリアはベルンハルトの経歴に深い傷となった。

1937年にオランダのユリアナ王女と結婚した。1940年5月ドイツの突然の侵攻によりオランダは5日で降伏、ウィルヘルミナ女王はじめ王室と政府はロンドンへ亡命した。そこから、王位継承者のユリアナ王女、その長女ベアトリクス王女、次女イレーネ王女の3名は、カナダ総督夫人アリス・オブ・オールバニが女王の従妹である縁によって、より安全なカナダ疎開した。女王とベルンハルトはイギリスに留まり、ベルンハルトはオランダ主任連絡将校、イギリス陸軍省オランダ使節団長など、オランダ軍の最高司令官となり、ドイツへの抵抗の旗印となった。

1944年に王室が帰国すると、祖国を解放した女王一家を国民は大喝采で迎えた。戦後、ベルンハルトはKLMオランダ航空をはじめ多くの企業役員を務め、軍の監察総監でもあった。国際ロータリー世界自然保護基金 (WWF) の設立に関わり、1961年には後者の初代総裁となった。

WWFの設立は国際的な名士からの寄付からなり、そこにはロッキード社のコートラント・グロス、ノースロップ社のトム・ジョーンズやフレッド・モイゼルなど後にロッキード事件に関わる人物が名を連ねていた[1]1976年にロッキード事件が明るみになると、ベルンハルトもオランダ空軍の空軍機購入に関係してロッキード社から賄賂を受け取っていたことが発覚したばかりではなく、自らロッキード社に「斡旋料」を要求した書翰までもが公開されて苦境に立たされたが、女王の王配ということを考慮したオランダ政府はその訴追を見送った。このほかロッキード社やノースロップ社などアメリカ軍需産業ヨーロッパの兵器市場に対して売り込みを行う際には口利きをしており、王族の一員として適切とはいえない暗い側面がつきまとった[1]

2004年12月1日、によりユトレヒト大学病院で死去した。

子女[編集]

オランダ女王ユリアナとの間に四女を儲けた。

2004年のユリアナ前女王の死後、オランダ王室はベルンハルトが1950年代1960年代にそれぞれ別の女性との間に女子(アリシア、アレクシア)をもうけていたことを公表した。ユリアナもその存在を知っていたという。こうしたベルンハルトの爛れた愛人関係は、その結果生まれた非嫡出子の養育費の捻出という頭痛となって彼を悩ませた。私生児だけにその養育費が国庫から支給されることは有り得ず、ユリアナ個人の資産に頼ることも道義上できることではなかった。この財政的な弱みがロッキード社やノースロップ社などにつけ込まれる原因となり、賄賂として大金を示唆されたベルンハルトはそれを断ることなどできなかったとする見方もある[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c アンソニー・サンプソン 「ロッキード=ベルンハルト・ネットワーク」『新版 兵器市場―「死の商人」の世界ネットワーク』 大前正臣/長谷川成海訳、TBSブリタニカ1993年、147-177頁。ISBN 4484931109

関連項目[編集]