ヨハン・フリーゾ・ファン・オラニエ=ナッサウ

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オランダ王子ヨハン・フリーゾ
オランダ王室
Coat of arms of the Netherlands.svg

ヨハン・フリーゾ(Johan Friso van Oranje-Nassau, 1968年9月25日 - )はオランダ女王ベアトリクスの次男。

父は王配クラウス・フォン・アムスベルク。正式名はヨハン・フリーゾ・ベルンハルト・クリスティアン・ダヴィッド(Johan Friso Bernhard Christiaan David van Oranje-Nassau van Amsberg)。現在の称号はオラニエ=ナッサウ伯爵(graaf van Oranje-Nassau)。

人物・来歴 [編集]

アムステルダムで生まれる。デルフト工科大学で学び、カリフォルニア大学バークレー校へ留学後、オランダのロッテルダム・エラスムス大学で宇宙航空工学、経済学を学んだ。

2003年7月、人権保護団体で活動するメイベル・ウィサスミット(en)と婚約を発表した。その後、彼女の過去のあまりにもダーティすぎる異性関係(大学生時代にヨーロッパ有数の麻薬王で1991年に暗殺されたクラース・ブルインスマ(en)の愛人であっただけではなく、国連職員時代には、当時ボスニア・ヘルツェゴビナの国連大使(のちに外相)で、公金横領で逮捕されたムハメド・サツィツベイ(en)と不倫関係にあった、等)が大スキャンダルとなり、婚約破棄か王位継承権放棄かで紛糾した。オランダでは、王位継承者の結婚には政府と議会の承認が必要であるが、そのどちらも得られなかった。兄ヴィレム=アレクサンダー王太子とマクシマ妃の結婚に続いてのこの騒動は、同年10月、ヨハン・フリーゾ自身がバルケネンデ首相宛に書簡を送り、王位継承権放棄を表明することで決着した。ヨハン・フリーゾは王族として王家には残るが、自身とその子孫に王位継承権はない。

2004年4月26日、アムステルダムで結婚した。王位継承者ではないとはいえ、女王と兄ヴィレム=アレクサンダー、弟コンスタンティンが列席した盛大な挙式であった。結婚後、ヨハン・フリーゾ夫妻はロンドンへ転居した。

2005年3月26日に長女エマ・ルアナ・ニネット・ソフィーが、2006年6月18日に次女ヨハンナ・ザリア・ニコリーン・ミルーが誕生している。

結婚前の2002年、女性関係で浮いた噂がなく、王子が国内のゲイ・コミュニティーで人気があるため、王子のゲイ疑惑を王室が公式に否定したことがある。学究肌の真面目な研究者のため、このような噂が一人歩きした模様。

2007年には、王宮内のコンピュータからウィキペディアに記載してある妻に関する不都合な記事を書き換えていたことが明らかとなった。

スキーでの事故 [編集]

2012年2月17日にオーストリアフォアアールベルク州にあるレッヒ・アム・アールベルク英語版にて、地元の雪崩監視機関によって雪崩警報が出されていたのにも関わらず、オフピステで友人とスキーをし、雪崩に巻き込まれ、救出されるも重体となった[1]。その後の手当によって一命を取り留めたが、脳に損傷を負い、昏睡状態が続いている[2]。同年3月1日に、王子一家が住むロンドンのウェリントン病院英語版へ転院した。オランダ王室によると入院先がウェリントン病院となったのは専門家らの勧めによるもので、王子の容体からすると最適の治療が受けられる施設であるという[3]

上位:
アリアーネ王女
オランダ王女
イギリス王位継承順位
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位:
オラニエ=ナッサウ伯爵令嬢ルアナ
オラニエ=ナッサウ伯爵令嬢

脚注 [編集]

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